偽りの結婚式
やっと、やっと……書きたかったこの章のシーンへと辿り着けました。作者が書きたかった章の締め括り……ジャニスとセイムス、二人の運命は?……そして最後に見届けた者は果たして……!?
「ふ~ん、アンタら……《表の客》じゃなかったのか……そりゃ悪かったねぇ……ウチは『客を選ぶ』店だから、色々と目立たないようにしてんだ。気に障ったら許してくれよ?」
悪ぶる風でもなく、淡々と語る中年の女性は、ジャニスにジンジャーエール、そしてセイムスにはブラッドオレンジを差し出す。
「これは?……飲んでもいいんですか?」
怖々と彼女を見ながら窺うジャニスだったが、やだねぇ、若いのに慎重過ぎってのも考え物だよ?と前置きしながら、
「毒なんて入ってないから心配いらないって!他所はともかくウチの飲み物は全部手作りだから、仕入れも面倒なんだけどね……あ、酒もか!アハハハハ♪」
悪びれずに後ろの小さな樽や大きな瓶を指差して、冗談にとれないことを話しつつ女は自己紹介する。
「アタシはここの主人、アリィってんだ。ま、表向きは、ってとこだがね……二人とも……コイツが欲しくて来たんだろ?」
そう言うとアリィは引き出しの中から一枚の紙を取り出し、二人の前に差し出す。それは白い紙に清書された文書で、そこには土地に由来する人物の身元保証と確約が書き記され、統治者らしきサインと蝋印がきっちりと残されていたのだが、肝心な対象者の氏名だけは空欄になっていた。
「……こ、これって……『龍』の承認書じゃないか……」
「お?見ただけで判るかい?……だったら話は早いね。これが欲しかったら……一枚につき金貨十枚、寄越してくんないかね?」
ホーリィは事も無げに言うと、もう一通の同じ承認書を重ねて取り出して、更にもう一通を二人の前に差し出す。
「き、金貨十枚?……まともな大人が半年は遊んで暮らせる金額じゃないの!……それ、本物なの?」
「アンタ、なーにバカな事言ってんの!?……ウチは『闇の代書屋』なんだよ?本物な訳ないじゃん!これは蝋印以外は全部偽物!!……全部手書きの真っ赤な偽物に決まってるっつーの!!」
捲し立てるアリィに圧倒されるジャニスだったが、セイムスはその誓約書を眺めながら、ただ一言だけ、言った。
「……それ、二枚で金貨十二枚にまけられないか?」
「……プッ!?アハハハハハ!!あ、アンタ……自分の身分証明書を値切るつもりなのかい!?……全く豪気だねぇ~!!……気に入ったよ、オマケを付けて、十五枚にしてやるよ?」
呆れたジャニスは、最後の金額以外は聞き逃してしまったのだが、詳細を手短に話すアリィと、食い入るように聴くセイムスを脇目にジンジャーエールを飲み干していった。
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「ちょっと待ってよ!!何でいつの間に私とアンタが【婚姻証明書】に署名してるのよ!?」
ジャニスが食らい付くように叫びながら、セイムスの襟首を掴みガクガクと揺さぶっているのだが……理由はとても単純で、
【緑の若葉亭】から出たジャニスとセイムスは証明書の記載を眺めていたのだが、ジャニスが三通目の【オマケの書類】を見つけたのだ。
それは二人の署名が入った婚姻届けで、そこにはきっちりとジャニスとセイムスのサインが記載されていた……つまり、ジャニスは知らないうちに『セイムスと結婚』していたのだった……。
「これ、どういうことよ!?い、いつの間に私がアンタと……何でサインまで……!!」
「ん?……そんなのは、国境の関所を抜ける時に一番簡単で説明に困らない言い訳じゃないか……それとも……『主人と使用人』の誓約書の方がよかったのか?」
一瞬だが、セイムスは『主人と女奴隷』と言おうとして言い直したのだが、彼女にとってはどちらでも同じことだった。それにセイムスの付け足した言い訳、と言う表現も彼女の癇の虫に障ったのだ。
(……何よ何よ何よ……っ!!……よりによって私が……いや、それよりも何よッ!!『困らない言い訳』になるから婚姻届けが欲しかったの!?ふざけないでよ……っ!!!)
