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セシルs・メモリー  作者: 竜司
前編
3/10



 第三章 嘘


 1


 例えばこうだ。

 よく映画なんかである、崖から落っこちそうな友人を、間に合った主人公が奇跡的に助ける。

 ありえるだろうか?

 それは小説や漫画、映画の中だけの話だ。

 現実は違う。

 その場合、案外あっけなく力尽き、友人を少し恨んで崖から落ちるだろう。現実の話なら。

 そして、落ちてる途中に死を覚悟するのだが、案外早く落ちてしまうもので、

色々考える前に死んでしまう。

 だから、板垣は己が死ぬことを理解した。今まで銃弾が当たらなかっただけでも奇跡的なのに、まだここでも天は老人を救うだろうか。

 板垣はニヤリと笑った。

 ……儂は死ぬ。だが、それは……

「シネェッ」

 振りかざされるナイフ。

 空を切り裂くナイフ。

 板垣は理解していた。

 奇跡とは繰り返される者の頭上にのみ、幾度でもやっくることを。

 耳につんざく発砲音が、己の命を繋ぎとめたことを、倒れゆく敵の姿を見て板垣は理解した。

 闇の世界を歩くには尋常ならざる強運が必要だ。それがなければただの敗者。

 板垣は、己が天に選ばれている命であると、生まれてこの方疑ったことはない。

 弱者なら死んでいただろう。

 ……儂は死ぬ。だが、それは……

「まだ先だ」

 生を実感させる強い痛みに右の二の腕を抱えながら、板垣は立ち上がった。

「あんたはまだ死ぬようなタマじゃあない。そうだよな? ミスター板垣」

 葉巻が嫌に似合う男、マキーシナはベレッタを握りしめ、ふーっと煙を吐いた。

 死の危機から板垣を救ったのは、マキーシナだった。

「あらあら、格好つけちゃって。役者気取り?」

 五月雨が拳銃片手に護衛に戻った。

「あんたがぶっ倒れてたからおれが代わりにやってやったんだろうが……うおっ!」

 敵のAKが炸裂している。

 流れ弾がマキーシナの耳をかすめた。

「早いところ出よう」

「ええ」

 激しい銃撃戦を繰り広げながら、出口に向かって走った。

 坑道の奥からは、太陽の光が差し込んでいた。

「どうやら爆破されたのは残り二つの方だったみたいだな」

「自分たちの逃げ道を確保するためね」

 敵も追ってくる。

「ここはそのまま外に繋がる出口だ。気をつけろ。敵が待ち伏せしているかもし

れない」

 マキーシナは弾倉を取り替えながら早口にまくしたてた。口に葉巻をくわえたままなので喋りにくそうだ。

「大丈夫よ。既に脱出した仲間がいるわ」

 ――――カッ!

