表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
セシルs・メモリー  作者: 竜司
後編
9/10

暗黙の了解


 第九章 暗黙の了解


 1


 七月中旬、都内某所の小さな駐車場。民家の庭に無断で侵入し、目的の車が来るのをセシルは暑さに耐えじっと待った。時折振返り、家主が現れないか不安に駆られていると、駆動音が近付いてきた。目的の車だ。セシルは十分に辺りを伺ってから、駐車された白塗りのトヨタの後部座席に乗り込んだ。運転席のトニーは、ハローと言って横顔を見せてから、一枚の写真を見せた。セシルはその写真に写った人物に見覚えがあった。

「コノオバーチャンハ、貴方ト同ジ人デス」

「有名な予言者……いや、本人は預言者と自称していたか」

 写真の高齢女性は、名をレディナ・ジケイといい、東ヨーロッパの出生、そこそこ名高い預言者として一部メディアに報じられている。幾つかの書籍を出版したりテレビに出演するが、外れる預言も多く、世間の目はそれほど穏やかではない。セシルがレディナを覚えていたのは、実際に間近で目にしたことがあったからだ。それは五年ほど前、セシルの属するやくざ組織の棟梁、板垣権三郎がレディナと密会したときのことだ。そこに同行はしたが、詳細には知らない。トニーは詳しいようだった。

「アノ密会ハ我々ガ仕組ミマシタ。板垣ハノ預言ヲ受ケマシタ。内容ハ彼ヲ死ヘト導ク場所ノ暗示デス。ホテルノ一室ニテ、一人ノ男ト出会イ云々(うんぬん)トイウモノデス」

 種ハ撒イテアル――トニーが笑みを作ったのが、声音でセシルには判った。

「五年も前から計画していたのか」

「数字ニ意味ハナイ。……板垣ハインセプションサレタ」

 トニーの持ち掛ける板垣暗殺計画は、セシルに予言の能力があって初めて功を成すものだ。五年前に動けたのは、梅田がセシルの能力を報告していた裏付けではある。

「王里神会が外崎と篠原に接触し始める日付だが、八月八日となった。六日には住所が特定できそうとのことだ。正確には八日に幹部会議があり、会議は夜なので、接触のための実動は翌日九日となるだろう」

「デハ、九日ヲ作戦実行日トシマス。……エート、外崎ト篠原ヲ探シ出スファーストムーブハ、実績アル幹部ノ神屋ガ任命サレル予定デシタカ。神屋トハ友達ニナッテオキマス。彼ガ外崎ヲ避難場所トシテノホテルノ一室ニ連レ出シ、外崎ガ一人トナルヨウナ状況ヲ作レバイイ。ナラバ、チョウド九日ニ神屋ガ動クヨウニ調整シナケレバナリマセンネ。アナタノ権力デ、神屋ニ仕事ヲ押シ付ケルナドシテクダサイネ」

「神屋? どうして神屋が外崎を助ける?」

「外崎ト篠原ヲ調ベマシタ。外崎ハ神屋ト同門デシタ。モシ仲ガ良ケレバ助ケルデショウ。ソレニ、神屋ハアノ有名ナ数学者夫婦ノ長男デス。王里神会ニ両親ガ消サレタト思ッテイルデショウ。Kヲ敵対視シテイル。モシ判ッテナイナラ、焚キ付ケルマデ」

 私にしたようにか――とセシルは思い起こす。

「お前が神屋にどう近付く」

「単刀直入ニ、ニューアンチマタートシテ接触シマス。神屋ニドレダケノ仲間ガイルノカ判リマセンガ、執行部ノワタシガ味方トナレバ心強イデショ。暴力ノ無カッタ鬼頭タチハアノザマデス」

