【剣聖】の裏側
セイムスが窮地に立つその時、脳裡に最初に現れたのは……?
彼は握り締めた柄が、手の中で変形しかけたことに気がついて力を緩めた。
……おいおい待てよ……この柄、一体型の剣に取り付けた鋼鉄製だろ?周りの革が変わるのは判るけど、鋼が歪むとか有り得ないんじゃないか?
セイムスは我が身に起きた現象を俯瞰視し、疑問に思う。
……俺の身体に何が起きているんだ?
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「立ち上がったぞ!?……セイムス無事だったのか……?」
アラミドは突然立ち上がるセイムスを見て一瞬だけ安堵したが、その姿は明らかに無事には見えなかった。
耳からはポタポタと血を流し、肩へと滴り落ちそして首も座っていない。やや斜めに傾けた頭は力なく、そして身体からは精気の欠片も漂ってはいなかった。
きっと立っているのもやっとの状態にも関わらず、彼は両手も着かずに立ち上がり、バンシーの前に立ち塞がっているのだ。
もしバンシーが二度目の【声の攻撃】を発したなら、直撃し無事では済まされない。
「どけっ!!セイムス邪魔だっ!!」
荒々しく怒鳴るリューマは苛立ちながら必死に走るが、その巨体では即座に攻撃位置に付くことは難しいだろう。アラミドは冷静に分析しながら、自らの役割を考える。
セイムスに追い付いたら少しでもブレスから彼を守る為、覆い被さりガードする。その隙にリューマが到達出来れば……彼等に勝機があるだろう。だが、相手は既に準備を終えていて、きっと射線に全員が入るのを待ちかねているに違いない。
ならば……自分は射線から外れて近付けば……相手の躊躇を誘えるかもしれない。そう判断した瞬間、彼は緩やかに弧を描きながら壁面際を進む。だが……バンシーの視線は彼を捉えて離しはしなかった。
(……それも、お見通し……って訳ですか……グラス、カーボン、ナノ……もしかしたら、帰りが遅くなるかもしれないよ……)
棺桶に片足を入れる覚悟を固めた瞬間、セイムスの身体に異変が起きた。
不意に耳から伝う血が止まり、露出していた肌に見たことの無い模様が浮かび上がる。それは丸や直線、三角が複雑に入り乱れて蠢き回り、まるで生き物が這い回るかのようだった。その模様が一つ一つ定位置に着くや停止し、紋様へと変化して光り出す。
「……そんな……【魔道印式】だと……?冗談じゃ……ないですよね……?」
アラミドの知識には、生き物の表面に【魔道印式】を刻むことは不可能だと言われている事実しかなかった。
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【魔道印式】とは、この世界に存在する超常的な力の具現化の一つ。
そもそも魔道とは、魔力を用いて自然現象や環境を変化させる技であり、駆使出来るのは一部の普人種と、森人種だけだと言われている。
火を導き、水を割り岩を穿ち大気を流す。又は人を空へと浮かべたり城を不可視にする等を可能にする代わり、大量の魔力を消費する為、易々とは使いこなせない。
森人種達でも連続して使用は出来ず、だからこそ【印】や【陣】を描いて固定化し、そこに魔力を注いで定着化させて保存し、任意の時に開放させて駆式させて利用するのが一般的である。
だが、だからこそ……様々な制約もある。その一つが《生身の生き物に【印】や【陣】は描けない》ことである。身体の表面に描いたとしても、膨張する筋肉や胸の隆起(呼吸等で容易に起きる)で印式は簡単に歪み、正しい紋様には成らない。
死体等の表面なら動かないだろうが、生者への刻印は無意味且つ不可能とされている。
(……なら、刺青だろうと何だろうと、それを駆式させる為に……被術者が仮死状態になると発動するようにしていたなら……可能になる!?)
