白陵の老兵
その日、黎翔は王宮の庭で昼寝をしていた。最近では、炎陽からの攻撃もなく、国境にいる兵士の数も減らす事に決めていた。内政も潤って不満もなく、暇を持て余していた。いや、たった一つ問題はあった。
「おい、王尊……なんだ、寝てるのか? 起きんかい……」
「ん、んん、なんだ『千戟』じいちゃんか……」
ぼおっとしていて気づかなかった。確か、千戟は田舎に帰ったはず……
「どうして、こんな所にいるんだよ……田舎に……」
「王尊よ、どうしても馴染めなくてな……また兵士をやらせてくれんかの?」
「爺ちゃん、親父と同い年なんだろう……もう良い歳なんだから、孫や娘らと一緒に……」
「なんだ偉そうに……この辰雲を作ったのは俺たちなんだぞ……」
「……まぁまぁ……爺ちゃんの気持ちは分かるよ……」
全く『王尊』というのは、この国で一番偉いのと違うのかよ……と黎翔は思う。親父にしろ、老兵どもは王尊の言う事など聞く耳を持たない。
そう思った矢先、千戟は泣き出した。
「娘がさ……虐めるんだよ……畑仕事も出来ない役たたずって……亡くなった母ちゃんの方が良かったって……」
「うん、そうだろうな。千戟爺ちゃんは、ずっと兵士として第一線で活躍した英雄だから、畑仕事は難しいよな……」
「だろう、だろう……だから、兵士に戻してよ……」
「爺ちゃん、言っておくが……その歳で兵士は無理だ……あの親父だって『足でまとい』なんだから……せめて黒魔術の一つでも出来れば……」
「うんうん、頑張る……頑張るから……ねぇ、黎翔ちゃん……」
これが、あの英雄の成れの果てとは……
「分かった……考えるから、今日は泊まって……」
「うんうん、そのつもりだよ……所で黎昇は?」
「爺ちゃんか? そういや一週間ほど見てないな……どうせ、山に籠って狩でもしてるんじゃねえの……そんな事はいつもの事だよ……」
「そうか……せっかく、一緒に飲める思って地酒を持って来たのに……」
「……それは、もらっておくよ……」
黎翔の言葉に千戟は、懐から出した酒を再び直した。
「酒の味を分からん、ガキにはやらん……」
「……ガキ……」
確か、王尊って、この国で一番偉いよな……そう思いながら首を傾けた時、使者が駆け寄ってくる。
「王尊さま、華熙より使者が来ております。この封書を持ってこられました……」
「分かった……返事を書くから応接に通しておけ……」
その封書を黎翔は慌てて開けた。華熙では、最近『戦略結婚』をした雪玲が亡くなっている。和平も進んでいない……悪い予感しかなかった。
「……んん、なんて汚い字だ……読むのに時間がかかりそうだ……」
黎翔も人の事を言えるほど汚くないが、それにしても酷すぎる。この汚い字は間違いなく華熙の天帝華震が書いたものだ。
「な、なんだと……『お前の息子黎昇は預かった。人質にする……』そして、なんだ……読めない……千戟爺ちゃん……読んで……」
「ん、相変わらず華熙の連中は字が下手じゃな……どれどれ……」
千戟爺ちゃんの話によれば、黎翔の息子である黎昇を人質にした。政略結婚させるから、和平を結び直せ……という事らしい……
「ええっ……息子? おい、黎明を呼んでこい……拉致されたって言うのか?」
「なんだ……親父……大きな声を出すなって……」
太陽光を避け、茂みで隠れて寝ていた黎明は寝ぼけ眼のまま起き上がってほざいた。
「おおっ……生きていたのか……人質には……なってないよな……」
「親父……気は確かか……人質になってたら、今いる俺はなんだ……幽霊か?」
「そうだな……」
「王尊……俺は息子とも言ったが……黎昇とも言ったぞ……」
「……黎昇……爺ちゃんじゃん……」
「息子……黎昇爺ちゃん……」
