黒幕
第四章 黒幕
1
「サヨナラだ」
マキーシナが、ロンの背中に向け、銃の引き金を引いた。
少しだけ首をひねり、ロンは横目でマキーシナを見た。
「……!?」
マキーシナの指が引き金を引く途中で止まる。否、引けない。
……どうしてだ。引き金が、かたい……!
ぷるぷると震える指。途中で引っかかり、どうしても引けない。
パァンッ
「……ぐっ……!」
膝が、地に落ちる。すーっと血の気が引き、ガクガクと震えだした。
胸から血を噴水のように噴き出させ、マキーシナは倒れた。
手を顔で覆う男の顔は、あまりにも不気味に歪んでいる。
ロンは中国語で言った。
「どうだ? 痛いか」
這いつくばってうめくマキーシナのすぐ後ろのドア。その中央に穴が開いている。
ドアがゆっくりと開かれた。
「……また会ったわね。マキーシナ」
その手には、マキーシナを撃ち倒したベレッタが握られている。
苦痛にもがき、口の端から血を流しながら、マキーシナは後ろを見上げた。
「……レディ?」
マキーシナの目には澄ました表情の五月雨の姿が映っている。
五月雨はガクガクと痙攣するマキーシナを一瞥してから、ロンに聞いた。
「そいつがスナイパー?」
「そうだ」
男は「ククク」と小さく笑っている。
「……気味の悪い男。それより大丈夫? 凄い格好だけど」
「ロケットランチャーに巻き込まれてな」
「大変だったわね」
胸から溢れ出る血を手のひらで押さえつけながら、荒い息を吐き、マキーシナは必死に考えた。
……おれはどこでミスを……?
右手を腰に添え、五月雨はふーっとわざとらしく息を吐いた。
「あなたの目論見は初めからお見通し」
「……ぐっ……どう……して……だぁ」
「あなたはたくさんのミスを犯していたわ。どうせ死ぬんだから教えてあげる。
まず、最初のミスは地下での戦闘。あなたは不自然にも、まるで発砲しなさすぎた。私はちゃんと見ていたわ。主の後方で手榴弾による爆発が起きたとき、襲ってきた一人を殺しただけ」
「……フゥ……フゥ」
「そのとき、絶好のチャンスだったのにも関わらず、一人しか襲ってこなかったのもあとから考えればおかしなこと。あなたは過激派の連中とグルだったのね」
「!」
「その色は、地上に出てからさらに強まった。あなたの近くは、地下と同じであまり攻撃されなかった。何故ならグルだから。わざとらしく徐々に数を減らしてくるのも気になった。だいたい、本気で私たちを殺すつもりなら、殺せたはずよ。地下で大爆発を起こせばよかった。違う? それをしないのは……あなたまで巻き込むのはマズいから。過激派とグルとはいっても、立場的には上だったみたい。金で雇ったってわけかしら?」
「……ぐッ……はっ……は、は、ハハハハ」
「…………だから、その銃をあげたのよ」
床に落ちた、先ほどまでマキーシナが持っていた銃を、五月雨はつま先でつついた。
「あなたは初めから何もかも計算済みのつもりで、私たちを騙していたつもりだった。銃がジャムったとか言ってたけど、単に弾が切れただけでしょう。過激派とグルのあなたは、ほとんど発砲しなくていい。だから弾も少なめに持ってきてたのね。もっとたくさん弾を持ってくれば、今、こんな状況にはなっていなかったかもしれないわ。悪いけど、あなたは騙されていた……」
しばらくうめいていたマキーシナは、次第に笑い始めた。もはや虫の息だ。
「その気になれば、いつでも殺せた……か。しかし、それはお互い様か……ククク」
マキーシナはロンを見て言った。
「しかし、甘かったな。お前らは多くの仲間を失った。それだけでも、グバッ!