アラミドはセイムスに施された非情な行いに怒りを覚え、慄然とした。その術者は……セイムスが死にかけた時に発動させ、何を目的としていたかまでは判らない。判らないが……それは彼の死を目論んで発動させている。
(……セイムス君は……死ぬ前提で何かの印式を施されていた……のですか……)
信じられなかったが、目の前で立ち上がり、左手の護手でバンシーの首を跳ねたセイムスの姿を見せつけられたアラミドは、地下迷宮に立ち尽くす彼の真の姿を眼に焼き付けた。
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「セイムス、おい無事なのか!?」
声を荒げながら詰め寄るリューマが肩を掴むと、くたっ、と力なく崩れ落ちるセイムス。
「あっ!!リューマさん手荒にしちゃ駄目ですよ!?……ほら、白眼剥いてます……って大丈夫ですか!?」
ユサユサと揺さぶられて、呻きつつ目を覚ますセイムスは、
「うぅ……あれ?アラミドさんに……リューマさん、どうしたんですか?」
と、まるで他人事のように二人を交互に見交わしてから起き上がる。そんな彼の様子に安堵したものの、ついさっきまで倒れていたことに変わりはない訳で、
「どうしたもこうしたもあるかっ!!さっきまでお前、頭から血を垂れ流してぶっ倒れてたんだぞ!?何ともないのか!」
声は荒っぽいが心底から心配しているリューマが尋ねると、セイムスは不思議そうに首を回しながら暫く考えた後、
「……そう言われても別に……いや、そう言えば……あの女に何かされかけて……ジャニスのことを思い出して……あれっ!?」
そう言いながら振り向く視線の先には、首をもがれて動かなくなったバンシーが俯せに倒れていて、彼は驚愕し死体を眺めながら我が身を見る。
護手の指先には返り血がこびりつき、乾きかけて茶色に変色している。いや、それどころか肩口には鮮血が滴り革鎧に付着していた。
「うおっ!?な、何なんだこれ……自分の血……?いや、どこから……?」
鼻血は既に止まっていた為、セイムスは耳からの出血に気付く様子もない。やれやれと思いながらアラミドが説明しつつ耳を拭うと彼はそんなことが……、と省みつつ、
「……【魔道印式】…………それじゃ、千人から選ばれたって話はそれだったんでしょうか……」
「何だい、その千人ってのは……」
アラミドは何かの糸口になるかと身を乗り出すが、後ろから現れたドルクに気を使い身を引いた。
「おー、おー!!アンちゃんやるねぇ!バンシーか?そいつは……首無いけど……まぁ、しかし戦果確認だな!!……見た目は若いねーちゃんだけど、首から上は婆ぁだから見えなくて万々歳だがな!!」
言いながらセイムスの背中をバシバシ叩きつつ、イーにバンシーを任せつつ手にした紙片に詳細を記載し、紙束へと纏めて仕舞い込み、
「バンシーからはティターンはあんまし採れないが、まぁ気にするなって!これでも戦果は戦果!!アンタの一番槍は間違いないんだからな!」
「そ、そうなんですか……まぁ、別にいいですが……」
セイムスとそう言葉を交わしたドルクはさて、と句切りつつ咳払いし、
「……で、アンちゃん、このまま討伐を続けるかい?」
そう言いながら仕切り直しの有無を確認した。
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それからは一方的な展開が続いた。
次の相手を先に見つけたアラミドは、ハンドサインのみで部屋の中の様子を伝える。
(2、左右、手前左、奥右)
頷いて右手奥の相手をセイムス、そして遅れて部屋に踏み込むリューマが左手前の相手をすることにし、互いに目配せで合図する。
どんな相手か確認はしない。つまり、アラミドからみて脅威度は低いとの判断だろう。しかし初心者向け迷宮で……危うく死にかけた身である、油断はしない。
掌を上に挙げていたアラミドが指先で小石を部屋の出口側へと弾き、乾いた音を響かせた瞬間、掌を前に倒した。
ぐんっ、と前のめりに加速し、そのままの勢いを維持して抜刀する。
左側に黒い影が見えたが無視して右奥へと跳躍し、目の前で振り向いた黒い肌の人影に殺到する。
手には自分と同じ長さの短剣、いやそれを二刀流で持った相手が剣を交差させて防御体勢を取る。その姿は鎧に身を包んだように見えるが、注視すれば外骨格の鈍い光沢を放つ異質な異形である。
その頭部は鼻から下を布で覆ったように見えたが、それが剥がれた頭皮を垂らした醜悪な人外の類いと知り、剣に力が籠る。
身を沈ませて腕を振るい下から突き上げると、十字受けの構えを取っていた相手は交差していた両手の剣を跳ね上げられて無防備な胸部をさらけ出し、セイムスは次の行動に移ろうとするが、
……にやり、
その人外の眼は狡猾に歪み、哀れな犠牲者を捉えた至上の悦びを湛えていた……つぎの瞬間、視界の端から両脇から突き出されたもう一対の手が掴む短刀が煌めき、セイムスの心臓目掛けて
ぎぃん!!
