表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
セシルs・メモリー  作者: 竜司
中編
5/10

キス


 第五章 キス


 1


 近年、その規模を拡大する宗教団体があるという。

 その名も、王里神会。

 法に触れないギリギリのところで悪さをし、何か大きなことを企んでいるよう

だ。

 あまり詳しい情報は入ってこないが、目をつけておいた方がいい。

 いずれ、脅威となるかもしれない。

「そうでしょうか? たかが宗教団体。我々の敵ではないのでは?」

 そうとも限らない。

 各界に触手を伸ばし、勢力は大きい。純粋な暴力でなら我々にはかなわないだ

ろうが、もしも敵対することになれば、勝てはせど、犠牲は少なくして済むまい

「我々と張り合えるほどに大きな組織なのですか? 過大評価し過ぎでは?」

 何事にも抜け目なく対処するには、それ相応の準備というものが要る。

 そろそろお前にも仕事を与えるときがきた。

 主直々の命だ。

 王里神会に潜入し、内部操作せよ。

 ただし、私も共にこの仕事を行う。

 詳しいことはまたメールする。

「…………」

 青年はデスクから立ち上がると、ハンガーに掛けてあった皮のコートを羽織っ

た。

 季節は冬。

 あと数日でキリストが降誕した日が訪れる。

 青年は不安を胸に、部屋を出ようとして振り返った。

 上司がもう一通メールを入れたらしい。

 青年はデスクに近づき、パソコン画面に目をやった。

 そこには、青年の予想した通りの内容が書かれてあった。

 一応、返信した方がいいだろう。

「わかっています。私も今すぐ病院に向かいます」



 タクシーと電車を乗り継いで、二時間ほどかけてようやく病院にたどり着いた

 目的の部屋に入ると、そこには既に何人もの知った顔がいた。

「セシルか」

 呼ばれた青年――セシルは、小さく頭を下げた。

 個室に十数人の人間が入り、ベッドに横たわる一人の女性を、言葉もなくただ

見つめていた。

 セシルも黒服たちの間に割って入り、ベッドを覗き込んだ。

 女性は、酸素ボンベを装着し、目をつむったままだ。

 眠っているのだろうか。

 不意にセシルは、十数年前の過去の記憶を呼び覚ました。

 あの一場面だけは、奇妙にもよく覚えている。

 自分はこことは違う病院の中庭にいて、心地のいい音楽が流れるラジオを手に

抱え、黄金色に照らされた植物と戯れていた。

 そのとき、ふと目に入ったのだ。

 ガラス窓の向こう、病室の中でこちらを見る二人の男女。

 男の方はよく見えなかったが、女性の方は顔をよく覚えている。

 綺麗な女性だった。

 そして、彼女こそ、今目の前で眠っている女性なのであった。

「五月雨さん」

 黒服の一人、梅田は神妙な顔つきで呼びかけた。

 無論、彼女は、五月雨は目を覚まさない。

 しばしの沈黙が流れたあと、二時間ほど前、セシルとメールをかわしていた上

司――藤原は、静かに語り出した。

「既に話は聞いているだろう。五月雨は海外マフィアとの取引に失敗し、銃撃戦

に巻き込まれた。今日の昼のことだ」

 胸と腹に撃たれたらしいことは、すぐに知らせで聞いていた。

 手術が終わったのはつい先ほどのことらしい。

 知らせを受けたとき、すぐに駆けつけたかったが、やらなければならない仕事

が多く、今になってようやく来れたのだ。

 もう夜の八時を回っている。

 幾本ものチューブが腕や首などに繋がれていて、どれほど危険な状態かは言わ

れなくてもわかる。

 ここにいる黒服たちは皆、幹部クラスの者ばかりだった。中にはあの、主、板

垣権三郎の姿もあった。普段会うことはあまりない。

 初めて会ったときより、顔のシワは増え、そしてより深くなっていた。

 細く開かれた目で、口を固く塞ぎ黙って五月雨を見つめていた。

 ――それから二日が経った。

 皮肉にも、その日はクリスマス。街では恋人たちが淡い恋を夢見、幸せなキス

をした。

 多くの仲間、そして、昨日にようやくやってきた家族に看取られながら、五月

雨は、そう、あまりにも、あまりにも静かに息を引き取った。

 平成十九年、十二月の夜のことだった。

 セシルは寝ずに彼女のそばにいた何人かの一人だった。板垣もそうだった。

 死の瞬間、機械がピーと音を立てたときの五月雨の顔を、セシルは目に焼き付

けた。

 まるで五月雨ごがつあめが、いつの間にか上がっていたかのような、そん

な爽やかな表情を見せて……

 三十八の、早い終わりであった。



 2


 肌寒い季節はまだ続いていた。

 皮のコートは手放せない。

 コートのポケットに手を突っ込みながら、新年、一月の繁華街を歩いた。

 すれ違う者たちは皆、浮かれていた。

 新しい年の始まりは、いつもこんなものか。

 繁華街を抜けると、林立するビルが姿を現した。

 くねくねと道を曲がり、しばらく歩くと目的のビルに着く。

 王里神会本部ビル。

 宗教団体のビル、という感じはしない。一見して、何の会社のビルだろう、と

思う。しかし、それはどの大抵のビルにもいえたことだ。

 ――王里神会に入会するのは、誰でも可能らしい。

 かなりすんなりと入会できた。入会手続きも簡単な書類に適当な事項を書き込

むだけ。

 既に、セシルも藤原も王里神会の一員となっていた。

 藤原は言った。

「王里神会に実力を見せつけてやろう。さしずめ、鋭い思考能力と教主への強い

信仰さえあれば、幹部あたりには昇格できそうだ。我々なら簡単に幹部クラスに

