第4話 土曜の掃除
土曜日の朝。
平日よりも遅くまで寝ていられる、貴重な休日――のはずだった。
「起きろー! 起きろ103号室ー! 今日は掃除デーだぞー!」
廊下から響き渡る管理人さんの声で、私は目を覚ました。
「……何その地獄の号令」
「ひかげちゃん、起きた? 今日は寮全体の大掃除の日なんだって」
ほのかが、パジャマ姿でぴょこっと顔を出す。
寝癖で髪の毛がふわふわしていて、なんか朝から癒やし度が高い。
「大掃除?」
「うん。月に一回あるんだって。廊下とか階段とか、みんなで分担してお掃除するんだって」
「月一でそんなイベントあるんですか、この寮」
いちいち行事が多い。
さすが、安さの裏には手間がある。
「あとねー」
廊下から、管理人さんの声がもう一度飛んできた。
「この建物ももうだいぶガタきてるから、ありがたく掃除しときなさいよー。あと三年もったら御の字なんだから」
「三年?」
ほのかが首をかしげる。
「建ててから相当経ってるって、前にも言ってたでしょ」
管理人さんが、モップを肩に担いで顔を出した。
「オーナーさんも、『そろそろ立て直し考えないとなあ』なんてぼやいてたわよ。まあ、すぐどうこうって話じゃないけどね」
「……へえ」
私は曖昧に相槌を打つ。
(建物にも“寿命”があるのは当たり前か)
頭のどこかでそう理解しつつも、「三年」という数字は、妙に生々しく響いた。
(でもまあ、どうせ長居するつもりじゃなかったし)
自分にそう言い聞かせて、私は布団から這い出した。
「まあとにかく、寝てる子たちは叩き起こしてねー。じゃ、よろしくー」
管理人さんは、ガラガラと掃除道具のワゴンを押して去って行った。
◆
「……大掃除?」
レイナが、布団の中から虚ろな声を出した。
髪はいつも以上にぼさぼさで、完全にゾンビだ。
「床に貼り付いて終焉を待ってる場合じゃないですよ」
私はカーテンを開けて、一気に光を入れる。
「うわ、現実……」
「ほら、起きて起きて。掃除サボると、後で管理人さんにポイント減点されるんですって」
「ポイント?」
上のベッドから、まどか先輩が顔を出した。
寝起きなのに、もう家計簿を抱えている。怖い。
「掃除デーにちゃんと参加すると、地味に『ひだまりポイント』が貯まるのよ」
「ひだまりポイント?」
「月末に、ポイント数に応じて共用のお菓子予算が増えたり、洗濯機の優先権がもらえたりする」
「急にシステムがソシャゲっぽくなった」
ほのかが目を丸くする。
「つまり、掃除を頑張ると、おやつと生活の質が上がるということですか?」
「そういうこと」
まどか先輩は、どこからともなく取り出した紙をひらひらさせた。
「ひだまりポイント表」と書かれたその紙には、部屋番号ごとに小さな丸印がいくつか並んでいる。
「これ、全部つけてるんですか?」
「楽しいよ?」
やっぱりこの人は、金銭とポイントに関わるものだと急に生き生きする。
「じゃあ、今日の掃除も、ポイント稼ぎ放題ってことですね」
「そう。ポイントの女神、管理人さんのご機嫌を取るチャンス」
ポイントの女神。
なんか安っぽいキャッチコピーだけど、ここでは案外重要そうだ。
◆
十分後、私たちは階段前の踊り場に集合していた。
廊下には、他の部屋の寮生たちも集まっている。
すっぴんジャージ姿の人もいれば、すでにバイト行くみたいな格好の人もいて、みんなバラバラだ。
「おはよー。全員揃った?」
管理人さんが、名簿片手にあたりを見回す。
「101ー」
「はーい」
「102ー」
「はーい」
「103ー」
「はーい」
私たちも手を挙げる。
「よし、全員。じゃあ今日の持ち場は……」
管理人さんは、手元のメモを見ながら指で追っていく。
「三階の廊下と階段、103と104ね」
「うち、階段担当ですか」
「若い子たちで固めないと、腰やっちゃうからねー」
なるほど、現実的な理由だった。
「掃除サボった人は、ポイントマイナスねー。頑張った人は、後でポイント加算しておくから」
管理人さんは、ニヤリと笑う。
「ポイントって、何に使えるんですか?」
誰かが尋ねると、管理人さんは指を折りながら説明した。
「今のところ、
・月末のお菓子会のランクアップ、
・たまに行く大衆浴場の無料券争奪戦の優先権、
・共用のこたつ布団新調の時の色決定権、
あと、私の機嫌がいい」
「最後だけ異様に重い」
レイナがぼそっと突っ込む。
「まあ、やるからには楽しくやりましょって話よ」
◆
そんなわけで、私たちは三階の廊下にモップや雑巾を持って散っていった。
「じゃあ、私は窓拭きするね」
ほのかが、雑巾を片手に廊下の端の窓へと向かう。
「私は、廊下のモップがけ」
まどか先輩が、手際よくモップにバケツの水を含ませる。
「私は、世界の終焉を見守りながら手すりのホコリを払う係」
「普通に『手すり担当』って言ってください」
