商談
第二章 商談
1
空港には、通訳のマキーシナと、事前に現地入りさせていた数名の仲間が待機していた。
板垣らが飛行機から降りてくると、マキーシナは待ちわびていたように迎えにきた。
「やぁ、ミスター板垣。よろしく」
「……うむ」
「調子はどうだ?」
「?」
マキーシナは笑ってみせた。
「今のはアラビア語で、元気ですかって意味だよ」
「……ふん」
「挨拶はこのくらいにして、行こうか……ん?」
マキーシナは、一瞬目を疑った。
「おいおい、こりゃあ、たまげたね。こんな美人がいるだなんて。秘書の方かな?」
言われて、男たちの陰から姿を現したのは、一輪の華。なまめかしく柔らかい薄茶色のセミロングを風になびかせる、華奢な肢体。プロモーションは完璧だ。外見として、非の打ち所が存在しない。まさに傾国の美女。
「おじょうさん、お仕事が終わったら一杯どうかな」
「ふふ、冗談なさい。あなたはただ通訳だけしてればいいの」
「ヒュー。おっかないねぇ」
板垣の秘書、五月雨は、吹いてくる生暖かい風を不審に思った。
もしかして、これが……
「この風はギブリと呼ばれている。一部ではシロッコともいう。サハラ砂漠から北に向かって吹く熱風だ」
葉巻をふかしながら、マキーシナが説明した。
「やっぱり、そうだったの」
「知ってたのか」
「事前に調べてあるわよ、このくらい。それにしても日本語がお上手ね。日本で育った経験をお持ちかしら?」
「それも調査済みだろ?」
二人は小さく微笑んだ。
一行は、今後の予定を一通り確認すると、用意してあった十数の車に乗り込んだ。総勢百人ほどで、目的地に向かう。
板垣の隣にはマキーシナが乗り込んだ。板垣を挟むように、反対側から五月雨も乗った。
「一応、了承しといて欲しいんだが、この国は治安がたまげるほど悪い」
「調査済み。だからこんな大勢できたのよ」
「言うと思った。あぁ、ミスター板垣。こんなたくさんの車が仲良く走行したら、怪しまれるよ? 部下に周辺の監視は常にさせておいてね。いつ狙撃されるかわからないから」
そう言うと、マキーシナは「いい国だろ?」とつけ加えて、力なく葉巻をふかした。
車が発進した。目指すのは、地中海に面した小さな町だ。
そこで秘密裏に行われようとしているのは、武器の売買。いわゆる商談だった。
「しかしあれだね。ミスター板垣。こんな危険な地にあなたのような大物が自ら足を運ぶとは、何か訳ありですかな」
板垣の代わりに秘書が応える。
「今回の銃はどうしても手に入れたいの。現地スパイの情報では、相当ヤバい銃らしいから。取引先の要求で、主もこなければ取引しないと言われたのよ。やになっちゃうわ」
マキーシナの顔色が変わった。
「それって……大丈夫なのか? まぁ、だいたい予想はついてたが……、あちらさんの目的は……」
板垣の暗殺。マキーシナはそう思った。
「かもね。でも問題ないわ。もし取引先が暴挙に出るつもりなら……」
五月雨は横目で後ろに座る一人の男を見据えた。ちょうどマキーシナの真後ろに座っている。
五月雨の視線を追って、マキーシナは後ろを見た。
「…………オー。そういうことですか。ミスター板垣に引き続き、こんなスターがまだいたとは、オドロキだな」
「彼がいれば大丈夫。問題はないわ。彼に加えて数多の手練れを引き連れてきたわけだし……、今、私たちに怖いものはない」
青年は、まるで微動だにせず、前だけを静かに見据えていた……。水滴が水面にポツンと落ちるかのような、そんな静けさをまとって。
2
初めてその「兆候」が顕れたのは、少年が三歳のとき、今から約二年前のことだった。
初め、少年には何が起こったのかわからなかった。
特に、脳裏に映像が浮かんだり、天からの声が聞こえてくるわけでもない。
漠然とした意識の中で「理解」する。
あれは、リビと空き地で遊んでいるときのことだった。
突然、少年は動きを止めた。意識の奥底に自身の魂が居座っているかのような感覚を覚え、少年は倒れかけた。まるで自分の中のどこだかわからない場所から目に映る世界を見ているかのようだった。
そして少年は危機を察知した。
「リビ、早く逃げよう」
少年たちは走り出し、空き地から十分に離れた。
「……もうすぐだ」
ドォンッッ
爆発だ。
少年たちがいた空き地が爆発した。巻き上がる火柱を遠目に少年は思った。この国は野蛮だと。
この日、初めて少年は理解したのだ。己が道徳の欠片もない地に生まれ落ちた
ことを。
