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2.ヒリヒリ、グルグル

「一旦モニターチェックしまーすっ!」


 アシスタントさんの高い掛け声に、現場にいる皆が集まって小さなパソコンを覗き込む。

 カメラマンの鳥飼さん、モデルの奈津美、メイクさんにスタイリストさん、ディレクターさん、それからマネージャーの西さんも。

 わたしは奈津美が体を冷やさないようにベンチコートを着せかけてから、ポットの紅茶を注いで手渡した。奈津美が「ジンジャーティー」とおしゃれに呼ぶその紅茶は、ティーバックの紅茶にチューブの生姜を入れただけの簡単な飲み物だ。体が温まって代謝がよくなるからと奈津美は愛飲しているけれど、わたしはピリッとした味があまり好きになれなかった。

 奈津美はマグカップを両手で持って「ほぉっ」と息を吐く。

 白い息が湯気と交じってふわりと散る。


「寒いね。奈津美、平気?」

「平気平気。仕事だもん。真夏にコートとマフラーつけての撮影なんてザラだし、少々の薄着くらい楽勝」

「そっか。よかった。ベンチコートのポケットにカイロ入ってるから、使ってね」

「ありがとう。助かる」

「わたしが奈津美のために懐で温めておいたカイロだよ」

「えー、何かヤダ。秀吉みたいなこと言うのやめて」


 二人で笑っていると、すぐにディレクターさんから指示が飛んできた。


「倉持さん、悪いけどそこの自転車わらっといて」

「あっはい」


 初めて言われたときは何のことを言われているかわらかず頭にハテナがたくさん浮かんだけど、もうちゃんとわかる。「わらう」というのは「片付ける」ということだ。そういう業界用語みたいなものに最初は戸惑ってばかりだったけど、大概の意味は分かるようになった。

 木に立てかけられたレトロな赤い自転車をゆっくり押して、ロケバスの近くに運んだ。おそらくこの自転車も借り物だから、壊してしまうと大変だ。タイヤに挟まっていた落ち葉を払って、汚れがついていないか確認する。


 ――うん、大丈夫そう。


 今日は外での撮影だ。都内では珍しく美しい自然の残る渓谷で木漏れ日の中にいる奈津美を撮っている。木々はすっかり葉を落とし、地面には葉が積もっている。

 今撮っている奈津美の写真集は、四季をテーマにしたものになるらしい。敢えて長い時間と回数をかけて撮影し、四季の中で奈津美が成長していく姿を撮るのだとか。『ディレクターにサナギから蝶になるイメージでって言われたけど、サナギって失礼だと思わない?』と奈津美様ご立腹のそのテーマに、わたしはワクワクしていた。奈津美は同級生の中では群を抜いて大人っぽい容姿をしているけど、笑うと一気に幼くなる。そんな子供と大人の境目くらいの姿を後々も振り返ることができるのは、すごくいいと思う。何がいいってうまく言えないけど、おばあちゃんになってから奈津美と二人でその写真集を広げて、「ほら、このときの撮影が寒くて」とか「若いね」とか言い合えるのかなって思ったら、それだけで楽しみだ。


「あかねー」


 奈津美の声に呼ばれて顔を上げると、モニター前に集まったみんながこっちを見ていた。

 鳥飼さんに手招きをされ、小走りで駆け寄る。

 鳥飼さんがモニターを指さしたので覗き込むと、今撮ったばかりの写真が二枚映し出されていた。


「どっちがいいと思う?」

「えっでもあの、わたしには全然」

「参考にするだけだから、そんなに難しく考えなくていいよ。そうだな……絵を描くなら、どっちの奈津美ちゃんを描きたい?」

「それならこっちです」


 ポーズには大きな違いはない。どちらのショットも、振り向きざまにカメラを見つめていた。ただ、表情が全然違う。甘えるような柔らかな表情と、挑発的な表情。

 迷うことなく選んだのは後者だった。

 射抜くような視線に、ぞくりとする色気があったからだ。これぞ奈津美って感じの。真っ赤なリップがすごく大人っぽいんだけど、頬に浮いたえくぼのおかげで少し幼く見える。顎の先に落ちた木漏れ日の白も、初々しさを際立たせている。艶やかなのに若々しくて、まさに羽化の最中に見えた。