レイナは、埃取り用のハタキを手に、なぜか神妙な顔をしている。
私は、壁の掲示物を一旦外して、雑巾で壁を拭く担当になった。
掲示板の下の壁には、小さな傷や、剥がしきれなかったテープの跡がいくつも残っている。
「これ、全部、誰かの生活の跡なんだな……」
自分で口に出してみて、少しだけ不思議な気持ちになった。
貼って剥がされたポスター。
いつからあるのか分からないシール。
壁の角の、小さな欠け。
知らない誰かが、ここで笑ったり、泣いたり、疲れて帰って来たりした場所。
「ひかげちゃん、しんみりしてる?」
窓拭きが一段落したほのかが、近くに寄ってきた。
「いえ、ちょっと、歴史を感じただけで」
「歴史?」
「建物も、人も、三年やそこらじゃ足りないくらい色々あったんだろうなって」
私の言葉に、ほのかは少し目を丸くして、それから笑った。
「ひかげちゃん、たまに詩人になるよね」
「レイナさんの影響ですかね」
「世界の終焉仲間?」
「違います」
◆
廊下を拭き終わった頃には、腕がすっかりだるくなっていた。
「階段、きつい……」
バケツの水を替えようと階段を下りると、別の部屋の先輩たちが息を切らしていた。
「101の二人、階段掃除どう?」
「脚やばい。明日絶対筋肉痛」
「でも、ここ滑ったら命に関わるからねえ」
管理人さんが、階段の真ん中に立ってチェックしている。
「水気はちゃんと拭き取ってねー。冬場だとここ本当に滑るから」
言われてみれば、何気なく歩いている階段も、少し水が残っているだけで危ない。
(寮がボロいボロいって言いながら、ちゃんとこうやって守ってるんだな)
なんだか、ちょっとだけ胸の中があたたかくなった。
◆
掃除が一通り終わる頃には、三階の廊下は見違えるほどすっきりしていた。
「おつかれさまー」
管理人さんが、各階を回ってねぎらいの言葉をかけていく。
「103は、窓も廊下もきれいになってるね。プラス二ポイント」
「やった」
まどか先輩が、嬉しそうにメモ帳を取り出して何かを書き込んだ。
「何書いてるんです?」
「今日のポイント内訳。それと、清掃によって電気代と修繕費の将来の節約効果を……」
「そこまで行くともう趣味ですね」
ほのかがくすっと笑う。
「でも、まどか先輩がちゃんと見てくれてるから、みんな掃除をサボれないんだよ」
「ポイントの女神だし」
レイナが、はたきで自分の肩の埃を払いつつ、冗談めかして言った。
「女神っていうより、ポイントの番人では?」
「番人も悪くない響き」
◆
掃除が終わったあと、103号室に戻ると、こたつの上には管理人さんからの差し入れが置かれていた。
「これ……」
大袋のお菓子と、コンビニの100円お菓子がいくつか。
「『本日の掃除ごほうび。103はよく頑張ったので、ちょっと多め』」
ほのかが、添えられたメモを読み上げる。
「やったー!」
あかりが、いつの間にか戻ってきていて、歓声を上げた。
「お菓子の女神もいた」
「それは管理人さん」
こたつの周りに四人で座り込み、お菓子の袋を開ける。
「掃除で疲れた体に、甘いものが染みる……」
「闇も少しだけ溶けていく味がする」
「レイナさん、すぐ闇出す」
ポテチやチョコをつまみながら、廊下の話で盛り上がる。
「そういえばさ、『あと三年もったら御の字』って、どういう意味なんだろ」
私は、さっき聞いた言葉を思い出して口にした。
「多分、物理的な寿命の話だと思うけど」
まどか先輩が、スナック菓子をつまみながら言う。
「配管とか、壁とか。修繕にどこまでお金かけるかって話で」
「つまり、この建物、三年後にはどうなってるか分からないってことですよね」
「そうね。立て直しになるかもしれないし、ギリギリまで使うかもしれないし」
ほのかが、こたつ布団をぎゅっと握る。
「なんか、さみしいね」
「でも、永遠に続く建物なんてないし」
レイナが、ポテチの袋をまじまじと見つめながら呟いた。
「終わりがあるからこそ、今こうして掃除して、ポイント貯めて、お菓子食べてる時間が、ちゃんとした時間になるのよ」
「今、ちょっとだけいいこと言いました?」
「ちょっとだけね」
私は天井を見上げる。
知らない誰かが残した傷と、今自分たちが拭いた跡と。
あと三年もったら御の字と言われる建物で、自分もその一部になっていることが、少しだけ不思議で、悪くない。
(ここがいつまで残るかは、私には決められないけど)
(掃除して、ポイント稼いで、ここをちゃんと「暮らしている場所」にすることは、私にもできる)
そんなことを考えながら、私はポテチを一枚、口に放り込んだ。
「……掃除も、悪くないかも」
思わず漏れた本音に、まどか先輩がニヤリと笑う。
「よし、次の掃除デーも期待してるよ、103のエース」
「誰がエースですか」
笑い声が、こたつの上でぽんぽんと弾けた。