……痛手のはずだ」
「……あなたに騙されたふりをして、ここまで泳がしてわかったことがある。目的はロンのようね」
「……ふ、ぐくく」
「信頼しているマキーシナが、そこのスナイパー男を撃つと見せかけ、ロンを殺す。それが目的だったにしては、呆れるほどのお膳立てだっけど」
五月雨は呆れた様子で言う。
「しかも、ドアの裏で密かに聞いてたけど、あかずきんの話とかしちゃって、ほんと救えないわね。さっさと黙って撃てばいいのよ。アホね」
「……うぅ……ッ……」
マキーシナは口から血を吐きながら聞いた。
「じ、じがじ、ぞんなぎげんながげによぐ……の、乗った……な。おれが、スパイだとわかっだのは、ぐっ……ハァハァ……、地下での戦闘がらだろ?」
それを聞くと、五月雨は高らかに一回笑い、こう応えた。
「バカね。あなたがスパイだとわかっていなければ、こんな危険な賭けに出るわけがない。取引自体断っていた。事前にあなたと過激派との関係にも初めから探りを入れてあった……、悪いけどね――」
マキーシナが苦し紛れに笑う。「クク、レディ……」
「――調査済みよ」
マキーシナは女の声を聞きながら、言うと思ったぜ、と最後に呟き、えびのように体を反らせると、還らぬ人となった。
2
マキーシナが息絶え、残る敵は一人となった。
五月雨が言う。
「過激派の人たちがこないわね。ここのことは彼らには内緒?」
「……」
男は爽やかな微笑みを見せるだけで、何も応えない。
「まぁ、じきに私たちの仲間が全員、抹殺するわ。そして、安心して」
五月雨は危険な笑みを見せた。
「あなたも逝かせてアゲル」
男はポリポリと頭を掻くと、何気なく後ろに手をやった。机の上には銃がある。
「動くな!」
ロンが怒鳴った。
ぴたっと止まる男の腕。
「手を頭の後ろに。早くしろ。この距離なら一秒もかからず殺せる」
ロンはすぐに距離を詰められるよう、足元をジリジリいわせている。
「それにこちらには銃があるしな」
「……ロン」
「何だ?」
五月雨が申し訳なさそうな顔をしている。
「ごめんなさい。弾はもうないの。ここに来る途中で、何発か撃ったから……さっきので最後」
男が笑いだした。
「ククク、つまり、こちらに主導権がありそうですね」
ロンがすかさず返す。
「少しでも動いてみろ。首をはねるぞ」
男は「オ~」と驚いて、頭の後ろに手をやった。
「怖いですね~。しかし、解せない。何故、さっさと殺さないのです。その気になれば私なんてイチコロなんでしょう」
男の挑発ともとれる言葉に、五月雨は冷静に応える。
「あなたには聞きたいことがあるからね。……ところであなた、この国の人間じゃあないわね」
五月雨は改めて男の容姿を眺めた。
――風に揺らされる短めの金髪と白っぽい肌。目のくぼみが特徴的で、影を作っている。その闇の向こうで怪しく輝いているのは、悪魔のような冷たい瞳だ。
「欧米人……?」
背は高くない。見た目では160センチちょっとに見える。
「聞きたいこととは何ですか?」
男は頭の後ろに手をやったまま聞いた。
「……大人しく答えれば、楽に死なせてやってもいいわ。反抗はしないことね。
ちなみに、ロンは世界屈指の殺し屋よ……、いや、ロンを狙ってた連中なんだし、知ってるか」
「ええ、知ってますよ」
「そう……、それにしても、あなたは何? 誰に雇われたの? 狙いはロンの首に懸かってる懸賞金?」
……しかし、そうだとしたら、わざわざこんな手の込んだ真似をするだろうか。いや、しないはず。
「ヒットマンなの? 一体、どこの組織?」
男はゆっくりと口を開いた。
「……初めは、そこに転がってる男が一人でやるはずでした。しかし、まだ素人ですから、私がパートナーとして組みました」
「ロンの暗殺が狙い?」
「いえ、板垣さんとドラゴン太郎さんの殺害が目的です。我々は、こうやって、
回りくどく、今まで色んな仕事をこなしてきた。使命なのです。そこのアホのせいで、作戦は失敗しましたが……、問題はない」
男の醸す空気が一変した。暗く、強い負のオーラが全身から噴出しているかのようだ。
ロンが若干身構える。
