隣の部屋に剣聖さんが越してきた
多種多様な種族が当たり前のように集う中央都市は、広大な平原の真ん中にどでんと構えた巨大な街です。そこにやって来たセイムスとジャニスは新居の集合住宅に荷物(数える程もない質素な量でしたが)を運び込むと、まずは隣の住人に挨拶にやって来ました。
トントントン。少しだけ早めの朝に扉を叩く音。
「ふあああぁ……あなた、お客さまよぉ……あん……♪」
グラスが身を起こす前に妻のアラミドが欠伸をしながら、彼に来訪者を告げるがお互いに裸だったので自分が見に行くことにする。最後の声は肘が彼女に当たっただけ……わざとじゃないよ?
そう独り思いつつ、彼はとりあえずズボンを穿き、上着に袖を通しながら子供部屋(これが欲しくて越した物件だった)の前を通り玄関に向かう。こんな時間にお客さん?う~む、心当たりが無い……正直にそう思いながら扉の前に立ち、
「はいはい今開けますよ……さて、どちらさんで?」
ガチャ、と閂を外しながら扉を開けると、一見すると誠実そうな男性と、自分達と同じ獣人種の女性が彼の後ろに隠れ気味になりながら立っていた。
男性の方は背丈も体格も平均的で、柔和そうな顔立ちは育ちの良さを感じさせるが、良く見ると眼の奥に力強さを持っていた。それは何故か……と考える必要はなかった。目の前の男性は典型的な身体を動かす特有の仕事……それも、武器を使う職業か、と思わせる体つきをしていたのだ。
「朝早くから申し訳ありません!……隣に越してきた者ですが、ご挨拶に参りました……お時間ございますか?」
「え?あ、あぁっ!!そうなんですか!わざわざどうも!」
空き部屋だった隣に引っ越してきた、新しい住人だと判り思わず手を差し出すと、彼は臆することなくアラミドの手を握り返してくる。
暖かく柔らかな手の平ではあったが、右手の人差し指の付け根、そして手の平の右端に特有の【握りタコ】が感じられる。
彼も自分と同じ、剣を振るう職業か、経験者なのだろう。だが……左手が不可解だ。右腕同様の逞しさは見て判るのだが、利き腕が右なら……、
「……あ、これは失礼した!こんな所で立ち話も何だから中へどうぞ!」
……と、左手のことに集中し過ぎたせいで、二人が若干怪訝な顔をしたため、慌てて室内へと案内する。すると、
「パパ~!おかくさん!!だれのひと~?」
「あ!きれーなひと!ママくらいだけど♪」
子供部屋からバタバタと飛び出して来た息子のカーボンと娘のナノが、口々に言いながら騒ぎ出す。好奇心旺盛な二人には朝からお客さんが来たのが珍しいらしく、はしゃぎながらアラミドの後ろから何故か嬉しそうに二人を眺めている。
「あら?どちら様?……もしかして、新しいお隣さんかしら?」
廊下の奥から身だしなみを整えたグラスが髪を束ねながら、しなやかな身のこなしでアラミドの隣に立つと、
「はじめまして!私は妻のグラスと申します!もし宜しければ朝食をご一緒しませんか?まだなんでしょ?」
「あ!いや、……そうなんですが……自己紹介がまだですが……私はセイムス、そしてこちらが妻のジャニスです。はじめまして、グラスさん!」
「……あの、ジャニスです。その……皆さんと同じ犬人種です……」
セイムスと名乗る普人種と、アラミド達と同じ犬人種のジャニスは自己紹介をし、促されるまま居間へと足を進める。
二人を居間へと招き入れたアラミドは、座るように勧めながら自らもテーブルに付き、グラスが運んできたお茶を二人の前に置き、
「支度が整うまで、こちらを召し上がってください……高級品じゃありませんが、香りは悪くないと思いますよ?」
そう言いながらカップを手にすると、二人にウインクをしながら口をつける。
その姿に倣ってセイムスもカップを手に取り、
「……いや、悪くないどころか、とても美味しいですよ!ほら、ジャニスも頂いたら?」
気遣いからか人見知りからなのか、落ち着かなげに視線を漂わせていたジャニスも彼に従いおずおずと手に取り、そっ、とカップに口をつける。
一瞬固まった彼女が表情を和らげて二口目を啜り、
「……ホント、良い香りです……美味しいです!」
それを聞いたアラミドは嬉しそうに微笑みながら、気に入ってもらえてよかった!と答えながら遠慮せずに飲んでくださいね?と続けたのだった。
お茶を飲むジャニスに顔を綻ばせながら、セイムスは居間の調度品を眺める。質素ながら子供の居る家庭らしい柔らかな色調で統一された家具、可愛らしい飾り物の人形はグラスの趣味だろうか手作りの暖かさを感じさせる。
その中に混じり、見慣れぬメダルやトロフィーが幾つか見受けられ、アラミドが何らかの形で結果や成績を残した過去の持ち主だと判り、現在の暮らしぶりから推測出来る状況は落ち着いた生活を過ごしている……と想像できた。
「さぁ、支度が整ったから、あなたも手伝ってくださいな?」
グラスがキッチンから声をかけると、アラミドは立ち上がり、二人に声をかける。
「たいしたおもてなしも出来ませんが、今しばらくお待ちくださいね?……少々騒がしいかもしれませんが……」
アラミドがそう言うと、きゃーきゃー言いながら居間へと駆け込んでくるカーボンとナノの二人がアラミドの両足にぶら下がり、それを苦にもせずそのままでキッチンへと歩み去る姿に苦笑するセイムスとジャニスだったが、機嫌の良い時特有の耳の動きを見てとったセイムスは、彼女の頭を優しげにそっと撫でてから、
「いいよね、ああいう感じも……そう思わない?」
と、ジャニスに語りかける。そんなセイムスの言葉に少しだけはにかみながら、彼女も頭に載った手を握り返しつつ、
「……うん、何だか、あったかいね……」
と、続けて同意するのだった。
ゆっくりと、ゆっくりと、お話は続きます。