黎翔はハタと気づいた。確かに、この一週間は黎昇の姿を見ていない。多分、黎昇は捕まったのだろう……そして、黎翔の息子と勘違いされた。……それは、若かったから……
「行くぞ……爺ちゃんの部屋に……」
黎翔は駆け出した。黎明も後に続く……そして、ヨロヨロと千戟も後を追った。
黎翔は、いきなり扉を開ける。そこには床に転がった一振の太刀があった。
「『対魔剣』……」
黎翔は呟く……それは魔術を跳ね返す魔法の太刀だ。この太刀を使って黎昇は魔術を跳ね返したに違いなかった。そして、跳ね返した魔術は……
漸く追いついた千戟も顔を覗かせる。
「対魔剣だな……これは、相手から来た魔術を倍にして返す力を持っている。そして、その魔術は……」
その太刀の先を指さした時、そこにある姿見の鏡に二人は目がいった。
「鏡で跳ね返って、逆の効果をもって黎昇に当たった……」
「しかも、それは老化の魔術だったら……」
「若返った?」
二人は顔を合わせる。そして、千戟は呟く。
「こりゃあ玄穆の仕業だな……今どき『生命の黄昏』などの高等魔術を使う阿呆はいない……」
最近の黒魔術師は『弾咒雷火』のような派手な爆撃魔法を好む。そりゃあ、戦争で使うのだから、その方が使い勝手がいいのだ。もちろん、怨嗟千刃も阿呆の使う黒魔術だ。
「あ、そういや……一週間前に、爺ちゃんの白馬に跨って出ていく男を見たよ……」
「黎明……早く、それを言わんか……」
「確かに、『誰?』って聞いたら『爺ちゃんの顔も忘れたのか』って……」
間違いなく人質にされたのは黎昇爺ちゃんだ。いや、若返っているのだから爺ちゃんは失礼か……
和平を結ぶのは吝かではない。……問題は人質の爺ちゃんの事だ……
「華熙で政略結婚ね……」
黎翔は思いを馳せる。
父である黎昇は、その昔は炎陽の大将軍だった。でも、戦う事しか考えない皇帝『烈火』に嫌気がさし、反乱を起こして辰雲の国を興したのだ。
若くして結婚した黎昇は、ヨチヨチ歩きの黎翔と妻の星蘭を首都『白陵』に残して戦場へと赴いていた。しかしである。なんと、北から不意を突いた炎陽の軍に囲まれ陥落してしまったのである。
「黎翔……分かる……ここに隠れるのよ……そして、私か父様の声がするまで声を出さないで……」
「うん」
「偉い子ね……」
泣きそうな声で黎翔は答える。思いっきり抱き締められた黎翔……それが母との最期になるなんて思いもしなかった。
納屋に押し込められ鍵がかけられる。そして、長い時間……孤独で憂鬱な時間が始まった。
「星蘭……黎翔……」
黎昇の声がする。『助けて』とも言えず、思わず黎翔は泣き出してしまった。
鍵の外れる音……開いた扉の先には……
手を伸ばした黎翔は抱き締められる。それは父の温もりであった。
母である星蘭の葬儀の後、黎昇は言った。
「お前を守るって約束した」
それから黎昇は黎翔と片時も離れる事はなかった。一人前になるまで……息子を背負い戦場で戦う彼に敵う者などいない……黎昇は『鬼神』と呼ばれた。
その後、黎翔は知る事になる。母である星蘭は、自分を囮にして炎陽の兵士たちから黎翔を守った事を……そして、捕まりかけた時、自ら命を絶った事を……
「親父は国を興すため、俺を守る為に人生を犠牲にしてきた。若返ったんだ……戦略結婚でも、やり直せるなら……」
黎翔は達筆な文字でサラサラと書き上げる。
「黎昇を返せって書くのか?」
「親父をか? 今の……この国には必要ないよな……まぁ、当分の間は人質として……」
「儂の話し相手……」
「だから、和平は結ぶから、千戟爺ちゃんは、会いに行ったらいいだろう……俺も会いに行くし……」
書き終えると、黎翔は慌てて応接室に向かう。扉を思い切り開けると、中に正座した華熙の使者がいた。
使者は立ち上がると深々とお辞儀をする。慌てて黎翔も深々とお辞儀を返した。