「俺と同意見だ」


 鳥飼さんは満足げに言った。

 ディレクターさんとスタイリストさんはどうやら違う意見だったらしく、うーんと低いうなり声を漏らし、口々に言う。


「甘えてる方も可愛いと思うんだけどなぁ」

「そう、そっちの方が若々しいよね。奈津美自身はどう思う?」

「どっちのわたしも美しいから問題ないと思いまーす」


 どちらの写真も気に入っているということなのだろう。成り行きを見守って面白がっているらしい。

 鳥飼さんにさらに意見を促すような視線を送られ、わたしは口を開いた。


「……あの、首が」

「ん?」

「ここの、首の筋が。奈津美は首が長くて綺麗だから。ベリーショートの髪形に映えて……その、すごく……そそるっていうか」


 くくく、と低い笑い声が響いた。


「そそる、ね」


 声の主はもちろん鳥飼さんだ。

 どうやらすこし、日本語のチョイスを誤ったみたい。

 わたしは途端に恥ずかしくなって、奈津美に紅茶のお代わりを渡すのを言い訳にその場から逃げ出した。

 心臓の音がうるさくて、それだけで気持ちに気付かれてしまうんじゃないかと思うくらいだった。



***************



 その日のお昼、ロケバスの中でお昼ご飯を食べているときだった。奈津美のマネージャーの西さんが開いた手帳を覗き込み、ズズッとお茶をすすりながら言った。


「あ、次の撮影、バレンタインの前日だ」


 西さんはバリバリのキャリアウーマンって感じのカッコイイ女性で、言いたいことをズバズバと言うので、ときどき奈津美と本気の喧嘩をしている。

 顎までのワンレンのボブカットにパンツスーツがよく似合う美しい容姿ながらに「この仕事してると本当ご飯食べる時間とれないから、めちゃくちゃ食べるの早くなるよ。サンドイッチなんてね、食べるもんじゃないの。吸い込むもん」という名言を放つほどのサッパリした性格の持ち主だ。


「茜ちゃんは鳥飼さんにバレンタインあげないの?」

「え?」

「いや、鳥飼さんと茜ちゃん、仲良しだから」

「そ……ぐっんっ……そうですか?」


 サンドイッチのパンをのどに詰まらせ、慌ててお茶を飲みながら聞き返した。


「うん。あの人職人肌でさ、そんなにおしゃべりなタイプじゃないのに、茜ちゃんには結構話しかけるじゃない? アタリ見るときはいつも茜ちゃんに頼むし、休憩中とかもちょこちょこ話してるでしょ。そうそう、この間もご飯食べた後『倉持さんは?』って探してたしね。さっきモニターチェックのときに茜ちゃんの意見聞きたいって言い出したのも鳥飼さんなんだよ」


 何と答えていいかわからなくて、パンの隙間から引っ張り出したレタスをシャクシャクと噛みながらうつむいた。


「まぁ、茜ちゃんの可愛さだったらねぇ。あのおっさんがノックアウトされちゃう気もわからなくはない」

「ノックアウトなんて。それに、鳥飼さんはおっさんっていうにはお若いですよ」

「あら、ありがとう。わたしもあの人と同い年だから。それってわたしも若いってことだわ。あ、わたしがおっさんって言ってたこと、本人には内緒だよ? バレたら怒られそうだから」


 西さんは口元に人差し指を当てた。


「西さんこそ、仲良しですね」

「え、うーん。仲が良いわけではないけど、昔からの知り合いだからね。今回の写真集の撮影もその伝手でお願いしたの」

「そうだったんですか」

「うん」


 それならきっと、西さんはわたしの知らない鳥飼さんをたくさん知ってるんだろうなって思ったら、何だか少し胸が痛かった。

 これはヤキモチなのかな。

 西さんの髪の毛がいつもツヤツヤできれいだって気付いてモヤモヤするのも、シンプルなスーツでも隠しきれていないスタイルのよさ……言い換えると立派な胸をうらやましく感じるのも。