それから街を出るまで、ジャニスは一言もセイムスとは口を利かなかった……。
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……それから数時が過ぎ、夜も遅い頃になっても、ジャニスの立腹は収まらなかった。食べ物も受け付けず、飲み物も口にしない。
勿論セイムスが放っておいた訳ではなかったのだが、彼に対する憤りなのだから、彼が幾ら取り繕うとジャニスは不機嫌なまま。
セイムスはしかし彼女との対話を諦めず、彼女を伴って町外れにある小高い丘の中腹にある、大きな樹の下へとやって来た。
多少の時間も経っていた事もあり、ジャニスは渋々ながら同行した。セイムス曰く、「君に見せたいものがある」とのことであったのだが、彼は一体何の事なのかは秘密にして教えはしなかった。
「……ここに何があるのか教えないのは、私が喋らなかったことへの意趣返しのつもり?」
少しだけ不貞腐れたままのジャニスだったが、それでも夜更けの真っ暗な中、セイムスに付き従って歩く程度には機嫌は直っていた。ただ、まぁ……そんなことは大抵時間が何とかしてくれるのだが……。ジャニスは正直言って、ただ一言二言の【何か】が欲しかったのだが、実は彼女自身が何を言って貰えればわだかまりが消えるのか判らなかった……喧嘩の仲直り等も、余り経験のない二人だからこその……、
「…………ッ!?……こ、これ……何?」
ジャニスは最初、その光景の始まりに気付くことが出来なかった……そろそろ苛立ってセイムスに捲し立てる寸前に、彼女の鼻先を何かが横切って行ったのだ……しかし、その物体をジャニスは知らなかった。自然界に自ら光を発しながら飛ぶ者が居る……等と。
「セイムスッ!!これ……人魂じゃないのッ!?」
さっきまでの立腹は何処へやら……今は純然な興味に対する探求心のみで、瞳を輝かせながら彼の腕にしがみ付き、周囲に起き始めた《異変》へと目を奪われていた。そんな彼女の豹変振りに苦笑いしつつ、セイムスはただ、黙って成り行きの様を見守るのみだった。
……ポッ、ポッ……ユラユラ……それはまるで、小さな小さな灯りを持った、小さな小さな妖精が……集会へと集まるかのよう……
「……す、凄い……まるで星空が集まって来ているみたい……っ!!」
その数は幾千を超え、万まで届く勢いに膨れ上がり、丘の中腹の大木を目指してうねりながら、波打ちながら……集まってくる。
「……ジャニス、上を見てみな?」
頃合い良し、と感じたセイムスの言葉で振り仰いだジャニスの眼に飛び込んできたのは……、
「………………き、樹が光輝いてるぅ……ッ!!」
……ジャニスが眼にしたのは、樹上に集まってきた【それ】が、樹に取り付いて明減しながら光る姿だった。
「これはね、《ホタル》って虫なんだよ……昔の人は、人間の魂が死語の世界に向かうまで、現世でホタルの姿を借りて暫く滞在し、成仏する時にこうやって集まり……消えていくって信じてたらしいけど……どう?」
「……これを、私に見せたかったの……?」
確かにこの素晴らしい光景は、彼女の決して長くはない人生経験の中でも突出してはいたが、しかし……それとセイムスに言ってほしかった【何か】と一致していたとは、思えなかった。
「……いや、勿論見せたかったことには違いないけれど……これを受け取って欲しかったんだ、此処で……」
そう言うと彼は腰に付けた小さな雑嚢から小箱を取り出すと、彼女に渡した。
「……なにこれ…………開けても?」
無言で頷くセイムス、そしてホタルの輝きに照らされながらジャニスはその小箱を開けた。
「…………こ、これって……指環?」
「……そう、母さんの形見の指環なんだ……これを君に渡したくて……」
「ち、ちょっと待ってッ!!……そんな大切な物を、何で私なんかに……」
当然の反応に戸惑うこともなく、セイムスは落ち着き払いながら、ジャニスに語りかける。
「それは、死ぬ直前に母さんが小さかった俺を呼びつけて、『もうじき私は死ぬかもしれないから、これはお前が預かっていて欲しい』と言ってきたんだ。小さかった俺は全く理解できなかったけれども、真剣で頑なな母さんの表情に気圧されて受け取ったのさ。……その時、『……もし、お前に大切な人が現れたら、必ずそれを渡してあげなさい』とも言っていた……だから、俺は……」
「……それを、君に預ける。……今はまだ偽物の妻から、何時か本物の妻に成る時の為に……」
ジャニスは、自らが気付かないうちに涙を溢していた。その涙は彼女が異性の前で、自分の感情を晒し出して初めて見せた涙だった。
「……馬鹿だよ、セイムス……そんな大切な指環を……犬人種なんかの私に……渡しちゃうなんて……、ほ、本当のばかやろうだよぉ…………」
手の中に指環を握り締めながら、彼女は泣いた。セイムス相手に勝つことが出来ず、落伍者として追われた。
彼と短いながら一緒に行動し、彼の好意に戸惑い、共に逃げ回り、時に救われ、喧嘩をし、意地を張り、訳も判らず反発しながら……そして最後に受け取った指環と共に、セイムスの言葉を胸に抱きながら、ただひたすらに、訳も判らぬまま……泣いたのだった。
……ちなみに《緑の若葉亭》の女主人のアリィが提示した【オマケ】とは、この樹の情報の方だった、とジャニスは聞かされて、セイムスを軽く小突いたのだが、それはあくまで蛇足である。
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「……て、感じだったよね、うん。確か……」
指に嵌まった銀色の指環について聞かれたジャニスは、目の前に座っていたカミラにすっかり話してしまっていた。
(……う、まだ誰にも話したことなかったのに、たった一切れの林檎の焼き菓子でコロッと買収されちゃったよう……セイムスにバレたらどうしよう……)
そう思いながらカミラの方を見たジャニスは……石になった。
「……ひいいいいいぃ~ん!!マジで純愛なんですけどッ!!ジャニス、いやジャニス神!!えぇ、もちろん貴女はもはやヒトの領域を脱したのよ!!ジャニスto愛の女神……略してジャニ神様ですからっ!!」
……そこには興奮の余り、髪の毛を逆立てながら頬を紅潮させて身悶えしつつ……うっとりとしながらも(器用に)真面目な顔をしながら捲し立てる……一匹のラミアが転がったり立ち上がったりしていた……。
……こうして、本当にやっと、『二人の偽物の夫婦の物語』が、幕を開けたのでした。
……えぇ、色々と詰め込ませて頂きました。そして……恋愛脳のゲストが綺麗にキッチリと締め括ってくれました(笑)。さーて、ボーナストラック、書きますか!!




