セイムスとナノ
小さな女の子(推定四歳)のナノ。コボルトと言って侮るなかれ。草原を集団で音もなく進み、言葉も使わずに獲物を追い詰めて狩る……あれ?これって……現代戦術のサーチアンドキルじゃないの……?脱線しましたが、今回の主人公はナノちゃんです。
小さな犬人種のナノは、両親似の可愛らしいコロコロとした印象の小さな女の子。母親そっくりの綺麗なたてがみが、うなじから(たぶんきっと)背中、そしてお尻から尻尾までふさふさモフモフとしているのだろう……確かめられないけど。
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「おにーたん、ナノのことジロジロみてる……なんでしか?」
ナノはそう言うと、元【剣聖】のセイムスを訝しげに見ながら繋いでいた手をぶんぶんと振り始める。
「おっ!?い、いや……お母さんに似ているなぁ、って……思ったから……」
「んふぅ♪そりゃあ、あたりまえでしッ!!だって……ママはれっきとした【じゅんけつしゅ】のコボリュトなんでしッ!!」
そう言いながらスタスタと先に歩き出すナノ。彼女は母親の手作りの白いワンビースを着て、颯爽と往来の真ん中を進む。
セイムスは手を離して意気揚々と歩むナノを眼で追いながら、さっきのナノの言葉を改めて反芻していた。
【じゅんけつしゅ】……そう、ナノとグラス、そしてアラミドとカーボンは純血種の犬人種。彼らは色濃く種族の特徴を備えた、荒野を走り抜ける猟犬と人との混じり合った亜人の末裔達なのだ。
……人が築き上げた文明社会の特徴は、労せずして食物を得られる複雑な相互関係の連鎖。それは鮮度が落ち易く、噛み千切るのも一苦労な未調理の生肉を、長期保存出来て柔らかいままを保てる加工肉へと変え、更に容易に手に入れられる交易等を、交代しながら次代へと繋げ続けられる事である……いや、肉だけではなく種類を問わない多くの食物を筆頭に、そうした社会構造が与えた変化は、全ての共生する人種に様々な恩恵と……種特有の特徴を希薄化させていくのだ……無色透明の毒素のように。
便利、安全、快適……これらは人口を爆発的に増やす代りに、種としての独自性や能力を平たく均一化してしまう。例えば市場に並ぶ安く買える魚を、わざわざ危険を冒して潜り、手掴みで捕ろうとはしなくなるように……。
……ま、こんなことを脳筋セイムス君が理解している筈もなく、ただ《純血種って人間と違う能力があるけれど見た目がスゴく犬っぽいな……》程度だったが。
「……なぁ、ナノちゃん……君達から見て、ニンゲンって何なんだい?」
「んっ!?おにーたん、ニンゲンなんでしからっ、わからんないの?」
「……いや、判らんない……ことはないけど……数が沢山居る……かな」
「ナノにもわからんないよっ!!でもパパは《にんげんは、いしゅぞくをつなげるはしわたしやくだ》っていってるよ、いっつも!」
あっけらかんとそう言い捨てると、ででででっ♪と口ずさみながら暫く突き進んだナノがパッ、と振り向き、
「おにーたんっ!おにくやたんっ!!ついたっ♪」
またまたビシッ!!と指差す方向には確かに看板代わりの吊るされたベーコンや乾燥腸詰めが目印の肉屋が現れた。これで連続正解三軒目、ナノの方向感覚とアバウトながら地点暗記能力を見せ付けられていた。
「う、うむむ……スゴいね……ナノちゃん、お母さんから全部教わったの?」
「……?ちがうよっ、ナノ、みてきいてかいでおぼえたのっ!!」
「あ、あぁ……嗅いで、ねぇ……確かに、そうなんだねぇ……」
彼女の鋭い嗅覚と、グラスとのお買い物にくっついて回った際の記憶のみで、小さな女の子のナノは彼が舌を巻く程の有能さを見せつけているのだが、
「……おにーたん、ナノ、おなかすいた……」
……まぁ、集中力は小さな女の子だったのでした。
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「おっ!?ナノちゃんお使いかいっ!!グラスさんも思い切りがいいなぁ……」
「ちがうのっ!!きょうはおつかいのあんないなのっ!!」
「……んんぅ~?」
そんなやり取りを店主と交わすナノに苦笑しながら、グラスにアドバイスと共に手渡されたメモ通りの品々を購入し、ついでに端に書かれた、
「ナノはハムよりもソーセージが好きみたい♪」
そんな走り書きを横目に、隣のパン屋で二つの白パンを買うと、彼はナノと一緒に昼食を摂ることにした。
市場からほんの少しだけ離れた場所に、河が流れていて周辺は涼しげな風が吹き抜けていた。その川沿いに生えた樹の下に陣取ると、手にした白パンをナノに手渡して膝の上に座らせる。
「いただきましっ!!はむっ……まむもむ……っ!」
両手に持ったソーセージパンに勢いよくかぶり付くナノ。大きく口を開けてパンとソーセージを一緒に噛み千切ると、ゆっくりと噛み締めながら目を瞑り黙々と咀嚼し、やがてうっすらと目を開けながら、うんうん……と何故か頷いている。するとセイムスの鼻先をたてがみと耳毛がこそばゆくくすぐるので、彼は全く食事に集中出来ないっ!!
