殺人拒絶症
何かをきっかけに、急に出来ていたことが出来なくなる……そのスイッチは人それぞれです。
さっきまで降り続いていた雨は、小降りになり……止みかけていた。しかし、その場に居た者は、一人として雨宿りなどしなかった。何故ならば、二人の闘いを見届ける為に、眼を瞑ることすら厭わぬ者しかいなかったのだから。
「……俺は、一目惚れした相手と戦いたくない。勝ちたくない……戦えばきっと勝ち、そして君を殺してしまうから……」
「……油断させて、隙を突くつもり?……幻滅した……。まさか【剣聖】なんて呼ばれる傑物が、そんな世俗的な手を使うつもりだったなんて……」
「違うッ!!……君は……自分の美しさが嘘だ、なんて言うつもりか?」
セイムスの言葉に我を忘れたジャニスは、暫し固まり動きを止める。
「……はぁ?……さっきからグダグダと……アンタ、何を言ってるの?……いい加減にしないと怒るわよッ!?」
だがそれでも尚、セイムスは言葉を続ける。それは……彼が生まれて初めて感じた気持ちを正直に吐露する為……そして、
「……怒っても構わない……いや、好きな相手に殺されるなら俺は……喜んで心臓を捧げよう……!」
そう言ったセイムスは自らの防具を脱ぎ捨てると、服をはだけさせ胸元を露出させ……左の胸を自ら指し示し、
「……さぁ、刺してくれ……君と歩めないなら俺は……生きていく自信がない……」
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「……愚か者が……ねぇ、そんなんで本当に……アンタは【剣聖】なの……?」
がしゃん、と音を立ててジャニスは鉈を取り落とすとそう言いながら、一歩踏み出してシャムシール(曲刀)を手に取り、
「……これで、貫き通せば、アンタは死ぬわ……それでも本当に、構わないって言うの!?」
怒りを露にしながら切っ先をセイムスの心臓へと宛がい、ブルブルと震わせながらも呼吸を整えた後、
「……じゃ、死になさい……弱くて馬鹿な【剣聖】ッ……っ!?」
ジャニスはそう言うと、力を籠めてシャムシールを押し込んで……、
「くぅ……で、出来ないッ!?……そんな、そんな筈……嘘でしょ!?」
……貫こうと幾度も試みたのだが、切っ先は全く動かせなかった。そして自分でも判らないうちにジャニスは震え始めていた。
「……う、うううぅ……おかしいよぅ……出来ない……刺せないよぅ……どーして?……どーしてなのッ!?」
……ジャニスは叫ぶ。訳が判らなかった。人の身体の構造は理解している。実際に見たし開けさせられた。だから……突き刺せば目の前の【剣聖】は血を流して死ぬ筈だ、判ってる……でも、でも……、
「……ジャニス、その辺にしておきなさい……申し訳ないね、【剣聖】さん」
傍らからニケの手が伸びて、ジャニスの手からシャムシールを掴み取る。
「本当は私がこんな風に手を出すのは御法度なんだけど……こうもジャニスが《壊れちゃう》と……ねぇ?」
「……判んないよぅ!!出来ないよぅ!!……ねぇ、どうして……なんでっ!?」
ニケの腕の中で繰り返し絶叫するジャニス、そして立ち尽くしジャニスの姿を黙って見続けるセイムス。
三人を見守っていたサボルトは彼に近付くと、肩を軽く叩いてから腕を掴んで引き寄せて、
「……なぁ、セイムス……お前、本気の仕業なのか?……事と次第によっちぁ……相手の国だけじゃなくて、『龍』まで敵に回すことになるぞ?」
「…………怖くはない……でも、彼女が居なくなることの方が……怖い」
「あちゃあぁ……ダメだこりゃ!……ウチの【剣聖】様も重症!!……病名は《恋患い》!!……はぁ、守護剣士群に何てホーコクすりゃいいんだよ、とほほ……」
サボルトはおどけた口調で言いながらセイムスを引っ張っていき、馬車が居た場所まで戻る。
(……さて、それぞれの馬車が再びやって来るのはざっと見て……半時(三十分程度)か……俺が代わりに……は、無いか。……死にたくねーぞ?)
サボルトはチラッとジャニス、そしてニケの方を見る。
未だに声を枯らさんばかりの勢いで繰り返しているジャニス……ニケはと言えば彼女の肩を抱きながら、こちらの様子を窺うように見ている。
(……【黒のニケ】なんかと一騎討ち?……冗談だろっ!?……ウチの部隊全員で挑んで、やっと五分五分の化け物相手にムリムリ!!)
【黒のニケ】とは、表立って語られる事はない。何故ならば様々な報告書に太く黒い字で『ニケ・ロングテールとは単騎で戦うべきではない。無謀な行為で自殺に等しい。』と必ず追記されることから付いた渾名である。
サボルトのような個人技よりも集団掌握に秀でたタイプには、絶対に近寄らず離れたい相手であり、出来るなら円周防御を固めながらジリジリと後退するべき相手である。
「まぁ、仕方ないか……こうなったら、血を流す覚悟を固めなきゃ……か?」
そう呟くと、セイムスに「とにかく今は動くなよ?判ったな?」と言い付けてから、ニケ達に近付く。それに呼応するかのようにニケはジャニスに「……動かずこのままここに居て頂戴……判った?」と言ってから、彼女から離れて足音を立てずにサボルトへと近付く。
「……済まない、ウチの青春おバカがやらかしちまって……面目無い……」
「いえ、ウチのジャニスだって……あーなるなんて予想もしてなかったわ……」
二人は互いにそう言うと、各々が身に付けていた武器を手に取る。サボルトはセイムスと同じ官給品の片手剣、そしてニケはいつの間に手にしたのか、鋭いクナイを構えて、
「……まぁ、こうなるか?」
「えぇ……これが最善策でしょう」
両者は無言のまま、サボルトは上段、ニケは背中に回して隠すように構え、
「……御手柔らかに」
「……お覚悟……!」
……一瞬で間合いを詰めた。
それでは次回もゆっくりと進んで行きます。