第5話 日曜の鍋
日曜日。
週に一度の、心行くまでダラダラしていい貴重な日――のはずだったのだが。
「ひかげちゃん、起きてる?」
布団の中でごろごろしていると、ほのかがそっと覗き込んできた。
「半分だけ起きてます」
「じゃあ、残り半分も起こして。今日ね、鍋パーティーしようって話になってて」
「鍋……?」
その単語に、寝ぼけた頭が一気に現実に引き戻された。
「肉は?」
「昨日、まどか先輩がタイムセールで買ってきてくれたよ」
「野菜は?」
「管理人さんが畑で採れた大根くれた」
完全に準備万端である。
「……参加します」
「だよね」
鍋と聞いて断れるほど、私は出来た人間ではない。
◆
夕方。
103号室の机の上には、小さな卓上コンロと鍋が鎮座していた。
中には、だしのいい香りが漂うスープと、白菜、ネギ、肉団子、大根、きのこ類がぎっしり。
「見よ、この豪華さを」
まどか先輩が、誇らしげに腕を組む。
「全部、タイムセールと特売で揃えました」
「さすがですね」
「お肉は半額ステッカー。きのこは見切り品。白菜は丸ごと一玉買った方が安い」
「説明がいちいち生々しい」
ほのかは、嬉しそうにお椀を並べている。
「わたし、鍋ってちょっと憧れだったんだ」
「憧れ?」
「テレビで見たことあって。みんなで鍋囲んで、『あったかーい』って言いながら食べるやつ」
「あー……」
確かによく見る光景だ。
「うち、家族そろってご飯ってあんまりなくて……。だから、ずっとやってみたかったの」
「それなら、いっぱい食べないとね」
レイナはというと、鍋の前で正座して、真剣な顔をしていた。
「鍋の表面に映る、この揺らめく世界……。まるで私たちの人生のようだ」
「ごめん、今だけ普通にして」
せっかくの鍋のテンションを、変な方向に持っていかないでほしい。
◆
「じゃ、火つけるよー」
カチッとコンロに火をつけると、ほどなくして鍋がぐつぐつと音を立て始める。
湯気と一緒に、だしと野菜と肉団子の匂いが部屋中に広がった。
「うわー……」
「これ、絶対おいしいやつだ……」
全員の視線が鍋に釘付けになる。
「じゃあ、いただきます」
「いただきます」
それぞれ、お椀に具をよそって口に運ぶ。
「……おいしい」
「しみる……」
「闇が、少しだけ溶けていく味がする」
「レイナちゃん、コメントがいちいち重い」
でも、それだけ心と体に染みる味だった。
野菜の甘さと、肉団子の旨味。
平日のもやし中心メニューとは比べ物にならない、贅沢な味。
「まどか先輩、料理のスキル高いですよね」
「鍋は誰でも作れるよ。材料ぶちこんで、味整えるだけ」
「そう言う人に限って、さりげなく手際とか味付けが上級者なんですよ」
実際、微妙な塩加減とポン酢の合わせ具合が絶妙だ。
「まどか先輩って、将来何になりたいんですか?」
「経理」
「即答」
それはもう納得しかない。
「帳簿つけるの好きだし、お金の流れ見るの楽しいし。会社のお金管理して、無駄を全部削って、黒字にしていくの。絶対楽しいと思わない?」
「楽しさの基準が完全に経理」
でも、こういう人が一人いると、組織は救われるのだろう。
◆
鍋が中盤に差し掛かった頃。
「ねえねえ、たまにはさ、ちょっとしたゲームでもしようよ」
ほのかが、唐突にそんなことを言い出した。
「ゲーム?」
「うん。『一人ひとつ、ヒミツを言う』とか」
「それ、わりとヘビーなゲームでは?」
いきなりディープな方向に攻めるタイプだったらしい。
「もちろん、言える範囲でいいんだけどね。なんか、こういう鍋囲んでると、そういう話したくならない?」
「ドラマの見過ぎ感あるけど、まあ分からなくもない」
まどか先輩は、少し考えてから頷いた。
「いいんじゃない? そういうの。どうせ大したヒミツないでしょ、私たち」
「それもどうなんですか」
レイナも、箸を置いてこちらを見る。
「ふ……。闇を共有する儀式か」
「怖くなるからその表現やめて」
「じゃあ……じゃあね」
ほのかが、お椀を両手で抱えながら口を開いた。
「わたしから、言っていい?」
「どうぞ」
「えっとね……」
少しの沈黙のあと。
「わたし、中学の時、クラスの女子に『ぬいぐるみとしか喋ってない』って言われて、それから人と話すの怖くなったことがあるの」
思っていた以上に、重めのヒミツだった。
「……ごめん、暗くしちゃった」
「いや、責めないから」
まどか先輩が、すぐにフォローを入れる。
「その子たちが、あんまり気の利かないこと言っただけでしょ。ぬいぐるみと喋るの、そんな悪いこと?」
「でも、気持ち悪いって言われちゃって」