「一体、どこの組織? 今まで小賢しく立ち回ることで、存在を悟られないようにしていたみたいだけど。でも、今回は相手が悪かったわね。観念しなさい」
「観念? クククク……」
ロンがナイフを取り出した。
それを見て、五月雨もナイフを取り出す。
「五月雨、気をつけろ。コイツ、危険だぞ……」
「……強いの?」
「奴をまとう空気が物語っている。今まで、こんな冷たいオーラは感じたことがない……このおれでも」
「何者なの?」
男は、口の両端を限界までつり上げて言った。
「残念ですが、あなたたちは死にます。ここまではそちらの思惑通りのようですがね」
ロンの表情が険しくなる。
「五月雨! やるぞ!」
「…………!」
悪魔的な笑みが浮かぶ。
「試してみるか?」
「舐めるなッ!」
天空の風が吹き荒れる中、最後の闘いが始まった。
3
それにしても、やはり想像と現実は、大きく異なるものだ。
世間一般で知られる「決戦」と呼ばれし闘いは、白熱する、それこそ最後の闘いに相応しい壮絶なものと思われがちだ。
だが現実は違う。
ほんの小さなミス。それが、己の鼓動を止めてしまう、まさに一瞬の刹那のことを、決戦と呼ぶのである。
「――――」
その攻撃は、想像を遥かに超えていた。凄まじく鋭利で、速い。ナイフの切っ先が、限りなく細く見えるほどだ。
ビッッッシァァアァァッッ
まるで落雷のごとく、そのナイフは突き放たれた。まともに受ければ、肺が吹き飛んでいただろう。
プシューッと血が胸から。
浅かった。致命傷とは呼べない。
男は膝を直角に折り曲げ、かわしていた。
直後、体を丸めるように回転し、左腕で抱くようにして、ボディブローが放たれた。
「!?」
右のわき腹に、固い拳がのめり込む。
メキメキッメキッ……。
あばら骨が幾本も砕かれ、折れた骨が内蔵に突き刺ささった。
……何だ。この威力は。
ドサッ……
「ロン!?」
信じがたい光景に、五月雨は目を疑った。ほんの一瞬の出来事だった。たった一撃で、ロンは倒れた。床に這いつくばり、白目をむいて嗚咽を漏らしている。
「ぐァァアッッ」
男は無表情に、ゆっくりと五月雨に近づいた。
「ロン!」
呼んでも、ロンは起き上がらない。否、立てない。ピクピクと軽い痙攣を起こしている。内蔵をやられたのだろう。
五月雨は歯を噛み締めた。
……やるしかない。
覚悟を決める。ナイフを構え、少し腰を落とした。
その五月雨の姿を見て、男は一瞬、足を止めた。
……いい構えだ。
男の目が見開かれた。気づいたときには、ナイフは男の額に刺さっていた。が、刺さったのはほんの先っぽだ。超人的な反応で、男は頭を後ろにそらせた。ナイフは頭蓋骨の前までを裂いた。
ナイフは薄く血をまとい、吹き抜けの窓を通過し、そのまま空の向こうに消えていった。
危ないところだった……。あと少し反応が遅れていれば、脳にナイフが突き刺さり、死んでいた。
後ろにのけぞった体勢。そのスキは大きい。
……これで決める!!
五月雨は一気に男との距離を詰め、腹に向けて、渾身の蹴りを放った。
――が、
「甘いな」
男は見もせずに、五月雨の蹴りを手のひらで受け止めた。戦慄が走る。
男は両腕で脚を掴むと、五月雨と目を合わせた。
額から滴る血が、男の猟奇的な笑みを更に強調させる。
「あッッ!」
五月雨の体が宙に浮いた。男は半回転したところで手を離し、五月雨を投げ飛ばした。
グルグルと回る視界の中、強い太陽光に目を細めた。次に開いたとき見えたのは、白い塔、そしてグルンと一回転する最中に、この町の民家が視界一面に広がった。
「アァァアアァッッ」
遥か下にそびえる町並みがどんどん近づいてくる。落下!! このままでは死ぬ。
「!」
男は突き飛ばされた。ロンのタックルだ。窓際に衝突し、バランスを崩し、外に落ちそうになった。
「まだ動けたのですか」
タックルと同時にナイフを突き刺したが、すんでのところでガードされていたらしい。男は無傷だ。額と胸の切り傷を除けば。
ナイフが落とされた。男の素早い蹴りだ。
「くッッ」
回し蹴りが鼻の先をかすめる。あごに裏拳が――腕でなんとかガードした。先ほどの強烈なボディブローが効いていて、ロンの動きは本調子ではなかった。
「どうしたのです? 私など簡単に殺せると言ってましたが?」