 とうとう脱出した。

 照りつける太陽光が、あまりにまぶしい。

 板垣は黒服に肩を支えられながら息をしていた。この年であれほど走るのは容易ではない。

 辺りは建物ばかりだ。

 地面には数名の仲間や敵が倒れている。待ち伏せしていた敵だろう。

「車は今どこだ?」

「既に連絡している。車で待機していた仲間が直に迎えにくる。合流地点は……

、ここより南の広間だ」

「走ろう! 敵に気をつけろ! どこかにまだいるかもしれない」

「後ろの坑道からまだ登ってきている」

「走れッ!」

 生き残った者たちは走り出した。坑道からくる敵を迎え撃っため、何人か残った者もいる。

「レディ、残った者たちはどうする?」

 マキーシナが五月雨に聞いた。

「レディ? ……とりあえず車で待つわ。限界まで。これ以上は無理ってなったら、残念だけど置いて行くわ。彼らも覚悟はできている」

 五月雨は真剣な表情で言った。走りながらなので、時々、息が混じった。

「……パッと見て、生き残ったのは三十人ちょいか」

 共に走る黒服たちを見回し、マキーシナがボソッと言った。

 そのときだった。前から大勢の敵が走ってきたのだ。

「うっ」

「どうする……ぐあっ」

「あぁあッッ」

「ギャアア」

 一斉射撃……ほぼ待ち伏せを喰らった板垣らは、多大なダメージを負った。

 仕方なく方向転換し、建物の多い場所に入った。

 マキーシナが息切れ切れに言う。

「なぁ、今の、さっきの奴らと違って、普通の住民の格好をしてたぞ!?」

「住民に扮してやる気なのよ。気が抜けないわ」

 銃声と、慌ただしい様子に町の住民がざわめき出した。

「どけ!」

 人が多い。

 板垣ら黒服を見て、あるいはどこから鳴るのか銃声を聴いて、恐怖を覚え住民は家に逃げるようにして散った。

「クソッ! このままじゃまずいぞ!」

「早く集合地点に行かなきゃならねーのに……!」

「おい! 奴らだ!」


 パララララララッッ


 血飛沫が真っ白なストリートを鮮やかに染め上げた。一種の芸術にも思える美しい色調だった。

 黒服も反撃する。

「まだだ。まだくるぞォォッ」

 仲間は次々に減っていった。曲がり角を曲がり、運悪く敵と出くわす度に一人、また一人と失ってゆく。

 そして遂に、とうとう残り十人をきってしまった。

 残り九人。

 だが必死に逃げ回った甲斐があり、なんとか敵の追撃を振りほどいた。

「よし、まいたな」

「どうする?」

「様子を見ましょう」

 わずかな灯火となった逃走者たちは、残りの弾薬などを確認したりした。

 しばし、狭い路地裏で休憩を取った。もはや、「ハァハァ」という息切れの音しか聞こえてこない。

 ……ここで死ぬのだろうか。

「何としてもここを抜けましょう……」

 まるで自分に言い聞かせるかのような口調で五月雨は呟いた。美しい容姿に血がこびりつき、服も泥や血で汚れている。唇が切れ、まるで吸血鬼のように口の端から血を流していた。

「そそるね、レディの赤い血」

「マキーシナ……、あなたは通訳だけしてればいいの」

「……オーケー」

 マキーシナは建物の壁に背を預けた。そして座り込み、目をつむった。相当疲れたようだ。

「銃がない者はいる? 私が余分に銃持ってるけど」

 若干遅れて、マキーシナが返事をした。

「すまん。どうやら……おれのがジャムっちまったみたいで……。さっきから発砲できなかった」

「そう。じゃあ、これ」

 五月雨は予備の拳銃を渡した。

 全員に沈黙が訪れた。この絶望的な状況の中で、希望が見いだせないのだ。みな、ため息をついてはうつむいた。

 そんな中、一人の男が立ち上がった。

「……ロン? もう行くの?」

「……五月雨。嫌な予感がする。おれは感じるぞ。殺気だ……、誰かがここを見ている」

 ロンの英語を和訳し、五月雨はみなに伝えた。

「なに? 嘘だろ。周りには………………、人っ子一人いないぞ」

「どこにいるんですか」

「ロン、どこだ」

 ロンにも、その気配がどこからきているのかわからないようであった。漠然と、意識を感じ取っただけのようだ。

「小林、羽鳥。一応、主を守りなさい」

 五月雨は額に汗を見せている。

 眼球を激しく動かし、ロンが感じ取った気配を探した。

 ……近場にはいない。遠距離……、狙撃手?

