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手引きの様な物

 

 ペステリア歴 二百十二年  五月十八日

 

 いつものように日付を書き、この国に来てもう二月も経っていたことに気付く。

 外は相変わらずの雨だった。

 さあ行こうと思った時が雨なのか、雨が俺を誘うのか。いずれにしても明日晴れたら旅に出ようなどと思っていたら、空は決して晴れることは無いだろう。

 だから、旅立つなら雨の日だ。

 旅立つ者の足跡を、そっと消してくれるから。

 

 晴れた日には、ただゆっくりと休めばいい。

 

 そこへいくと今日なんて日は、どこへ行くにもおあつらえ向きの天気じゃないか。

 にやりと笑って顔を上げる。

 それにしても深い森だ。

 雲と言うのは木から湧き出るものだったかと思う程に低い空が、実に俺の心を騒がせる。

 始まりは単純に、とにかく外へ。

 今はただ気の向くままに。

 もう一度あの光の海を見に行くのもいいかもしれない、とふと思った。

 あの海には結局あれ以来辿り着けていないのだ。

 腕のいい《渡し》を見つけなくては。

 

         ―トム・ティッパーフィールド『あてどない旅』最終巻最終章より―




 ペステリア歴 二百六十六年  五月八日



 私はパタンと本を閉じた。

 ふう、と肺にたまった息を天井に吐き、胸に抱いた彼の冒険譚を頭の中でおさらいする。


 世界で最も有名な冒険家――トム・ティッパーフィールドの胸が躍る様な冒険の数々を。


 いざ自分が外に出るにあたって、一月という長さの船旅にしては持ち込む本が少ない気もしていたが、どっこいそんなことはなかったようだ。

 というのも、すっかり見慣れたつもりでいた星空や夕暮れや朝焼けといった風景は、それが海の上だというだけでまるで違って見えたからだ。それは、潮の流れの影響で予定より到着が遅れてしまっても正直ちっとも問題ない位に。


 ピスタティアの西端、ウィストゥルータの港から、人間だったらそろそろ白髪の混じる年齢の船に揺られ、深い森に抱かれたジオ国へ。敬愛するトム・ティッパーフィールドがかつて辿った道を、今まさに自分が進んでいるのかと思うとそれだけで胸が高まった。


 わくわくして、わくわくして、どうしようもなくドキドキして。少しだけ怖くって。

 とにもかくにも落ち着かなくて、潮風で軋んだ髪を背中にまとめた。せめて手を動かさないと、七年間積もり積もった思いが爆発してしまいそうだ。


 今にも叫びだしそうな気持ちを必死で落ち着けようと文字を書く。

 最初は泣き出しそうだったこの日記が、今日は叫びだしそうなのだから不思議なものだ。


 静かに、深く息を吐く。


 早く、いつものエチェカリーナ・フォン・ピスタティアに戻らなくては。

 何も知らない、何も分からない、何の力も無い囚われの王女様はもうすぐ終わり。


 ――ずっと、ずっと、こんな日が来るのを待っていた。


 母が遺してくれたローブの胸の辺りを、ぎゅっと握る。


 ティッパーフィールドの泊まった宿を取ってもらったり、光の海を見に行く約束をしてくれたり、我儘を聞いて優しくしてくれたリオルさんには悪いけれど。


 こんなチャンスは、二度とない。


 旅立ちにはいつも雨の日を選んだ彼が言った様に、去る者の足跡なんて見えなくなった方がいいに決まっている。やがて、プワーッという汽笛の音が遠くに響き、伝声管から到着予定を告げる船長の声が聞こえて来ると、私は慌てて甲板に飛び出した。


 朝日に白く輝く波の向こう、黒く見えているのがその場所だ。

 

 ジオ。


 森と共に生きる国。時代に取り残された化石の街。世界で一番有名な冒険家トム・ティッパーフィールドがこよなく愛し、その旅が途絶えた場所。


 ――そして、私の冒険が始まる場所だ。

 

                  ――とある日記より――  



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