地中に仕込まれた爆弾は、テロリストの仕業だった。空き地に建設予定の外資系の建物を破壊するつもりだったが、何の因果か、この日、思いも寄らぬ誤作動で爆発した。それを少年に知るすべは勿論のことなかったはずである。
それを予知した少年の謎は、少年を含めた誰にもわからない……、誰にも。
3
十数の車は、サハラ砂漠を横断した。南方にナフーサ山脈、東方のアフダル山脈を眺めて、板垣ら一行は町を目指した。岩石砂漠、礫砂漠と風景を変え、ようやく姿を現した。
「着いたわね」
五月雨の声で、マキーシナが目を覚ました。
車は全て目立たない町のはずれに停められた。
一行は、周囲を警戒しつつ、板垣を中心に警護するように歩を進めた。
マキーシナが先頭に立って言った。
「予定通り、ある民家から伸びた秘密の階段を使って地下に行く。昔は坑道として使われていた場所だが、知ってる者は少ない。入り口は地上に三つほどある。一応部下を見張りにつけておくといい」
一行は比較的広い民家に入った。見張りのため、十数名を残し、残りはマキーシナについて秘密の階段を降りていった。埃が積もっていて、長い間使われていないことがうかがえる。今のところ、この町の住民には見つかっていない。見つかってもそれほど問題はないが、見つからないに越したことはない。
しばらく暗い坑道を歩くと、広い広間のようなところに出た。十分に電気も点いていて、明るい。露出した土の壁が若干威圧的だった。
「話には聞いていたが、地下というのはかなり危険だな……」
マキーシナがぼやいた。
「まぁ、ここ一帯を沈めるほどの爆薬を植えてあるとは到底思えないし、やってくるとしても出入り口の爆破でしょう」
五月雨は不適な笑みを浮かべて言った。
五分も待っていると、取引先が別の穴からやってきた。
全員銃を武装していた。
空気が張り詰める。
「やあやあ、ご無沙汰してます」
マキーシナが笑顔で取引先に話しかけた。アラビア語だ。
代表のような男が前に出てきて、板垣らをじーっと見つめた。
「板垣は?」
「奥に隠れてるよ……、へい! ミスター板垣。顔を見せてくれ」
黒服の男たちを割って、板垣がその姿を現した。
板垣は度の入った低い声で言う。
「さぁ、儂が出てきた。銃を見せろ」
マキーシナが通訳した。
代表はしばらく板垣と目を合わせたのち、パチンと指を鳴らした。背後から大きな木箱が出てきた。それを中央に置かれた机に置いて、中から物が取り出された。
取り出された銃は、アサルトライフル。それを持った男が説明し、マキーシナが同時に通訳した。
「このアサルトライフルは化け物です。ある研究機関の物理学者などが銃製造機関と共同で開発した激ヤバなモンスターライフル。まず、何が凄いって、実際撃ってみればわかりますから、どうぞこちらに」
黒服が一人、前に出る。銃を渡されると、頭に布を被されたボロボロの男が出てきた。突き飛ばされ、壁にもたれかかった。手は縄で縛られていた。
「さぁ、どうぞ」
マキーシナは「胸クソ悪いぜ」と日本語で小さく付け加えた。
どうやら、あの男を撃てと言っているようだ。
黒服は五月雨らに顔を向けた。五月雨が小さくうなずく。ゴーサインだ。
「普通はライフルっていうと三キロオーバーですけど、そいつはなんとM4A1カービンより軽い。どうです? 持ってみてわかるでしょう。それでいてその見た目だからルックスは文句なし」
黒服は発砲した。ボロボロの男は声も上げずに即死してしまった。黒服のせめてもの配慮だった。
「口径5.56ミリ、銃身長230ミリ、全長750ミリ、装弾数30発。サイレンサー、スコープなど各種アクセサリーの取り付けができる上、専用のグレネードランチャーもぶっ放せます。しかも、ほら、反動も小さいでしょ。命中精度も神がかってますから、それひとつで狙撃から接近戦闘まで難無くこなせちゃう。はっきり言ってお買い得です」
黒服は男が倒れたあとも、壁に向けて撃ち続けた。
「おっ……おぉ……凄い」
黒服はあまりの撃ちやすさに心底驚いていた。
「そのハイスペックでこのお値段、大量生産もできてます。こいつはAKにかわってテロリストを支える悪名高い銃になりそうです」
「どうやってコストを抑えたんだ?」
黒服は思わず聞いた。
「うちのお友だちが、研究所の奴らとずいぶん仲がよくて、頭に銃口を突きつけたら『やります、やります』って、笑えます」
マキーシナはうんざりした様子で通訳した。
「この破格の値段で提供できるのは、そういうわけで、今だけです。どうしますか?」
五月雨は黒服に聞いた。
「どうなの?」
「……いい感じだ。これは乗った方がいい」