「お前を信用するだろうか」

「神屋サントハ、事務的ナ遣リ取リシカナイデスガ、少ナクトモワタシハ、Kヘノ強イ信仰心ヲ見セテナイデス。内部デハ既ニ離反ヲ疑ワレテイルト伝エマス」

 神屋としては生きた心地がしないだろう。だが本当にまずい状況であれば、執行部であるトニーが内部情報を漏らすのは、トニーが味方であるという根拠にになり得る。

「外崎ト神屋ガ出会ウコト、ソシテワタシと外崎ガ出会ウコトハ、レディナカラ預言サレテマス。キットウマクイキマス」

「あー、レディナはインチキだろう?」

「イイエ、我々ノ組織ノ幹部デス。重要ナ地位ニ就イテマス。我々ハ彼女ヲ信頼シテマス」

「え?」

「言ッタデショウ。貴方ト同ジ人デス」

 セシルは暫し閉口した。厭な汗が流れる。

「セシルサン、人類ハ――未来を知ることができる」

「レディナは本物なのか。まさか」

 時間ナノデ、とトニーは帰宅を促した。

 疑問に思っていたことが幾つかある。トニーが板垣を殺害したい理由が一点。確かに板垣は恨まれる立場にいる。だが殺害は非常に困難だ。二十四時間の厳密な警護がある。主に扮する者が複数存在し、複数の拠点を絶えず移動している。部下の身辺調査も厳しい。梅田が弾かれなかったのも、レディナが本物ならばあるいは……。

 セシルのギザギザした髪が生暖かい風に揺れる。



 2


 数日後、セシルは田舎の廃工場にて梅田と密会していた。

 セシルの疑問の一つが、トニーが梅田の名前を出したことだった。あの段階で梅田の名前を出してしまえば、セシルに板垣に対して復讐の念が皆無だった場合、梅田は監視され最後には拷問を受けることになる。それはトニー側からすれば失敗に他ならない。だが名前を出したことは本気の顕れであり、信用される為の譲歩だったとも考えられた。

 梅田はセシルの登場を認めるなり、中々会えなくてすまなかったなと言った。吸っていたタバコを捨てて靴でじりじりさせる。

 セシルは辺りを見回す。静かだ。金属の屑がそこら中に転がっている。鉄筋がむき出しとなって、壊れた工場をおぼろげなれど支えているだけだ。

「どうして此処へ来たのです」

「レディナは言った。俺が死ぬのは今日ではないと」

 梅田はニッと笑みを作った。四十五歳になった彼は、だいぶ老けて見える。目尻にできた皺が五十代後半を思わせた。髪型が短い七三分けなのも起因していそうだ、とセシルは思った。

「まだ貴方のことが判らない」

「俺もお前が判らない。その様子じゃあ、揺れているな? だが思い出せ。お前の本当の家族や友達を奪ったのは誰だ」

 トニーは何度目かの密会で、嫌なら降りても構わないと言っていた。だが板垣を自分の意志で殺せるとしたら、チャンスはもう巡ってこないとも……。

 梅田が近付く。やくざの得意技だ。物理的な距離を詰めて威圧する。

「お前の普通に送れる筈だった人生を生み出してくれた親と、それを潰してお前を支配下に置き利用する板垣と、どっちが大事だ。お前の家族のことは知らんが、板垣はそもそも極悪人だ」

「梅田さんは、我らがあるじへの恩が全く無いと言うのですか」

「俺は板垣組には元々別件で潜入した。板垣を殺すかはお前の問題だ。恩などない。演技をしているだけだ。大きな目的の為にな」

 トニーが語らない、彼らの目的を梅田は話してくれるのではないかと思い、セシルは緊張した。

「主を消すことがそんなに重要ですか?」

「ん? 違うな。それはお前の話だろ。……そうか、トニーから聞いてないのか。なら今はまだ黙っているべきか」

 実はセシルには予想が付いていた。恐らくは、トニーや梅田らの目的は、自分なのだと。レディナは高齢で、命の時間が短くなっている。故に次の後継者を探している。だが見つかった後継者は板垣組の配下であり、ボスへの忠誠心も高かった。その忠誠を破らねば引き抜くことはできない為、トニーはセシルに過去の話を持ち出したという顛末だ。

 セシルは勿体付けてから切り出した。

「トニーがリビアに来て探していたのは私だったのでしょう。レディナが差し向けた。違いますか」

 その発言を聞き、梅田は観念した顔を見せた。

「そうだ。後継者はリビアの子供であり、和の国の老いし強者が連れ去るとか、そんな預言だった。トニーは板垣が該当の子供を連れ去る際に横取りを考えたらしいが、五月雨とロンに阻止された。預言は外れない。しかし俺が運よく生き残ったからな。お前がガキのうちにさらおうと企てたが、板垣はお前を大変可愛がった。――お察しの通り、俺たちは後継者を探していた」