男の右ストレートがクリーンヒット。ロンはよろめいた。
「……何者だ? 貴様」
ロンには理解できなかった。手負いとはいえど、ここまで自分を追い詰めるこの男は、一体……
――突如、男の首に何かが巻きついた。
「な」
先には爪が装着されている、細いロープだった。巻きつき終えると爪は肩に食い込み、離れない。
突然の事態に男は理解が遅れた。
ロープは男を引っ張り、窓の外へ落とそうとする。だが必死に踏ん張りを利かせ、なんとか踏みとどまった。依然として、ロープは後ろへ後ろへと男を引っ張っている。
「フゥ~。なんとか、助かったわ」
塔の外壁にへばりつき、五月雨は安堵の声を漏らした。落下中にロープを投げ、塔の中にいる男に巻きつけたのだ。神業である。宙吊り状態で五月雨は笑った。
「ロンに巻きついてなきゃいいけど」
五月雨の心配は杞憂に終わり、ロンは飛んだ。
「終わりだッ」
空中回し蹴りが男の顔面をとらえた。
「あっ」
ちょうどそのときだった。
五月雨の頭上で激しい空気の摩擦音が鳴り響いた。見上げると、それは悠然と空に浮いていた。
「ヘリ……!?」
真っ黒なヘリコプターが、塔の天辺を旋回している。
ロンの回し蹴りを受けた男は、そのまま窓の外に蹴り飛ばされた。
そして、タイミングよくヘリの足に掴まった。
「なにぃ!?」
「なっ!!」
連動的に、ロープに身を任せていた五月雨も、塔から離れてしまった。
「キャアァ」
「五月雨!!」
ヘリの中から、黒いマスクを被った男が銃を持って現れた。
パパパパパパパパッッ
「キャアァァァア」
銃撃によってロープは切れ、五月雨は再度落下した。約六、七メートル落下したところで民家の屋根に激突した。
「五月雨ッッ!!」
ロンにも銃撃が襲いかかる。
ヘリの中に入ると、男は肩に刺さった爪を外しながら、「やれ」と合図した。
その瞬間、塔の最下層が大爆発を起こした。
ドドドッッドドッンッ
崩れゆく白い塔。
砂埃が、仰向けに倒れていた五月雨を覆う。
「……ぐ……」
五月雨は朦朧とした意識の中、薄目を開けて、崩れ落ちる塔を見上げた。耳につんざく破壊音が、その凄まじさを物語る。
ヘリの中から、首に巻きついたロープを捨てた男は、澄ました表情で、沈んでゆく塔と、遥か下で倒れたままの五月雨を見つめていた。
やがてヘリは、激しい飛行音を響かせながら、その場を離れていった。
4
「……そうだ。スパイは死亡。奴らの足取りはつかめていない。手掛かりはなくなったようだ。うむ……、残念だった。こちらの被害は、約百人……、過激派は一部を残して殲滅した。先ほど追っ手を放った。あぁ……、主は無事、保護。そういえばそうだ。取引先が用意した銃だが、一応、全て回収した。事前に送り込んだ諜報部員の情報通り、三百余りあった。ふ、ただで手に入れたにしては……、おっと、ただじゃなかったな。大勢の犠牲は出た。まぁ、それでも、本来の目的も達成できなかったんだ。今回は完全にしてやられたな…………ん? これから二人にはよく話を聞くつもりだ。よく生き残ったもんだよ。さすがは生きる伝説、ロン・クーリンだ。五月雨の方も、今、日本に帰国しているだろう。帰ったら即、病院だろうがな。ハハハ……え? ……どういうことだよ。……うん……うん……、少年って?」
――――……春の訪れ。
小鳥の囀りが、耳に優しい。
開かれた目に、白い天井。
どこからか、心地のよい音楽が流れてきている。そう思って、音の出どころを探った。
上半身だけ起き上がり、見回すと、ここは病院であった。
「…………」
ここは個室ではなく、四人部屋のようだ。自分は窓際にいる。隣のベッドにはカーテンがかかっていて、人が寝ているのかどうかもわからない。対面の位置にある他二つのベッドには、誰の姿もない。この部屋にいるのは自分一人だけなのか?
カーテンに手を伸ばそうとして、やめた。特に理由はない。
五月雨は、再度、横になった。布団をかぶり、ぼーっと天井を眺めた。
「っ!」
今頃になって、体の至るところが痛みだす。
あぁ、思い出した。塔から落ちたんだ。
恐らく、全身打撲、局部的な粉砕骨折、といったところか。
……主は? ロンは?