 ふと視線を斜め上にずらすと、目にとまった物があった。

「…………」

 林立する建物の中、唯一、突出した、それは白く細い塔だった。



 2


 世の中には、一概には信じられないことが溢れている。だから不思議ではないというわけではないが、それは当事者からすれば不思議である。

 ――この国は野蛮だ。ほぼ毎日銃声を聴くことができる。

 その裏には、テロ支援国家という実態が見え隠れしているが、それがわかったところでどうこうなる話ではない。

 普通より人が多く死ぬ場所……、それだけのこと。

 今日もその音は響いた。

「……?」

 だがいつもと何か違う。

 数人が一人を囲んで、へらへらと悪態をつきながら引き金を引く生ぬるさがない。

 暴力を前提に発砲するかのような音の聞こえ方だ。

 それに混じって知らぬ言語も聞こえてきた。

 少年は、見た。

 それは、一人ではなく、大勢だった。

 近くに寄り添い、泣く者もいた。

 こんなに人が多く死んでいるなんて珍しい。近寄ってまじまじと死体を見つめてみる。

「あ」

 思えば、それは見覚えのある服装だった。毎日を共に過ごしていた人が、ストリートの真ん中で倒れている。否、死んでいる。

 しかし妙だった。

 少年は号泣もせず、母を見下ろしていた。

 何故なら、少年は……

 ――何人も死んでいて、その中にもう一人、知り合いの顔があった。

「リビ……」

 少年は眉をひそめた。

 ……どうして。

 リビはもう、ただの肉塊と化していたので、少年にはどうすることもできなかった。

「外に出るなと言ったじゃないか」

 少年はさらに先に進んだ。

 死体の道は一旦途切れた。

 また少し歩くと、死体ロードを発見した。

 その中で、父がこっちを向いている。口から血を垂らして……

「……母さん、父さん、リビ……………………」

 黒服は気づいていなかった。敵と誤り、一般市民を撃ち殺してしまったことに。

 極限状態に陥っていた彼らのことを考えればやむを得なかったといえば、そうなる。

 少年はがくりとひざまずいた。そして空を見上げる。

 ……神様、神様、神様。

 少年が泣くことはなかった。

「リビ、外に出ちゃ……だめだよ」

 少年は泣かなかったが、それはそれは強い力で、拳を握っていた。

 このとき初めて、少年の胸に野望が芽生えた。



 白く細い塔。

 てっぺんに吹き抜けの窓がついている。

 これは見間違えではない。

 五月雨は慌てて指差した。

 一斉に全員が振り向いた。

 だが、時遅し。


 バゴッッ


 音のした方を振り向くと、小林の頭が吹き飛んでいた。

 見ただけでわかる。恐ろしい威力だ。

「スナイパーがいる! 逃げろ!」

 全員、一斉に路地裏から飛び出した。

 すると今度は、板垣の近くにいた羽鳥の胸が背中から弾け飛んだ。

「がっばぁ」

 口からゴボゴボと血を吐いて、羽鳥は倒れた。

「狙いは主です! 建物の裏に隠れましょう!」

「いや、待て。あれを見ろ」

 マキーシナがストリートの向こうを指差した。遠くから敵が走ってくる。見つかった。

「早くここを離れないと。スナイパーはあの塔に一人だけだろう。奴の死角に入りながら、南の集合地点に向かうんだ」

「簡単に言ってくれるわね。絶体絶命よ、これ」

 マキーシナの口から、いつの間にか葉巻がなくなっている。さすがに息が上がって吸えなくなったようだ。

「おれが奴を仕留める」

 ロンが英語で言い放った。

「あのスナイパーを!? だめよ。あなたは主を守り抜いて」

「奴は相当のやり手だ。おそらく、仕留めなければ、おれたちはここで全滅する。おれにやらせてくれ」

 五月雨はロンと見つめ合った。そして、何かを決心したかのように口を開いた。

「……わかったわ。必ず戻ってきて」

 五月雨の言葉に、若き龍が疾風のごとく駆け出した。



 3


 板垣権三郎。彼をよく思わない者は多い。

「あいつが雇ったヒットマンがよ、うちのボスを殺しやがった!」

「あの野郎は、親父の遺産にしがみついているだけのボンクラだ」

「許せねー」

 板垣は、極力、どんな依頼でも引き受けた。ターゲットが自分たちの組織より小さいものだとわかれば、迷わず殺した。

 勿論、報復を受けることもある。しかし、その戦力は把握済み……、敵ではなかった。

 様々な組織が首を傾げた。

「なんで板垣を殺せねぇ?」

「奴らは強い……」

「噂によれば、あの男が肩入れしてるとか……」

 一郎の遺産は大きかった。

 ロンを組織の牙として動かすことができたのもの、彼のおかげである。

 ――白き塔の最上階。吹き抜けの大きな窓から顔を出し、狙いを定めるスナイパーの目に、一人の男が映った。

 ……たった一人で突っ込んでくるとは、愚かな。

 スナイパーは、金色の髪を空の風に揺らし、不敵に笑みを作った。

 建物の隙間をすり抜け、ロンは塔に向かった。

「…………」

 ……道をうまく選んでいる。スナイピングさせないつもりか?