 セシルは近くのパイプ椅子に腰かけ、持参した水筒に口を付けた。日が落ちかけている。赤い夕陽がどんどんあおに変わっていく。

 どうやら――とセシルは思案する。どうやら、忠誠心がカギとなりそうだ。欲しいのは私ではなく、私の予知能力だ。私が彼らと志を共にしない限りは、私は彼らに能力の恩恵を授けることもない。無理矢理に連れ出さず、あくまでも私の自由意志を尊重している。しかもその理論は道義に適っており、自分の平穏を壊した張本人に仕えてどうすると助言しているのだ。

 しかし、まだひとつ、別の可能性があった。

 セシルは考えを巡らせようとしたが、何者かの気配に気が付き、じっと身構えた。梅田が鼻を鳴らした。

「まだ仕事の途中だったんだ」

 梅田の後を付いていくと、廃工場の隅の瓦礫の傍に人間らしきものが拷問椅子に座らされていた。耳は削げ落ち、頭には黒い袋が被せられている。指が七本、椅子の近くに散らばっていた。体中にくぎやら何やらが刺さっている。呼吸の音から察するに、鼻も切り取られているのだろう。歯もないようだ。胸の膨らみから、女性だと判る。

 こいつは裏切り者だ――そう言って梅田は、いつの間にか取り出した拳銃を無慈悲に発砲し、彼女の命を消し去った。動かない。おぞましい呼吸音も消えた。

 セシルは言葉少なに梅田と別れ、暗い道を帰路とした。



 3


 暑さ増す七月下旬、セシルは月に一回恒例の食事会に参加していた。板垣他十数名の組の幹部たちが集まり、駄弁りながら酒を飲み飯を食らう。程なくして一次会は開き、二次会ではグッと人数が減る。場所も大広間ではなく、会議室のような場所となる。無論、板垣の所有地での宴である。

 セシルは、数人の幹部たちを相手に、占いのようなことをさせられる。じっと見つめ、心の声に耳を傾けると、ある時は聞こえ、ある時は視える。大抵の場合は悲惨な出来事や喜ばしい出来事のどちらかで、他愛ない予知は起こらない。少し疲れるが、人から感謝されるのも悪い気はしない。だが、神っているんだな、と誰かが言うとセシルは違うと否定する。自分は預言者ではなく予言者であると。神などいない――王里神会の影響だろうか。Kの演説に触発されているのだろうか。いや、王里神会に入信する前から、自分が神の言葉を聞いているという感覚を覚えたことは一度もない。それは板垣にも偶に聞かれるのではっきりとさせていた。

 残るは板垣とその秘書の二人となった。秘書の平田という女性もまた、セシルに好感を抱いた視線を送る。外見的な魅力も高く、若いセシルには刺激が強かった。セシルは平田の青い瞳を、その奥を見つめた。次第に彼女の背景が崩れていき、白っぽく濁っていく。平田が肉を食べた。レストランだろうか。口元がセシルの目前に迫る。その官能的な唇が語ったのは、この板垣組の機密情報であった。アフリカの子供――自分のことを誰かに話している。やがて場面は変わり、平田は見知らぬ男と二人で、どこかへと歩き去って行った。これは話すべきではない。何もないようですと嘘を吐き、次は板垣の番となった。他の者は退室する決まりである。二人きりとなり、セシルは予知を行う前に切り出した。

「主よ、梅田は得体の知れぬ組織のスパイです」

 セシルには別の選択肢もあった。トニーや梅田の言うように、己の奥底に芽生えている冷たい激情を優先し、板垣の始末を選ぶこともできた。だがトニーの提案した計画は穴があるように感じる。自分が一芝居打つことで、板垣が五年前の予言を思い出したとしても、果たして無防備にも一人になるだろうか。周りも許さない。だが、北アフリカでの一件からも判る通り、この老人には行動力がある。一人で向かわねばならないと匂わせれば、本当にそうするかもしれない。