……だが、彼はとても寛いでゆったりとした気分だった。なぜなら、こうして小さな子供と触れ合いながら、風に吹かれて木陰に座ることも今まで一度もしたことがなかったから……。
ジャニスと戦う前日も、一日十二時間の日課の稽古と鍛練をしていた。周囲からは(セイムスは動きを止めると死ぬ呪いが掛けられている)とか、(背中のボタンを外すと中から本物のセイムスが出てくるのを隠すため止まれない)等と陰口を叩かれたものだが、半分は当たっていたのだ。
……セイムスは怖かったのだ。稽古や鍛練を止めた次の日に、もし敗北したら……と思うと止められなかったし、彼は稽古に明け暮れて必死に【剣聖】の仮面を株っていないと……彼の心の奥底に棲む本当のセイムスが顔を出してしまうから……。
「おにーたん、かお、こわいこわいだよ。……どーしたの?」
ナノは不思議そうに見上げながらセイムスにそう言ったので、彼は慌ててソーセージパンにかぶり付く。
その瞬間、やや緩くはなったけれどまだ仄かに温かみの残った肉汁がぶわっ、と弾け飛び、口の中を満たしていく。薄い腸詰めの皮が破けて脂身と肉の旨味が溶け合い舌の付け根まで浸透するように広がると、パンの香ばしさと一体となりシンプルな組み合わせの旨さを極限まで引き揚げていく。
……確かに、これは美味しい。いや……果たしてこれまで一度として、食べ物の旨さを実感しながら食事したことがあったのだろうか……記憶を遡ってみても、思い当たる節は見当たらなかった。
「おにーたん、いいおかお♪うまうまだよね、そーせーじ!!」
そう言うとナノは最後の一口をぽいっ、と口へと放り込み、もにゅもにゅと食べ終えてから、
「うまうまっ!ごちそーさまでし!」
ペチンッ、と手を打ち鳴らしながらそう言うと、しかしクルッと未だ最後の一口を残していたセイムスの方へと振り向くと、素早く背伸びし大口を開けて掴んでいたパンにかぶり付き、ばくんっ、と奪い喰ってしまった。
「うわっ!?……ひどいなぁ……もう!」
「……ん?ナノはいっつもこーやってカーボンと《じゃくにくきょーしょく》してるよ?パパやママも【自分のとりぶんは自分でまもるのがこぼるとのおきて】だっていってるもーん♪」
セイムスは膝の上でニヒヒ♪と笑うナノを、しかし怒ったり憎らしく思ったりはしなかった。コボルトにはコボルトの流儀があり、それは決して他の種族が干渉すべきことではないだろう。彼女は小さいながらもそれを実践しているに過ぎない。
「……ま、いーか!ご馳走さまでした!さぁ、買い物の続きに行こうか!」
「うんっ!おにーたん、はぐれないよーに《しっぽをゆらして》ついといでね!!」
ナノは彼等流の祝詞を口にしながら、ででででっと走り出す。転がるように危なっかしく走りながら、何故かケラケラ笑いつつ……そんなナノの姿を追いかけるセイムスもまた、つられて笑ってしまっていた。
二人は爽やかな川面の風を身体に感じながら、次の目的地へと向かって行った。
いやはやしかしレビューいただけるとは思っていませんでした……頑張ろう俺。しかし次回もゆっくりと話は進みます。