三 軍靴の音④
日米露、三国の旗色は悪かった。
六月。第二次AL作戦は失敗。バクダは海へ出て更に西へ向かった。
七月。続けて展開されたカムチャッカ半島上陸阻止作戦も失敗。連合艦隊はさらなる打撃を受けた。
八月。半島を横切ったバクダは更にオホーツク海と樺太を横断。ロシア本土へと上陸した。
当初の予定では、この作戦にロシアは総力を上げると思われていたが、それは叶わなかった。
太平洋がバクダで手一杯であるにも関わらず、ヨーロッパの戦争が続いていたからだ。ソビエトの首都モスクワはかなりヨーロッパに近い。極東の田舎よりも首都近辺に戦力を割くのは当然の判断かもしれないが、総力を傾ける日米にとっては頭の痛い現状であった。
十月。戦場はウラジオストクに至った。ここでは三国連合艦隊に加え、ソビエト陸軍までも参加する大規模な戦闘が繰り広げられた。昼も夜も砲火が飛び交い、戦場にはエンジン音と飛竜の咆哮が響く、人類が経験したことのない不気味な戦場であったとされている。
しかし、三国はまともな足止めすら出来ず、ウラジオストクは戦火に消えた。
このころ、全ての日本人が気づいていた。とても恐ろしくて公然と口には出来なかったのだが。
バクダの上陸した樺太北部の都市からウラジオストクまでは1000キロ以上離れている。しかし、その間バクダは沿岸から離れず、殆どまっすぐ南下しているのだ。
まるで、なにかを目指しているように。
「もしかして、日本に来るんじゃないだろうな……」
バクダは口を聞く訳でもないし、飛竜騎士だって話が通じるとも思えない。全ては憶測であり、根拠はない。だが、否定する材料もない。たかが憶測であるが、全ての日本人を震え上がらせるには充分であった。
十一月。おそらくバクダは満州に入っただろう。
おそらくと言うのは他でもない。情報統制により、詳細が伏せられているからだ。国民の不安を煽るのを防ぐーーと言えば聞こえが良いが、ようは都合の悪い情報を流したくないという、かつてと同じ轍を踏んでいるだけのことであった。
「ああ……こりゃ来るな」
少なくとも軍はバクダ来襲に備えている。何しろ劇場のすぐ隣が鎮守府なのだ。人員、物資の出入りが日に日に増えるのは目を逸らしていてもわかる。
隼人たち一般の国民まで情報が来ていないだけで、向こうでは防御線は構築され、都市の封鎖も始まっているのだろう。明確な情報もないのにここまで推測できてしまうのは、ここ数年積み重なった負の信頼の成せる技であった。
十二月のある日。軍の要望により公演が中止された。随分と急な話に、みな露骨に不満そうであったが、出資者でもある軍には逆らえない。
格納庫で稲若丸の掃除をしていると、稽古場から声がした。
「随分と急な話だね。今日からだなんて」
落ち着いているのに、風が吹けば浮き上がりそうな不思議な雰囲気を醸し出しているのは、日菜の父である戦伎太夫、剣楼である。
「ええ……妙な話です」
もう一人は隼人の父、人形遣い筆頭の砲園である。
「娯楽などしからんと手のひらを返すのは予想してましたが……これは少し違うようですね」
「そうだねえ。それにしたっていきなり百から零にするのは珍しい。普通は一日の公演数を減らして、それから飛び飛びにして、みたいな段階を踏ませるものだよね。
せっかく小松っちゃんが立ち直ってきたのに、ここで仕事が増えたらまた寝込んでしまうよ」
「剣楼さん、何か鎮守府から聞かされてはいませんか?」
「残念ながらなにも。この前までは慰労会だの祝勝会だのあったけど、流石に今はそうもいかない。酒の席に呼ばれることも少なくなったよ。席自体が減ったのかもね。
まあ、ウチの芸はお座敷には向かないからね、よっぽどの物好きじゃないと呼ばれないんだけどね」
剣楼はからからと笑った。日菜の父親とは思えない穏やかな口調であるが、どことなく太々しいのはそっくりであった。
「軍がなにか隠してる。あるいはなにかさせようとしている空気では?」
「ああ、そんな感じだね」
そこにパタパタと駆け込むのが聞こえた。足音が軽く、歩き方が若いから日菜か小松。いや、歩幅が小さく、どことなく気遣いを感じさせるから小松だ。
「あ、ここにいたんですね。
皆さん鎮守府に呼ばれてます。格納庫にも誰かいますよね?役者も裏方も全員ですって!」
声の主は予想通りであったが、その内容は予想外であった。