「王尊陛下にあらせましては、ご機嫌麗しゅう……」
「はい……元気ですよ……貴方も元気そうで……」
黎翔は正式な礼儀作法を知らない。だから、そんな窮屈な言葉遣いは苦手なのだ。近所のオバサンでも、王尊に敬語を使おうなんて思う脳天気な奴などいない。
「とにかく、天帝の華震さまに渡してよ……それと……腹減ってるだろう……何か食ってけよ……」
「そんな……滅相もございません……」
「いや、滅相はある……食ってけ……これは王尊の命令であるぞ……ってな……何が食べたい?」
いきなり辰雲の王尊に肩を組まれた使者は、ぶるぶると震えだした。ちょっとまずかったかなーと黎翔は思う。でも、悪気なんてない……
「そうか……メニューとかないもんな……そうだ、近くに中華食堂があるから、出前を取ろう……」
「は、はい……分かりました。私も男です。王尊さまの命令とあらば……」
「いやぁ、分かってくれるなんて、嬉しいよ……千戟爺ちゃん、地酒を出してよ……」
「もう、黎翔には敵わんわ……」
宴は始まり……そして、朝が来る……
「いい加減に起きなさい……貴方は王尊なんですよ……」
「……瑛珠頼むから……もう少し寝かせてくれ……」
「ダメです……華熙の使者の方も、最後の挨拶と……それに、千戟ジジイ……貴方まで……」
「瑛珠……本当に、あの雪玲の妹なのか……あのお淑やかな……」
「……それは環境によりますよ……こんなダメ亭主と一緒じゃねぇ……ちゃんと聞いてるよね……黎翔王尊陛下……アンタの事だよ……」
二日酔いの頭に妻の瑛珠の甲高い声が響く。フラフラと立ち上がり、黎翔は玄関まで這いずって行った。
「申し訳ない……こんな無様な所を見せて……」
「いやいや、王尊陛下に……これ程までの接待を受けるなんて、天帝華震の方へは、ちゃんと伝えておきます……」
「うん……じゃあね……バイバイ……」
手を振って別れを惜しむ。そんな黎翔に瑛珠は、吐き捨てるように言った。
「早く朝食を食べなさいよ……残して炊事場の婆さんに怒られても知らないからね……」
誠に王尊とは辛い役目である。
「うーむ……」
「どうされました……天帝華震! まさか、宣戦布告とかではありませんよね……」
「ちょっと、意味が分からんのだよ……蘇敬……読んでくれないか?」
「かしこまりました……」
その文章に蘇敬は思わず、ギョッとする。
華震ちゃん元気? 僕ちゃんは元気だもん……
ところで、和平の件はOKだからね。いまの契約のまま、存続っちゅう事で……ヨロシク!
人質については、勝手にしてください。本人には勝手にしろと伝えて……『父』である黎翔は、どっちでも構わん。戦略結婚も可愛かったら、したらいいんじゃない……ブサイクなら考えなおしても……
「やっぱり……低脳と言う評判は間違いないようですな……」
「……本当に、コイツの文章を読むと……俺はちゃんと勉強して良かったと思うよ……」
「左様でございますな……」
「ただ、問題がある……」
「なんでございますか? 何か不安な事でも……」
「このメモ……読めるか?」
突き出された紙を見る。またもや蘇敬は、驚きの顔色を隠せなかった。
「こ、これは……」
「な、何と書かれている?」
「読めません……これは何かの暗号です……このメモを、どこで……」
「それは言えん……」
「左様でございますか……」
天帝華震は、そのメモをポケットに直す。そして、蘇敬に一人にしてくれと頼んだ。
一人になった華震は、ポケットからメモを取り出す。そして一言だけ口にした。
「……なんだ、この暗号は? 昨日、俺が蘇敬に伝えなきゃって思って慌ててメモに書いたはずなのに……自分も蘇敬も汚すぎて、読めないなんて……何を伝えたかったんだっけ?」
そう言うと、机を思い切り叩いた。