なれるだろう。そしていずれ、教主の弱みを握り、王里神会を我がものとすれば

、任務は完了だ。基本は私が動く。お前はサポートに徹しろ」

 ビルに入ってすぐの広いロビーで、セシルは足の疲れを癒やすため、休憩する

ことにした。

 学生や主婦、会社員の姿など、様々な人間がこのビルの中にいる。

 彼ら信者は、基本的にはこのビルに足を運ばない。

 というのも、月に一度開かれる教主直々の講演会や月に二、三度行われる勧誘

活動における技術向上のための集会など、それらを行うためにこのビルは存在す

るからだ。しかし、あくまでも表向きの建て前であり、真の目的は定かではない

 それにしてもこのビルは無駄にデカい。六十九階建ての超高層ビルだ。

 こんな大きなビルを所有するということは、必ず莫大な財源が裏に存在してい

るはず。王里神会は一部の信者から金を徴収しているという噂があるが、それだ

けでまかなえるような規模でないのは明らかだ。

 かなり怪しい。

 ……裏に何かある――そう踏んで、主は我々を向かわせたのだろう。

 長い闘いになりそうだ。

 わざとらしく息を吐き出し、セシルは休憩を終わりにした。



 3


 四月。

 出会いと別れの季節――春がやってきた。

 今年、晴れて大学二年生に進級した上條誠也かみじょうせいやは、この日

もバイトの雑務に追われていた。

 先月から始めた仕事にも慣れ、ようやく皿洗いも様になってきている。

 しかし、似合わない。

 傍目からすると、上條はちょっと洒落たヤクザに見える。

 筋肉質な肉体、長身、オールバックヘアー。ルックスも上級だ。コワモテのお

兄さんといった感じだ。

 少し無口なところがある彼は、あまり周りと溶け込まなかった。バイト仲間同

士での打ち上げなどにも、比較的顔を出さない方だ。周囲も上條の性格と外見に

多少なりともの恐怖のようなものを感じていた。そんな視線を上條自身が薄々感

じてさえいる。

「いらっしゃいませー」

 某飲食店の日常風景。

 ふと上條の顔が上がる。

 彼女の声がしたからだ。

「何名様でしょうか」

 自分が受け持つ皿洗いなどの裏方ではなく、接客の業務をこなす彼女の声が、

上條の耳に入り込む。

 脳裏に浮かぶ理想の女性像――背は自分の胸くらい、パーマが入った肩まで伸

びた髪、肢体は細く白く、整った顔立ちに凛とした瞳が輝かしい……

 彼女――平沼凛ひらぬまりんと理想の女性像は完璧に一致していた。

 一目惚れであった。

 それでもまだ数回しか話したことがない。友達としてというよりか、バイト仲

間としての会話といってもいいような雑談である。

 しかし、二人は気づいていた。

 互いが互いを求めるその気持ちに、初めて目を合わせたそのときに。



 休日。

 今日はバイトもなく、ぶらぶらと散歩をしていた。

 たまたま立ち寄ったコンビニで、平沼凛と出くわしたのは、果たして神のイタ

ズラだったのだろうか。

 突然の遭遇に二人とも動揺した。

「あ、誠也さん」

「ひ、平沼……」

「……い、いい天気だね」

「…………」

 凛は顔を赤らめ、立ち読みしていた雑誌を棚に戻した。

「誠也さん」

「ん?」

「散歩してたの?」

「あ、あぁ」

「……」

「よくわかったな」

「……」

 凛は恥ずかしさを隠すかのように顔をうつむけていた。

 上條も頭をしきりにかいたりと、挙動が不審だった。

「あの」

 と二人同時に言ってしまい、小さな笑いが漏れた。

 なんとも微笑ましい光景であった。

 それからまもなく、二人は一緒になって適当に街を散策し始めた。

 特に何をするわけでもない、不毛な散策――しかし二人にとっては、この上な

い至福のときだったのかもしれない。

 一緒に肩を並べて歩くのがこうも楽しく嬉しいことなのかと、胸のときめきが

二人を包んでいた。

 しばらく街を歩いて十分ほど、いつの間にか太陽はあかくなり、沈みか

けていた。

 若者のアラモードが逸脱したこの道あの道も、その情熱的で感情的な光に照ら

された。

 沈みゆく巨大な恒星がよく見える橋の上で、二人はずっと遠くを見つめていた

。言葉もなく。

 春の風が優しく吹いてきた。朱く照らされた平沼の姿があまりに美しく見え、

隣で上條は驚いてしまった。そして自分が幸せであることに気づいた。

 ――そう、いずれ終わってしまう恋だとしても、この瞬間だけは、何物にも代

え難い、至福のとき。

 ヒューと髪を揺らし服を引っ張り、風はほくそ笑んでいたようだ。

 誠也……そう呼んでいい?

 その声は耳ではなく頭に響いたように感じられた。

 だから同じように、上條も優しく小さくそれでいて確かな響きを持った声でこ

う言った。

 いいよ……と。

「どうしてだろうね。こういう夕日を眺めていると、幸せな気持ちってゆうか…

…」

 凛の声が上條には心地よい風のように思えた。

「どうしてだろう……ね」

 同じセリフを繰り返した平沼は、笑顔だった。

 ずっとこうしていたい。二人の気持ちは等しく収斂しゅうれんしている。

 ――川の流れが上流から下流に向かっているというのは、当たり前のことだろ

う。

 それと同じくらいの当然さをまとい、いつしか二人の手は繋がれていたのだっ

た。

「なぁ、凛って呼んでいいか」

「いいよ」

 太陽が沈みきる前に、二人は向かい合った。

 夕日が嫌いだと言う奴がいたら、見せてやりたいぜ――

 上條は横目で夕日を一瞥いちべつしてから、甘く切ないキスを交わした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