 スナイパーはライフルを置き、ロケットランチャーを取り出した。


 ドウンッ


 と低い発射音が響き、ロンは見上げた。

「!」

 煙の尾をひいて、ロケット弾が飛んできた。


 ドッゴォォンッッ


 大爆発が起こり、辺りは炎に包まれた。

 スナイパーが静かに笑みをこぼす。

「おい、何だ!? 今の音は」

 爆発音は、集合地点に向かう板垣らにも聞こえていた。

 振り向いたマキーシナの目には、モクモクと舞い上がる黒い煙が映った。

「チッ! ロケットランチャーか」

 言ってる間にも、背後から追っ手の銃撃が襲いかかる。銃弾は地面や建物に当たり、なかなか板垣らに当たらない。

「あともう少しです」

 黒服が声を張り上げる。

 だが、駆ける足には、もう限界がきていた。

 板垣がこけた。

「主!」

 背後に迫る敵を、五月雨が撃ち殺した。

「くッ……! もう民家に入るしかないわね」

「そうしよう」

 黒服が数人がかりで板垣を近くの民家に連れ込んだ。続いて五月雨も入る。

 この国では一般的なリビング。この騒動で家の中に人気がなく、不審ではある。

「敵には見つかってないから、ここで休みましょう……」

 五月雨はぐったりと椅子に腰掛けた。板垣は壁に背を預け、床に座り込んでいる。ここまで生き残った黒服三人は、窓から外を監視したり、家の中を調べた。

「ロンは集合地点を知ってるのか?」

 ドアに寄りかかったマキーシナが聞いた。少しの間を置いて、五月雨が応える

「知らないわ」

「それじゃあ帰ってこれないぞ」

「……そうね」

 マキーシナはふーっと息を吐くと、

「おれが行く」

 と言った。

「……マキーシナ。あなたが危険を冒す必要はないのよ。通訳だけで十分」

 マキーシナがやりきれない顔をした。

「レディ……、おれたちは確かに単なる通訳の関係だった。でも、もう、共に死線をくぐった仲だろう? 理由はそれだけで十分なはずだ」

 そう言うと、勢い良くドアを開け、消えてしまった。

「マキーシナ!」

 その声はもう、届かない。



 4


 部屋に声が生まれ、少年は思った。やはり来たか、と。

 来客は、よそ者だった。

 このままではいずれ見つかる。びっくりされて銃で撃たれてはたまったもんじゃない。

 少年は自ら姿を現した。

 なるべく平坦な声で、驚かれないように声をかけよう。

「あの」

 突然の出現に、黒服が銃を向けて振り向いた。

 全員に見つめられ、少年はゆっくりと口を開いた。

「ここ、僕の家」

 顔は至って冷静だった。五歳にしては冷めた表情の持ち主だ。褐色の肌が、この国の人間であることを物語っている。

 板垣は、少年の目の奥にある小さな炎を見た。

 ……似た者同士だな。

「五月雨、アラビア語わかるか?」

 板垣は、少年に近寄りながら聞いた。

「いえ……」

「そうか」

 板垣は少年の前まで来ると、しゃがみこみ、目線を合わせた。老いた瞳と若き瞳が、繋がった。

 二人はこのとき、初対面にして、瞳の疎通だけで以心伝心したのだ。

 老いた口が干からびた声を空気に揺らした。

「……お前の目がわかるぞ。そう……、いつだったか……、儂も亡くした。不当

な死がやってきた……。母と兄弟を亡くした……」

「……僕は……」

「何も喋るな……、誰もが不当な死を追うのだ。戦争は虚しい……、そうだろう」

「……」

「この星は悲しみに満ちている。だが、生あるからこそ味わえる幸せもある……

、しかし、それが何の慰めになる? 人は黙っていても……人を殺す。憎しみは永遠に魂に刻まれる。儂らは不幸か? 違うな……、この世の不条理の犠牲者だ。だから儂にはこういう生き方しかできんのだ」