突き上げに使った護手の裏拳を振り下ろし、二刀を乱暴に叩き落とす。余りにも強烈な打撃に体液とおぼしき液体を撒き散らす手を振りながら踵を返そうとした人外に、圧倒的な切れ味を誇る片手剣を振り下ろす。その一撃はやや身体を捻り掛け走り出そうとしていた相手を見事に捉え、一直線に切り抜ける。
側頭部から肩口まで縦割りにされた相手は身を翻せずそのまま倒れ込み、動かなくなった。
僅かな瞬きする間にそれだけの斬り合いを繰り広げていたセイムスと違い、リューマはある意味余裕の防戦に徹していた。
最初から二対の腕を繰り出してリューマの防御を崩そうと画策したのか、火花を散らしながら幾度も巨大な籠手に斬り掛かる人外だったが、彼の方は意にも留めている風にも見えず、
「セイムス!派手に終わらせたな!……まぁ、こちらはこちらのやり方で……!」
言うや否や、肘まである籠手を左右に振り払う。その先端に付いたトゲが二本の短剣を叩き落とし、しかし人外は流れる体勢を気にせずそのまま手にした短刀をリューマの胸目掛けて突き立てるが、
「……何をしている?……そんな突きで……俺を殺せると思ったか?」
分厚い胸板に突き立った短刀を意に介さず、リューマは両手の籠手に付いたトゲを一直線に振り抜く。
ごぎっ、どずっ、
左手の籠手が額を打ち抜き、右手の籠手は胸部へと突き刺さる。
「……あぁ、悪い悪い……今日はセイムスのお守りで来ていたな……まぁ、気にするな……っ!!」
最後は両手を握り締め、上部から叩き落とすと……相手は立ったまま腹部まで頭部をめり込ませて、絶命した。
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「さてさて……【四つ腕】二体にレッサードラゴ(ドラゴンの幼体に似る。肉は美味)五体……それにバンシー及びオウルベア……アンタ、本当に駆け出しなのかい?」
直接戦闘に参加はしなかったアラミド以外は返り血と肉片を随所に付けたまま、走り去るイーを見送っていた。ドルクは初戦に立ち会ってきて初めての戦果に呆れ返り、過剰採掘だ!!と皮肉を言ったが、
「まぁ、それはそれとして……アンちゃん、お疲れ様だな!どうだ?これなら早速祝杯に……なんだよ、あんたら?」
ドルクの言葉に苦笑するセイムス、そして彼をつついてはニヤニヤと笑うアラミドとリューマの姿に戸惑っていたが、
「……あっ!もしかして……あ~そうかそうか……アンタ新婚さんだったっけ!?あららぁ~そりゃまたお疲れ様!!一戦終わってまた一戦かいっ!!いやはや妬けるじゃねーの!!がははははははははッ!!」
噂の主の身の上を思い出して、景気つけの殴打を背中にバシバシと叩き付け、迷宮の出口へと進むドルク。その姿を目で追いながら片手剣を鞘ごと外して肩に掛け、セイムスは歩き出した。
ジャニスの元に帰るため、セイムスは必ず勝つ……こうして彼と彼女の物語はゆっくりと進みます。




