追跡者
さぁ、しっかりと付いてきてくださいませ!
「……ねぇ、行く先の宛があるの?」
ジャニスは前を歩くセイムスの背中に問いながら、自らの背嚢から取り出した替えの遮蔽布を頭から被り、耳と顔を隠した。単独行動する際には必ずそうしていたし、それに……何となく恥ずかしくて顔を見られたくなかった……からだ。
「……宛?ん……それは……特にない。『龍』へは向かわないが……『中央都市』ならどうだろうか?」
「……中央都市……ねぇ……何度かは行ったことあるけれど、良く覚えていないわ。それに……任務以外ではあまり遠くまで行ったことなかったし」
そう言うとジャニスは周囲を窺いながらセイムスの横に並び、前を向いたまま歩く。そうすると気持ちが落ち着いてきて、冷静に事態を考えるだけの余裕が生まれてきた。
(……今まで生きてきて、誰かに告白されたことなんて一度もなかったのに……それがよりによって、人生最大の敵に、だなんて……)
……非常に残念な程、彼女は鈍感且つ感受性が乏しかった。自分の魅力に気付かずに生きてきて、その薫り立つような魅力は大抵の女性なら普通に備えて当然のもの、と特に気にすることもなかったし、男達の厭らしい眼差しには嫌悪感しか抱いてこなかった。
しかしそれも仕方ないだろう。幼少期はニケと共に訓練と実地に明け暮れ、初めて人を殺めたのは十二歳の頃だったし、それからはひたすらに……自らの魅力を磨くよりも腕を上げて生き抜くことに精一杯だった。もし、素顔を晒して異性の前に立ったとしても、自らの容姿に見とれることは【隙が生まれて殺し易くなって好都合】位にしか捉えられない程の……実に痛い娘だった。
だからこそ、セイムスの衝撃的な言葉と行動は、彼女の乏しい感受性に染み入る迄には至らず……軽い違和感と、ホンの僅かの恥ずかしさを意識するだけだった。つまり、彼女は……困惑しながらも、自身の身に降りかかった不調の原因究明の為のみで、セイムスの後を付いて進むだけだったのだ。
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「……何か来る……騎馬?……あんた、道から離れて藪に入って!」
ジャニスはセイムスの腕を引きながら、足跡が紛れるように細工を施してから道を外れ灌木の中を進み、わざともと来た方角へと向かった。
すると暫く後に地響きを伴いながら三騎の騎馬が走る姿が認められ、二人は茂みの中に身を隠す。すると彼等が藪に姿を隠した辺りでグルグルと周辺を見回し、一人が降りて足跡の痕跡を確認していたがやがて仲間に声をかけ、もと来た道を引き返して行った。
「これで少しだけ時間は稼げるけれど……あれ、ドラゴラム正規軍の軽騎兵だったわね……」
「ああ、確かに……しかし、サボルト達から離れてまだ半日も経っていないのに……早過ぎる……」
ジャニスの指摘に舌打ちをするセイムスだったが、彼も彼なりに……《痛い奴》だった。根は実直なのだが、余りにも実直過ぎる上にジャニス同様の感受性の無さが災いし、【剣聖】と呼ばれる程になりながらも未だに自分の評価を過小に思い込んでいた。
彼は騒動が露呈して少なくとも一日位は動きは無いと勝手に予想していたが、それはまず有り得ない訳なのだ。なにせ国から見れば《一騎当千の危険人物が国を見限って徘徊して》いる、としか思えない状況であり、しかも彼は大陸一と言われる程の使い手なのだ。好き勝手に歩き回られて……「よし!何となく支配者を皆殺しにしよう!!」等と血迷い突然、王宮に忍び込まれでもしたら……笑うに笑えないのだ。
「仕方ないわ、とにかく今夜は動き回らずに……ん?」
ジャニスは言いかけて言葉を切ると、茂みの上に身を現して背伸びをすると、遠方から馬車が彼等の方へと進むのが見えた。騎馬とは違う音と振動、そして速度が表す意味は……、
「……ツイてる!あれ、隊商じゃない?便乗出来れば追っ手の眼を欺けるわ!」
そう言うと、無表情だったジャニスは満面の笑みを浮かべながら馬車の前へと躍り出て、馬車を停めると先頭の御者へと駆け寄り二言三言言い交わした後、親指を自らに振り向けながら、
「……早く乗って!この親切なヒトの気が変わらないうちにね!」
とわざとらしい位に高らかに叫び、セイムスを促した。
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「……なるほどねぇ……そりゃ、難儀だったねぇ……まぁ、ウチのキャラバンは身内だけの小さな規模だ。急ぐ訳でもないし、適当に大人しくしてれば何も言わないさ……」