「僕は……両親を殺され、友達も殺された。この憎しみは誰に、どこにぶつければいいの?」

「憎しみの連鎖……、それはあってはならん。常に渦巻いているが」

「じゃあ……」

「…………」

 二人は一言も発していない。

 全て心の会話だった。

 五月雨が近づく。

「主」

「なんだ」

「たった今連絡がありました。あらかじめ用意させていた増援が、この国の空港に到着。町に着き次第、ここ一帯のゴミの一掃を始めます。彼らが来るまでここ

で凌ぎましょう」

 全ては板垣の策略だった。こうなるであろうことは、相手が板垣を呼んだ時点でわかっていた。

「うむ」

 先を読む能力がなければただの敗者。

 闇を渡り歩く彼にはわかりきったことだ。

「容易いわ……、儂を始末しようなどと、チンピラがはしゃぎおって」

「我々の勝ちですね。ここが見つからなければ」

 五月雨の口元がわずかに緩んだ。



 炎々と燃え上がる炎が、崩れ落ちた瓦礫がれきを焦がし、黒く白い煙が立ち上る。

 悲鳴とも怒声とも区別のつかぬ声を張り上げ、人々は壊された場所から逃げた。

「テロだーッ」

「逃げろォ」

 爆発を引き起こした張本人は、高見の見物でせせら笑った。

「フフフフ」

 ……さて、仕事も終わったことだ。帰るか。

 武器をケースにしまい、部屋を出ようと振り向いた。そのとき、彼の目は大きく見開かれた。

「……」

 開け放たれたドアの縁に寄りかかり、腕を組んでロンは言った。その目は虚空を捉えている。

「甘いな……」

「どういうことですか? あの爆撃……、直撃したように見えましたが」

「おれを甘く見たな。あの程度で死にはしない」

「……はぁ」

 ロンは腕組みを解き、鋭い視線を男に投げかけた。それを見て、男はニヤつく。

 ロンの周囲の空気が張り詰めた。殺る気だ。

「――おっと、待って下さい。あなた、強がってはいるようですが、空元気バレバレです。……さっきの爆撃、ノーダメージで回避するのは不可能だ。黒スーツがボロボロじゃないですか。出血も見られますね」

「……おしゃべりな奴だ」

「大方、とっさに建物の陰に逃げたとかそんなんでしょうが……その身体では、

私とやっても無惨に死ぬだけです」

 ロンは鼻であしらった。

「死ぬのはお前だ」

「……取引しませんか。金ならいくらでも用意できますから、逃がして下さい」

 ロンは懐にしまってあるベレッタを引き抜こうとしたが、先の爆発で落としてしまったことに気づき、手を戻した。

 男は相変わらずニヤついたままだ。何を考えているのか読めない。

「銃は?」

「…………」

 ……まぁいい。素手でやるのが本場だ。

 ロンが構えた。

 しかし、男は不気味な笑みを浮かべたまま、まるで動こうともしない。上空の風が大きな窓から入り込み、男を包んだ。髪が舞い上がる。

「やめた方がいい……手加減はできない」

「脅し文句のつもりか?」

「私もただじゃ済まないでしょう。しかし、あなたも同じだ」

「馬鹿が」

 ――スッ……ロンが静かに足を踏み出す直前、ドアが勢いよく閉まった。

 風? いや、違う。この感じは人為的だ。

「落ち着け」

 振り向くと、ドアの前に男が一人。

「マキーシナ」

「落ち着け、ロン」

 マキーシナは拳銃を構えた。銃を向けられた男は「クックック」と笑い出した。

 何にせよ、これで男は確実に死ぬ。マキーシナのおかげで、ロンは直接手を下さずに済みそうだ。

 …………しかし、マキーシナは銃を構えているだけで一向に撃とうとしない。

男を見つめる目も、どこか矛盾をはらんでいた。どういうことだ?

 ロンのこめかみに一筋の汗が流れる。

 ……何かが、おかしい?

 マキーシナはゆっくりと口を開いた。

「そうだ……そういえばそうだった。思い出した。こうじゃないな」

 そして銃口は、死の矛先は、ロンに向けられた。

「……そう。いつだったか、こんな話を聞いた」

 ロンはマキーシナに背を向けたまま、静かにマキーシナの日本語を聞いていた。

「あかずきんって話だ。知ってるか、ボーイ。彼女はなぁ、おばあちゃんになりすました狼を、巧みに巧みに、それは巧妙に騙し、殺したんだよ……。周囲の人間たちをも操り、彼女は狼をハメた。素晴らしい……いい演技だと思ったよ。それでさ、どうだった? おれの演技は」

 ふたつの不気味な笑みが、ロンを包んだ。






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