プロローグ
全治2ヶ月。
それは就活の解禁を2週間後に控えた俺に言い渡された無慈悲な宣告。
インターンシップを1社も受けなかった俺にとってはかなり大きなハンデとなることは間違いない。
天井から吊るされた足をぼんやりと眺めながら、今後のことに頭を悩ませ小さくため息をつく。
「なんでこうなるかね…」
思わず小さな愚痴が口から出るが、それに対する返事はない。
隣に目をやればそこにあるのは小さな空の花瓶。
入院することとなって早3日。
特に見舞いに来て欲しい、ということはないが…来たのが弁護士だけというのもなんとも虚しいものだ。
まあ、家族は既に他界して久しいし、友達というものもあまりいない。
花瓶が空なのも仕方のないことではある。
ちなみに今回入院することとなった理由はありふれたものである。
脇見運転の軽トラックに突っ込まれたのだ。
血相を変えながらトラックから降りてきたヨボヨボのおじいさんを見た瞬間に、ふんだくろうという気は失せた。
まあ、全治2ヶ月という大仰な怪我を負ってはいるがなんてことはない。
いつものことである。
3日に1回は箪笥の角に小指をぶつけ、炭酸ジュースを買えば開けた瞬間に吹き出る。
ひとたび家から出れば鳥の糞を浴びるなど当たり前のことであるし、傘を持っていない時に限ってゲリラ豪雨なんてのも日常茶飯事。
そんな俺につけられたあだ名は疫病神。
考えてみれば、まだ幼い頃に両親を亡くして以来、最も長い付き合いとなるのはこのあだ名かもしれない。
これといってやることもなく、最近ハマっているスマホゲームを起動する。
と、その瞬間。
開け放した窓からなにやら黒いものが舞い込んできた。
突然の出来事に思わず硬直していると、その影は俺のスマホを掻っ攫って再び窓の外へと飛んでゆく。
「まじか…」
遠くへ消えていくカラスの鳴き声を聞きながら、呆然と手元に落ちていた黒い羽を眺めた。
□
スマホを失うこととなった俺は看護師に無理を言って中庭にいた。
もはや何度目かも数え切れない車椅子に乗りながら、中庭に生えているリンゴの木をぼーっと眺める。
「いい風だねー」
車椅子のそばにいた看護師が呟く。
「そうですね…」
これが美人だったならもっと違う反応が出たことだろうが、後ろにいるのは50くらいのおばさまだ。
ちなみに昔から何度もこの病院に入院しているため、へたな同級生よりも付き合いの長い人である。
「そういえば、蓮君にぶつかったおじいさん。検査の結果が出たみたい」
「へえ、どうだったんです?」
「軽い打撲だって。家で2,3日安静にしてれば治るらしいよ」
「…そっか。よかった」
「…私達の付き合いも長いね。初めて蓮君がここに来てからもう16年かあ」
なんだこの流れは。
やめろ、おばさまとのフラグなんていらんぞ。
「なんでだろう、蓮君はすごくいい子なのに。神様って不公平なんだなあ」
そういう看護師に肩をすくめる。
変な風に思っちゃって少しだけ気恥ずかしいのは内緒だ。
「まあ神様が不公平なのも今更か。でも病院に勤めてるといつも思うんだ」
看護師が小さく息を吐く。
「私…今のお仕事好きだけど嫌いだな」
「小悪魔か」
「あら、蓮君から見た私ってそんなに若いのかしら」
「…冗談ですよ」
「今の間について小1時間ほど問い詰めたいところね」
「勘弁してください」
やり取りに少しだけ笑う。
そのまま特に何も話すことなく少しだけ時間が過ぎた。
「――あ」
ふいに看護師が小さく声をあげる。
その思わず、といった感じが気になって小さく後ろを振り向くと、看護師は空を見つめていた。
つられて俺も空を見上げる。
綺麗な夕焼け。
「あの星なんだろ。まだ夕方なのにこんなにはっきり見えるってすごいね」
看護師が指差す先を見ると、確かにそこには明るく輝く星があった。
夕焼けの光にも負けずに爛々と輝く1つの星。
残念ながら星に関する知識は持ち合わせがない。
しかし、星を見て綺麗だと思うのに知識なんていらないだろう。
「さて、そろそろ戻らなきゃ。蓮君もあんまり長居せずに戻るんだよ」
そう言い残して看護師は院内へと戻っていく。
残された俺はすぐに何もない院内へと戻る気にもなれず、星を眺める。
昔から何も考えずに何かをぼんやりと眺めるのが好きだった。
ずっと動かないから小さい頃はよく地蔵なんて言われたものだ。
「雪…」
都内で雪なんて珍しい。
気づけばちらほらと雪が降り出したおかげで、今が2月の終わりだということを思い出す。
あんまり厚着もしていない、体を冷やす前に部屋へ戻ろうとしたその時だった。
「あれ…あの星、あんなに明るかったっけ」
先程まではもう少し控えめだったであろう星を見ながら、目を眇める。
しばらく見ているうちにその星はどんどんと明るさを増していき、そして――
それが俺の見た最後の光景となった。
(´・ω・`)プロローグが1話で終わらなかった