「その子たちのセンスが悪い」
まどか先輩の言葉に、レイナが静かに頷いた。
「……私も、似たようなこと言われた」
「え、レイナちゃんも?」
「中学の時、『ポエム読んでるとこ見られて気持ち悪い』って」
「それはまあ、分からなくもない」
そこは若干同情と理解が半分ずつである。
「だから私たち、ちょっと似てるのかもね」
レイナが、ほのかに向かって小さく笑ってみせた。
「私は、ぬいぐるみとポエムで会話してたし」
「ポエムと会話って新ジャンル」
「でもね」
ほのかが、ゆっくりと言葉を続ける。
「寮に来てからは、ぬいぐるみと喋ってても、誰も変だって言わないから。ううん、むしろ、ちょっと笑ってくれるから」
「まあ、軽くツッコむくらいはするけどね」
「でも、その『ツッコミ』が、いやじゃないの」
ほのかは、私たちを見回して、少し照れたように笑った。
「だから、ヒミツってほどじゃないけど……。今、ここにいるの、すごく好きなんだ」
なんだ。そんな「ヒミツ」なら、いくらでも聞きたい。
「……こっちのセリフですよ」
思わずそう返すと、ほのかは目を丸くした。
「え?」
「私も、家よりここにいる方が、気楽なんで」
「ひかげちゃんも?」
私は、少しだけ迷ってから、自分の番も話すことにした。
「うち、親がちょっと口うるさくて。何やっても『それは将来の役に立つのか』が口癖で」
「うわ、それはしんどそう」
「ゲームしようが漫画読もうが、『そんなことしてないで勉強しろ』って」
あのリビングの光景を思い出す。
母のため息と、父の説教と、妹の冷たい視線。
「だから、寮に逃げてきたところ、もやしと鍋とポエムとぬいぐるみに囲まれることになったわけで」
「最後の二つだけだいぶ特殊」
でも、不思議と嫌じゃない。
「まどか先輩は?」
「私?」
まどか先輩は少しだけ視線を落とした。
「……じゃあ、一個だけ」
鍋の湯気の向こうで、彼女は少し笑った。
「私ね、小学生の時に、母親がカードローンで多重債務になってさ」
「おおっと、いきなりヘビー」
「家の中、ずっとピリピリしてたのよ。父親と母親が毎晩喧嘩してさ。『なんでこんなになるまで使ったんだ』って」
「それは……」
「で、『借金怖い』っていうのが染み付いちゃって」
だから、節約と家計簿が好きなのか。
「お金の出入りが見えてないと、不安でさ。だから、家計簿つけて節約して、『あ、大丈夫だ、この範囲なら破綻しない』って確認するのが、楽しいの」
「……背景を聞くと、一気に納得度が増しますね」
「まあ、ヒミツってほどでもないけどね。家族しか知らない話だから」
そう言って、まどか先輩はあっさりと笑って見せた。
重い過去の話なのに、それを「今の自分の趣味」に変換しているのが、なんだかすごい。
「じゃあ、最後はレイナちゃんだね」
ほのかが視線を向けると、レイナは少しだけ肩をすくめた。
「私は……」
鍋を見つめながら、ぽつりと呟く。
「本当は、ただの普通の名前で生まれたかった」
「名前?」
「黒瀬レイナ。別に珍しくもなんともないと思うだろう?」
「まあ、普通……かな?」
「でも私の本名は、『黒瀬零奈』なんだ」
零奈。
「『何もない』って書く。『生まれた時、何も期待してなかったから』って、父親が笑いながら言ってた」
「それは笑えない」
「だから、私は自分で、『レイナ』ってカタカナにした。せめて見た目だけでも、何かに属さない感じにしたくて」
そう言って、レイナは笑った。
「……まあ、その結果、ポエムと厨二病に走ったわけだけど」
「自己分析が辛辣」
「でも、ここだとさ。名前とか、過去とか、あんまり関係ないじゃない?」
レイナは、私たちの顔を順に見て言う。
「『闇が』とか言っても、『はいはい』って流してくれるし」
「そこは流される前提なんだ」
「だから、ヒミツってほどでもないけど。今の私は、けっこう気に入ってる」
つまり、「残念な自分」も含めて、だろう。
◆
「……なんか、思ったよりちゃんとした話になっちゃったね」
ほのかが、照れくさそうに笑った。
「もっとこう、『実はテストでカンニングしたことがある』とか、そういうの想像してたのに」
「それはそれで重い」
でも、たまにはこういう回があってもいいのかもしれない。
鍋の湯気と一緒に、少しだけ心の中のモヤモヤも飛んでいくような気がした。
「じゃあ、次のヒミツ」
「まだやるんですか」
「次は軽いやつ。『好きな食べ物』とか」
「それヒミツって言わない」
気づけば、鍋はほとんど空になっていた。
お腹も、胸の中も、あったかい。
こんな日曜の夜なら、たまには悪くないと思う。