先頭の高齢の御者は、キャラバンの主人だったようで、その言葉の通りの二台だけの質素な規模だった。だが運の良いことに二人が進んできた方角とは直角に交わる街道を進んできたらしく、騎馬とすれ違うことや誰何されることもなかったようだった。
つまり、ヒトの良すぎる主人がジャニスの「仲間と喧嘩して馬車から放り出されたが、こっちの男が気にして付いて来てくれた。とりあえず街まで行ければどこだろうと構わない」と言う適当な言いくるめを丸々信じてくれたお陰で、このキャラバンに身を隠して進めば、再度騎馬に出会う確率はかなり低いだろう。
「ところで後ろの馬車には誰が乗ってるんですか?」
後ろからきゃあきゃあ騒ぐ声が聞こえたジャニスが訊ねると、主人の息子夫婦と子供らしく、小さな男の子がこちらに向かって何か言っているようだった。
「……まぁ、まだ四つにもならんからねぇ……イヌ耳さんが珍しくて騒いどるだけじゃろ……まぁ、べっぴんさんじゃがなぁ……」
そう言うと主人はほろほろと笑いながら馬車を進めつつ、夜になったら狼避けの夜警の番を交替でするので寝られる時は遠慮なく寝ておきなさい、と言われてジャニスは素直に丸くなり、背嚢を枕にスヤスヤと眠ってしまった。
(……なんて無防備なんだろう……でもそれは、今までは自分の強さをバネにして生きてきたからなのだろうが……今は俺のせいでその保証もない……)
安らかに眠る寝顔を眺めながら借り受けた上掛けを懸けてやると、……おねえちゃん……、と一言だけ呟き、寝返りをうった。
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「……まさか、その時変なことしなかったでしょうね!?」
夜警で小さな焚き火を二人して眺めながら、ついそのことを聞いてみたセイムスは、赤くなったジャニスが言う訳ないでしょう!私が幾つだと思ってるの!!と、逆に大人らしからぬ怒り方をし始めたので苦笑してしまった。剣を持たせれば三国一……でも素に戻れば只の御年頃……な犬人種の娘でしかない。
ジャニスは見た目は普人種の血が濃過ぎて、耳と尻尾、そして控え目な犬歯以外の外見的特徴は殆んど無い。セイムスにとってはそれも彼女の魅力の一つでもあり、不思議な所でもある。
普通の犬人種の外見的特徴は、かなり毛深く一見すると《二本足で歩くイヌ》である。しかし彼女は全く逆である。だがそうすると犬人種特有の普人種よりも高い身体能力は薄い筈なのだが、彼女の剣の腕前は……並の人間を軽く超越していた。それだけ見ても彼女の身体能力は常人の域に留まっているとは到底思えない……そう思うと、謎の多いジャニスなのである。
「変なこと?逆に聞くけど、それってどんなことなの?」
……こちらも謎だらけのセイムスが聞き返すと、ジャニスは収まった筈の火照りがまたぶり返して頭から火が噴きそうになる。
「ば、バカなんじゃないのっ!!……そそそそんなこと言って……私にそんなことさせようって魂胆なんでしょっ!?信じらんないっ!!」
通常営業のジャニスはそう言いながら、照れ隠しにボフボフと次々に薪をくべて黒煙を巻き上げる……同席していたセイムスは大迷惑である。
「……ッゲホッゲホッ!ジ、ジャニスさん!!そんなに焚き付けなくても……?」
咳き込むセイムスだったが、ジャニスは急に静まって無言になり、その瞬間……セイムスは【剣聖】になった。
「……敵ではない。そんなに激しく殺気をぶつけないで欲しい……私はニケ様の使いだから……な」
傍らに置かれた片手剣を掴むセイムスと、逆に声を聞いて落ち着きを取り戻したジャニスの前に立っていたのは、
「お久し振りです、ジャニス様。そして初めまして【剣聖】殿……私は巌鉄、ニケ様に仕える間者の一人です」
闇から湧いたかの黒装束を身に纏う一人の男だったのだが……その体型は長い尻尾と細長い手足……そして鉢金付きの頭巾を脱いで焚き火の光に晒された顔には細かい鱗がびっしりと覆う皮膚と、
「……ほほぅ、その顔は爬人種を見慣れてないようですな……ま、特に私のような【稀少種】となれば……仕方ないですが」
……巨大過ぎて頭の半分程を占める眼球が動く度、肌の鱗が微細に色を変えて蠢く様にセイムスは眼を奪われていた。
……と、彼等の物語は続きます。ゆっくりと……ではなく、急ぎ足で更新させていただきます。