黒服は銃の素晴らしさに感銘を打たれたようだ。
その後、商談はスムースに進んだ。板垣らが銃の買収に前向きな姿勢を示した頃、代表の男が初めて表情を崩し、口元を緩ませていたことに……、ただ一人だけが気づいていた。
黒服の青年が五月雨に近づいた。
「……まずいぞ」
「…………? どういうこと」
五月雨も青年と同じく英語で返す。
「あの金歯……笑ってるぞ」
「……!」
代表の男は「HAHA」と笑い出した。
そして――――
ドドドォォンッッッ
「なっ」
「!?」
爆発だ。
音の方向からして、この広間に伸びる坑道の入り口付近が爆破されたようだ。
突然の爆破ではあったが、これは想定内であった。といっても、最悪の想定であるが。
黒服たちは手ぶらに見せかけて、全員が拳銃を所持していた。
懐から抜き出される黒い魔獣が牙をむく。
「オオオオ」
「AHHHH」
鳴り響く発砲音に混じって男たちの悲鳴にも似た絶叫が響き渡る。舞い上がる血の向こう側では、生が死に変化する。
銃声は四方八方に行き交い、五月雨の高い叫びは、老いた老人の耳には届かなかった。
「主ッッ主ッッ」
死とはあまりにもあっけなく目に映るものだ。
頭を撃ち抜かれた者は、まるでフラッシュバックのごとく人生の印象深いシーンを脳裏に再現させては引き裂いて、知らぬ間に生を終えた。
腕を撃たれた者はひざまずき、己の人生を少なくとも一瞬悔いた。
「GAAHHH」
げに恐ろしきAK47を振りかざし、異国の者は白目をむいていた。そして心臓を撃たれ死んだ。
死体を盾にして、黒服たちは声を張り上げた。
「出口は爆破された! 出られるか調べるんだッ!」
「おれが行く」
勇敢な一人の男が立ち上がるが、頭部を激しく辺りに散らかし、言葉もなく消えた。
「クソォッ!」
「主を外に逃がせ! ロン!」
日本語ではあったが、名を呼ばれた青年は自分に何が要求されているのかを一瞬で理解した。主を守り、ここから脱出せねば……!
飛び交う血と銃弾の中、最強の殺し屋ロン・クーリンが立ち上がった。
「……!」
その前に立ちはだかる、怪しき影が低く笑う。
耳に響く銃声のせいで、本来聞こえるはずのない声を、ロンは確かに聞いた。
「……クククク……………………逃げ切れると思っているのか? ……なぁ……
?」
電灯の光に照らされた金歯を鈍く輝かせ、男は微笑んだ。
「サヨナラだ……」
アラビア語は青年にはわからない。
――――ちょうど、水面に落ちる水滴が跳ねるのに似ていた。男の胸から吐き出された血の動きが。
最後の断末魔……、男は内臓を破壊されつつ、乱射した。
「グァハハハハッ」
素早い動きでそれをかわし、ロンは飛んだ。
だが、散布した銃弾の流星群を避けきることはできず、数発被弾した。肩と太ももに激痛が走った。しかし、伊達に最強は名乗らない。この程度の痛みには慣れている。
跳躍は非現実的だった。約三メートルは浮いただろう。着地と同時に男の首をひねり曲げ、殺した。
流れ弾が頬を裂く。
「ロンに続けぇッッ! 死んでも主を守れぇッ!」
オオオオオオオオ、とまるで地響きのように黒服たちはうなり、怒涛の銃撃で敵を葬った。ロンの空中活劇が男たちの闘志を燃やしたのだ。
破竹の勢いで敵をなぎ倒し、男たちは出口に向かって走った。その中央には板垣と五月雨の姿があった。
「主! 血が!」
「……ぬぅ」
老人の二の腕は出血していた。流れ弾が当たったようだ。
「やはりこうなったか……おのれ……」
「……キャッ!」
ナイフを持った男が屍となって飛ばされてきた。
辺りは地獄絵図だ。血塗れになって殴り合い、首を狙って斬りつける。蹴り飛ばし、銃で撃つ。
板垣は殺し合いを横目に、荒い息を吐きながら、ヨレヨレと足を動かし思っていた。
……そう、暴力なのだ。
人間が最後に選ぶ手段は。
「あっがっ」
「!?」
ドドンッッ
板垣のすぐ後ろで爆発があった。手榴弾だろうか。
板垣は爆破の衝撃で倒れ込んだ。後ろを固めていた黒服はほとんど吹き飛ばされてしまった。
「ハァ……ハァ……」
「ぐっ……いった……」
五月雨は倒れた衝撃で動けずにいる。今、この瞬間、板垣を守る者はいない。
虚空に響く銃声はやまない。
「…………!?」
板垣の目が、見開く。
刃物を持った敵が彼を見下ろしていた。
死線……、板垣は唇を噛み締めた。久しく味わう死のスリルが、老人の身体に行き渡った。
「オワリダッッイタガキッ」
敵は大きく振りかぶり、足を踏み出した。
板垣の鼓動がドクンと一回、一際大きく波打った。