 しかし、早まるべきではない。セシルの中で、壊れないものがあった。それはこれまで板垣から受けた恩だった。何不自由なく暮らし、今日まで生かされた恩があった。産みの親は確かに死んだが、直接の原因が板垣ではない。板垣組が家族やリビを撃ち殺したのだとしても、それは敵が住民に扮していたからだ、仕方がなかったんだ――けれども理不尽を感じていないと言えば嘘になる。父の死体の顔が網膜に焼き付き今も消えないが、それでも板垣権三郎は愛情を持って育ててくれた。彼が親だ。セシルにはそういう感情があった。

 加えて、セシルはもう一つの可能性を危惧していた。トニーや梅田は板垣組の身辺調査の一環として、板垣への忠誠心を試しているというものだ。王里神会へ潜入してそれなりの月日が経った。スパイをする者は必ず、こういう検査を受けるものだ。やるならばKへの信仰に傾倒していないかを調査するべきだと思うが、そういう直接的な論点では尻尾を表さないと踏んだのかもしれない。もしここで板垣に梅田とトニーのことを密告できなければ……。セシルは二週間くらい前に見た拷問椅子の女性のことを思い出していた。

「トニーという王里神会の男も、私に接触してきました。主を殺害する協力を要請されました」

 セシルの鼓動が早まっていた。板垣は特にリアクションせず、真鯛の刺身を口に運ぶ。十分に咀嚼し、飲み込んでからお茶を啜り、そして板垣は口を開いた。

「そうか」

 セシルは続きを辛抱強く待った。板垣も年である。

何故なにゆえ、お前に?」

「――それは、殺害方法に理由があります。五年前のレディナの預言はであり、その内容を触発するように私が偽の予言を主に告げることで、主を孤立させようと企てたからです」

 板垣は昔を思い出すようにして、遠くを見つめた。

「嗚呼、あれか。ホテルの一室で男と出会うと。して、ワシはそこへ一人で行かねばならないとか。それが大勢の命を救うことになるとか、だったのじゃ」

「藤原様からこんな報告がありましたでしょう。王里神会のテロ内容は核攻撃であり、それを止めることができるであろうV事件の首謀者、鬼頭火山の居場所を知る手がかりを持つとされる高校生が二人……。外崎暁と篠原亜美。外崎をホテルに一人にする計画があるのです。藤原様は王里神会の仕事の一環として、外崎と篠原の行方を追っています。トニーがホテルを用意します。外崎をホテルに連れてくる神屋には、藤原様と私が直前に小型の盗聴器を仕掛けます。神屋たちの発言内容から居場所を特定し、つまりホテルの一室なのですが、その情報が主の耳に届きます。その際、私は主と共にいます。そこで大袈裟に、偽の予知を披露します。主に対してホテルへ行くように伝えるのです。すると主からすれば、全ては繋がっているように感じるのです。五年前の預言、そして小耳に入ってくる王里神会のテロの脅威、それを防ぎ得る外崎がホテルの一室に一人でいるという偶然――そして五年前のレディナの預言内容など知らぬ私が、今こそ行くべき時だとたかぶれば、主は行動する。つまりは外崎を保護して王里神会の手から遠ざけるという発想に至る訳です。確かにあり得そうな展開です」

「そこで待っているのは外崎ではなく、ワシをほふる者か。ほっほ」

「はい。今のうちに梅田を捕え、吐かせるのがよいかと。奴は今、油断しています」

 言いながら、セシルには胸にしこりが残った。梅田やトニーの目的は主ではない。私なのだ。彼らは、私の心変わりの為に主の抹殺を提案しているに過ぎない。別に主を葬らずとも、私が心変わりするならば彼らも満足な筈である。そして彼らは、私が主を殺さない選択も受け入れるという立場だ。彼らが欲しいのは、私の忠誠であり、私の予知能力だ。

 セシルは自問する。だったら何故、梅田を捕えようなどという提案をしているのか。父やリビ、母の顔がちらついた。作戦実行時に、私が芝居を打たず、やり過ごせばいいだけではないか。そうすれば主はホテルに向かうという発想すら持ちえないのではないか。仮に五年前の預言を自発的に思い出したとしても、周りが止める。そもそも、主に世界をテロ行為から救う義務などないのだ。父やリビ、母の顔がちらついた。父やリビ、母の顔が……ちらついた。

「セシルよ、のぉ、ひとつ名案があるのじゃが」

 板垣は、静かにお茶を啜った。


 












評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