「……西さんは鳥飼さんに渡すんですか?」

「何を? あ、チョコ? うん。っていうか、スタッフさん全員に渡すよ。男女関係なくね。いつもお世話になってるから」

「そうですか」


 ちょっと安心して、でもちょっとモヤモヤして、それからハッとする。

 西さんがチョコをあげるのは全然おかしなことじゃなくて、むしろモヤモヤしてるわたしの方がおかしいのに。


「それにしても、この紅茶は相変わらずマッズいわ」


 生姜入りの紅茶をズズッとすすりながら、西さんは顔をしかめた。


「わたしも全然好きじゃないです。奈津美は味よりも健康優先ですもんね」

「うん。まぁ、仕事の上では大事なことなんだけどね。同じモデルでも、マネージャーが口うるさく管理しないと太っちゃう子も結構いてね。そういう子の担当になると、カロリー計算やら栄養管理やら体重管理やら、本当に大変なの。その点奈津美はプロ意識がものすごく高いから助かってる。ただ、そのプロ意識の高さがね……うん、茜ちゃんが来てくれるようになって助かった」


 しみじみって感じに、西さんが言う。


「前はさ、やれ生姜の濃さが違うだのティーバックの銘柄が違うだのって言われて閉口してたの。でも、茜ちゃんが奈津美の好みを押さえてくれるおかげで、文句を言わなくなった」

「本当は、すっごくテキトーなんですけどね」

「え?」

「ティーバッグは事務所にあった箱買いの安いやつですし、チューブの生姜も一本丸々入れてるだけなんです。奈津美もそれはわかってるけど、わたしには怒らないんです」


 えへ、と笑うと、西さんは本気で驚いた様子で身を乗り出した。


「どうして?」

「怒ったらわたしが泣いちゃうからです」

「へ? どういうこと?」

「幼稚園のときに、美少女が戦うアニメが流行ってたんです」

「あぁ、いつの世代にもあるよね」

「それで、幼稚園で美少女戦隊ごっこをやってたんですけど、奈津美はいつも隊長の役で、わたしはやっつけられる怪人の役でした。配役を決めるのは奈津美で」

「……何となく想像できてしまうのが怖い」

「今思うとすごい図だなと思いますけど、奈津美に悪気はなかったんです。自分が怪人になったことがないから、わたしの気持ちはわからなかっただけで」

「そういうもんかね……」


 西さんは腕を組んでうーん、と悩まし気な顔をする。


「それである日わたしが隊長をやってみたいって言ったら、奈津美がすごく怒り出したんです。隊長は奈津美の役なのにって」

「えー理不尽」

「幼稚園児ですから」

「それで?」

「わたしが大泣きしました。それまで幼稚園で泣いたことなかったので、みんなびっくりして寄って来て。先生たちも。でも、誰よりびっくりしてたのは奈津美だったんです。オロオロしながら『ごめんね』って何度も言われました。それ以来、奈津美がわたしに怒ったことって一度もないんです。泣かせるとうるさいってわかってるから」

「へぇー不思議なパワーバランス。幼馴染ってそういうものかねぇ」


 西さんの手にある紙コップから、生姜がふんわりと香った。


「わたしも泣いてみればいいのかな」


 西さんはいたずらっ子みたいに笑った。


「今度試してみようかな」

「あ、それが有効なのはわたしだけです。他の子が泣き出すと、鬱陶しそうな顔しますよ」

「茜ちゃんの特権かぁ」

「へへ。ちょっと自慢の特権なんです。学校の友だちにも羨ましがられます。あ、もちろんですけど、奈津美は人気者ですよ。カリスマっていうのか、人を惹きつける力があって。自由に振る舞っても、絶対に周囲が離れていかない」