何だか、少し心配になってきた。
ふと窓際に目をやると、美しい太陽の光に照らされた木々の庭を背景に、果物の詰め合わせが置かれているのがわかる。
誰かが置いたのだろう。
見える範囲に時計がないのでわからないが、今は昼時だろうか。
小鳥が窓の外を横切った。
何だか、別世界にいるようだ。ここは陽気で心地がいい……
コンコン、誰かがドアをノックした。ガラガラ、という音がして、コツコツという足音が静かに響いた。
自分だろうか、それとも、隣人にか。
「おはようございます。五月雨さん」
どうやら、自分に、だったようだ。
訪ねてきたのは、最後まで生き残り、主を守り抜いた一人、梅田だった。
「まだ食べてなかったんですか」
梅田は、笑顔を見せながら、果物の詰め合わせを指差した。
「今、起きたの」
梅田は椅子に座ると、事の一部始終を話し始めた。
「…………というわけです。主もロンも生きています。ロンの方は、かなり危なかったようですけどね」
「そう、ならよかったわ」
「えぇ、しかし、銃を手に入れるだけにしては、かなり危険な賭けでしたね。それほど凄い銃なんですか」
梅田はまだ若い。新入りだ。真の事情は聞かされていないのだろう。
仕方がないので、教えてあげることにした。
「大した銃じゃない。本当の目的は、もっと別のところにあった……」
「え?」
梅田の表情が曇る。どういうことかわからない様子だ。
十分な間を置いてから、五月雨はゆっくりとした論調で語り始めた。
「……裏世界では、度々、噂になることがある。誰もが首を傾げるの。彼らの存在に……」
「彼ら……?」
「名前もわからない。構成人数も不明。目的も定かではない。全てが謎。私たち
は、裏世界では、彼らのことを、こう呼んでいる」
五月雨は小さな声で、その名称を口ずさんだ。
梅田は、その名称を聞いて、何とも言えない表情を作った。
五月雨は続ける。
「彼らの存在が確認されだしたのは、つい最近のこと。専門的に彼らを追っている機関の話によれば、ずっと昔から存在していたそうだけど」
「……で、今回、うちとどういう因縁で?」
「武器商人のハリス一族の末裔が今回の取引相手。クリス・ハリスはあの野蛮な国の首都を牛耳っていた。政治にも介入していて、国からすれば邪魔そのもの。しかし、行政機関の一部が別の都市に移転したことが原因で、ご立腹。それで、ご存知の過激派の方たちと仲良くなったの。そんなハリスから、銃の取引の話を受けた。商談はあの町で過激派の方たちとすることで話はついた。主に立ち会うよう要求してきたので、私たちは怪しいと踏んだ。そこであの手この手で色々調べたら、ハリスの背後に『彼ら』の存在が見え隠れしてきたの。商談の前にハリスを脅して全部聞き出したわ。『彼ら』は、ハリスと取引をしたようね。金をやるから、何とか板垣らをおびき出してくれ……と。莫大な金を貰ったらしいわ。ハリス自身も詳しいことは聞いていなかった。そこでハリスは過激派に貰った金の一部を譲り利用し、あの惨劇が起こったのよ……」
――窓の外では、蝶が優雅に舞っている。
植物が太陽光に照らされ、とても、とても綺麗に照らされていた。
あ、と思い出した。
そういえば、まだ心地のいい音楽は、遠くから鳴り響いているではないか。
耳を済まし、カノンを受け入れる。そう、パッヘルベルのカノン……
窓の向こうの景色の中に、褐色の肌をした少年が見えた。ラジオを抱えている。そうか、カノンはそこから流れていたのか。梅田も少年に気づいて、眺めながら、言った。
「セシル」
五月雨は少年を見つめたままだ。逃げ隠れた家で会った少年。
「彼の名前です」
「……そう」
少年は植物と戯れて、蝶と見つめ合っていた。
【前編 了】
中編は公開までにしばらく間があると思います。
正直この前編だけで「セシルs・メモリー」という一つの小説自体は完成させたいところですが、現在連載中の長編「undecided」の補助的な意味を持つ作品であることを前提に執筆していますので、どうしても中編と後編は必要です。
個人的には、ここから先は「undecided」を読まれていない方は読まずとも物語としては「セシルs・メモリー」は完了しているのではないか、なんて思います。
というわけでして、改めてここまで読んでくださり、どうもありがとうございました。この作品を書いたのは今からに三年前でして、今見てみると微妙だなぁなんて自分で思うところもしばしばありますが、雰囲気的には私らしさが出てるかなと思います。
それではまた。