7
「ただいま…」
帰って来る途中に怒りも治まり、玄関のドアを開ける翼。
そのまま緑の部屋へ行く。
部屋に入ると相変わらず寝たままの緑、そして、緑の顔を覗き込んでいる優乃がいた。
「優乃」
「……あ。あ、おかえり。ごめん、気づかなかった」
「ううん、緑のこと見ててくれてありがとう」
「特に変わった様子はなかったよ…まぁ、魘されてはいたけど…」
「そ、う…」
「?どうしたの?顔色、やっぱり悪い…」
長年の付き合いというほどでもないが、同じ時期にリリーフに入り、その後も仲良くしている為、お互いのちょっとした変化には気づく。
そして、お互いわかっている。嘘をついても、バレることを。
最も、翼の持つ異能『嘘』があれば騙すことなど簡単ではあるのだが。
「……あんま、気分良くない話聞いてね。私もまだ心の整理ついてないし…もうちょっとしたら、言うね」
「……嘘じゃないみたいだし、わかった。良いよ。……緑君については?」
「放っておけばどうにかなるだろう、だって。ほんと、あいつらしい…」
「じゃあ、とりあえずは大丈夫なの?」
「うん。……リビング行こっか。喉乾いたでしょ?」
「そうだね…少し、疲れた…」
「はい。ハーブティー、好きでしょ?」
「よく覚えてるね。……うん、この香りが。好き。翼の入れてくれるものは、特別大好き。…安心できる」
「良かった。…そう言えば、優乃。情報としてのお土産ってなんだったの?緑が倒れてたから、すっかり忘れてたけど」
「あぁ…。……あのね、迷える強い異能者の1人にちょっと情報源になるような子がいて…割とおとなしい感じなんだけどね。詳しい話は聞けていないけど…けっこう、知ってるみたいで。エクストラの事とか。どうやってかはわからないけどね」
「!!もしかして」
「うん。翼が欲しがってる情報の手がかりになるかもしれない。緑君がいたらっていうのは、緑君の記憶の手がかりもあるかもしれないと思ったから。その人自身、少し記憶をなくしているからね」
翼は、リリーフに入った頃からずっと欲しい情報があり、それに関する依頼を優乃にしていたのだ。
なかなか手に入らず、少し焦ってもいたが、少し情報が手に入れるかもしれないと言う事で翼は頬を緩める。
優乃は、少し躊躇いがちに翼に話しかけた。
消え入りそうな、声で。
「……ねぇ、翼」
「うん?」
「リリーフに入った時のこと、覚えてる?」
「…いきなりどうしたの、優乃」
「ちょっと、気になって…」
「リリーフに入った時のことかぁ。ずっと白の事しか考えてなかったからあんまり覚えてない。まぁ、ただ、藁にもすがる気持ちだったよ。白の事、どうにかできるかもしれない可能性があるのはここだけだったから。…どんなに時間がかかっても助けるって決めたけど、それでもできる限り早く助けたかったしね」
「…リリーフに入る前は?」
「前?んーー、あいつと一緒にいただけだしなぁ…特にこれと言ったことはないよ。ただ、ひたすら白を取り戻すんだって意気込んでたと思う。白がいなくなって、しばらく落ち込んでたからね。……急にこんなとか聞くなんて、どうかしたの?話なら聞くよ?適切なアドバイスができるかどうかは別で」
優乃はじっとハーブティーの入ったカップを見つめていた。
翼は急かすわけでもなく、ただハーブティーを飲んでいた。
部屋には、時計の音が響いていた。
しばらくして、優乃は口を開いた。
「……ずっと前にね。決めたことがあるの」
ぽつり、ぽつりと。いつものような明るい表情ではなく、暗い表情で。
「絶対に、それを成し遂げようと思っていた。ううん、今だって思ってる。けど…最近、迷ってるの」
「……」
「それをやって、果たして…報われるのかなって。翼はさ…ずっと前に決めたことが、しばらく時間が経つうちに揺らいでしまうことって…ある…?」
翼はカップ内のハーブティーを全て飲み干し、カップを置き、優乃を見つめた。
「…あるよ。白の事で、何度だって悩んだ。あの子を助けようという私の気持ちに嘘はない。けどね…時々、思うの。もう、忘れてもいいんじゃないかって。あの子のために、色々辛い思いをしてきた。する度に、思った。こんな辛いなら、もう、しなくていいじゃんかって。全部忘れて、生きていけばいいんじゃないかって。何度も何度も、思ったよ」
「じゃあ」
「けど、結局、最初の気持ちを思い出すんだよね。白を助けたいと思ってた頃の自分を思い出すの。思い出すとね…不思議なことに、揺らいでた気持ちが落ち着くの。最初の真っ直ぐな自分に戻れるっていうか…その目標を目指してた自分を思い出せるっていうか」
「最初の…自分…」
「うん。最初の頃って、それのことしか考えないんだよ。けど、やってるうちに、あれ?って思う。これ、本当に合ってるの?みたいな感覚。たぶん、色んなことを見て、聞いて、最初みたいに単純な思考にならないんだよ。けど、最初を思い出す。最初は、いたってシンプルなことしか考えてない。だからね、私は最初を思い出すの。これからも、そうしていく。私がその目標を、達成するまでずっと。そうしないと、目標が達成できないから」
「……」
優乃は、年下の友人を見る。
––どうして、自分よりも年下なのに、この子はこんなにも強いんだろう。
それは、きっと、甘えないから。妥協しないから。
私は、甘える。目標を持っておきながら、心のどこかで、それを叶えられないものだと思っている。
けれど、この子は違う。絶対に、目標を叶えるという強い意志がある。
……私も、そうなりたい。そうしたい。
「……翼」
「うん」
「私にも、目標がある」
「うん」
「叶えるね」
「うん」
「周りがどんなに間違ってるって言っても…どんなに心を揺らされても。叶えなきゃ、意味がない」
「うん。応援してるよ。…ちなみに、その目標は」
「秘密」
「だよねー…まぁ、優乃が言うまで待つよ」
「驚かすよ。絶対にね。……あ、おかわり、ちょうだい?」
「はいはい」
––きっと、驚くよ。翼。私の目標は……あなたを1番驚かせるだろうから。