「その感じはわかる。わたしもときどき本気で腹立つけど、なぁんか許せちゃうんだよね」

「そうなんですよね」

「何でだろう。正直だからかな。鳥飼さんも、奈津美にはモデルとしての天性の素質があるって言ってた」

「そう……ですか」


 ヒリリ、胸が痛む。

 わたしは誰より、奈津美の才能を知っているはずなのに。

 鳥飼さんが褒める奈津美のことも、その話を鳥飼さんとしている西さんにも。ヒリヒリ、モヤモヤ。胸に一つひっかかりが出来たみたいで、かゆくなる。

 そんな気持ちをごまかそうとまたサンドイッチにかぶりついたところで、ロケバスの外から声がした。


「倉持さんいる?」


 声の主は鳥飼さんだ。

 西さんは声を殺して笑った。


「ほらね、また探してる」


 わたしは恥ずかしくなって、残りのサンドイッチを口に詰め込んでロケバスを降りた。

 口を手で押さえてモグモグしながら「んっ」と声を上げると、鳥飼さんがこちらに気付いて微笑んだ。


「あ、倉持さん、いた」


 もぐもぐ、ごくん。

 服についたパンくずをサッサッ。

 ドキドキ。

 体から色んな音がする。


「倉持さん、今平気? ごめんね、昼食中に」

「食べ終わったので大丈夫です」

「実は相談があって」


 鳥飼さんがいつもより真剣な表情をしていたので、わたしまで緊張してしまう。


「はい」

「倉持さんも写ってみないかなって、ディレクターが」


 返事をするまでに数秒かかった。


「写るって……写真にですか?」

「そう」

「あの、ちょっとどういうことか……」

「倉持さんと話してるときの奈津美ちゃんはいい表情してるよねって話から始まって、それなら茜ちゃんも写ってみないかなって言い出したんだけど」


 そう言って鳥飼さんが振り返った先で、ディレクターさんと奈津美がニコニコしていた。

 わたしが二人を見て固まっていると、鳥飼さんは幾分くつろいだ表情で言った。


「嫌だったら断っていいんだよ。そう言うために俺から伝えることにしたんだ。ディレクターはやる気満々だし、奈津美ちゃんも結構乗り気だから、倉持さんの逃げ場がなくなっちゃう気がして」

「とかなんとか言って」


 わたしの後ろから声がした。

 バスから降りてきた西さんだった。


「本当は一番、鳥飼さんが茜ちゃんのこと撮りたいと思ってるくせに」


 西さんは腕を組んで、薄目で鳥飼さんを見つめている。


「バレたか」


 鳥飼さんが照れたように笑った。

 見たこともない表情だった。

 きっと、昔からの知り合いだからこそ見せる表情。

 わたしの知らない鳥飼さんが、また一つ。

 「こんな風に笑う人」

 でもそれは、嬉しい発見ではなかった。

 その表情がわたしに向けられたのだったら、嬉しかったに違いないのに。


「倉持さん。西さんが言ったことはまぁ当たってるけど、無理強いするつもりはないんだ。だから本当に、倉持さんがやりたければで」


 西さんを見て、鳥飼さんの肩越しに見える奈津美を見て、ディレクターさんを見て、鳥飼さんを見て。

 それから、首を横に振った。


「あの……奈津美はプロだし、わたしがいなくてもわたしがいるときみたいな表情はできると思います。だから」

「うん」

「写るのはちょっと」

「わかった。いいよ、気にしないで」


 ポン、と頭の上に大きな手が載った。

 鳥飼さんの手だった。

 なだめるみたいな表情に、胸が痛くなった。


「ごめんなさい」

「いや、倉持さんが謝るようなことじゃないよ。混乱する提案をしてごめんね」

「いいえ」


 そうじゃなかった。

 奈津美はわたしがいなくてもできるだろうと思ったのは本当だけど、そんなことは理由じゃなかった。

 写るのが嫌なわけでもなかった。

 おばあちゃんになった頃に奈津美と一緒に写真集を見返して、今のわたしの写真を見るのは嫌だった。

 きっとわたしは今、モヤモヤな顔をしているに違いないから。

 カリスマな奈津美と並んで写真に納まったら見劣りするんじゃないかな。

 そんなことを思いながらファインダー越しに鳥飼さんに笑いかけるのは、絶対に無理だった。




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