裸婦と肖像画
次の日、朝早くから叩き起された麗華は不機嫌だった。
「ちゃんと約束したわよね……麗華」
「はい……お母さま……」
もう完全に用意の整っている麗華の母、王妃『月瑤』は言った。確かに、今日は約束をしていた。宮廷画家であり、華熙で一番イケメンとの噂の高い『蘭逸』に肖像画を描いてもらう約束なのだ。もちろん、月瑤は付き添いと言う名目で、イケメンの顔を見れると言うのが本音なのである。
「とにかく、貴女は私とちがって『不美人』なんだから、ちゃんと化粧をしなさい……」
「はい……」
月瑤の、この態度は独りよがりではない。彼女は若くしてミス華熙と言われた美人なのだ。
そして、祖母は夫である『華悦』の女好きに嫌気が差して、華熙で一番の美人と名高い『月瑤』を息子華震の嫁にしたのだ。そして、今でも華震は月瑤にメロメロなのである。
麗華は、思いきって布団を剥ぐとパジャマのままで洗面台へ向かった。月瑤は爪の手入れに余念がない。
洗面台の鏡を見ると、昨日飲んだ酒の影響なのか少し浮腫んでいるような気がした。口を尖らせて見る。
蘭逸を思い出す。……そう、月瑤は何かの序に蘭逸の所に寄っては肖像画を描いてもらっている。
「麗華……貴女も綺麗なうちに彼に肖像画を描いてもらいなさい……蘭逸って美男子だし、彼の顔を見ているだけでも女って綺麗になるのよ……」
そうかもしれない。地下から汲まれた水を掬って、顔に当てると眠気が飛んだ。綺麗に描いてもらう為にも、こんな浮腫んだ顔は見せられなかった。
あの蘭逸の笑顔の前には、誰も恋せずにはいられないのだろう。彼の描く肖像画は素敵だった。
顔をタオルでも拭い、自室に戻ると……月瑤は麗華を見て言う。
「健康的な肌ね……弾いてるわ……これなら化粧ノリも良さそう……こっちにおいで……」
そう言われると嫌とは言えない。鏡台の前に座ると後ろから月瑤が覗き込む。鏡の麗華に向かって話しかける。
「麗華……好きな人っている?」
麗華はドキッとした。ふと黎昇の顔が浮かぶ。
「いないよね……私ね……無理矢理にお父さんと結婚させられたのよね……」
「知ってるわ。お婆ちゃんから聞いたもん……」
麗華の頬に白粉を塗りながら、月瑤は話を続ける。
「お父さんたらね……結婚式の時に……」
月瑤は思い出していた。あの時の事を……
結婚の儀が終わり、華震と月瑤は控え室に戻った。宴が始まる、その前に着替えを済ますためだ。
「月瑤さん、話がある……」
「天帝……」
月瑤の腕を掴み、華震は自分の控え室へ連れ込む。
その時、頭の中を前の天帝である華悦の事を思い出した。華悦は気に入った女がいれば力ずくでモノにしたと言う。しかし、誰も文句を言う者はいなかった。『天帝』とは、そう言う者だと母から教えられた。だから、自分がミス華熙に選ばれ、そして『天帝』の嫁になる以上……力ずくでされる覚悟は出来ていたのだ。
「天帝……貴方は最高権力者です。私が貴方に従う覚悟は出来ているつもりです……」
「そんな事は言っていない……僕が知りたいのは君の気持ちだ……結婚したとしても、僕を少しでも嫌いになったら……言えばいい……何時でも別れる覚悟は出来てる……」
「嘘ばっかり……私を弄んで、他の女にも手を出して、好き放題するんでしょう。私、知ってるのよ……貴方の父の事を……私の母も弄ばれて……」
月瑤は泣き崩れた。華震は跪いて、月瑤の肩に手を掛ける。それを月瑤は振りほどいて、睨みつけた。
「本当に、そう思っている……」
「当たり前だ……」
「なら、今すぐ別れて……貴方の顔なんて見たくもないわ……」
「分かったよ……君の気持ち、受け取った……自分の控え室に戻りなさい……」
言ってしまった。天帝に向かって、あんな事を……月瑤の手は震えた。この報復は必ずくるに違いなかった。しかし、言わせたのは天帝の方だ。月瑤は立ち上がり、扉を勢いよく開けると自分の控え室に戻って頭を抱えた。
宴が始まる。真ん前の席に二人並んで座る。月瑤は顔を上げるのも嫌な気がした。すると華震は立ち上がる。
「皆さん……聞いてください。私は……この月瑤と結婚しません……彼女は僕を愛してはいない……」
宴の席が騒然とする。
「皆さん、せっかく集まって頂いたのに申し訳ない……これも僕の不徳の致すところです……」
深々と頭を下げた天帝に、文句を言う者など誰もいない。そこに拍手の音が聞こえた。
「華震、それこそ皆の上に立つ天帝だよ……」
「お母さま……父が貴女にかけた苦労は……」
「華震、終わった事は言うではないわ。もう亡くなった者など、どうでもいい……」
亡くなった天帝華悦の妻、凌陽は月瑤に向かって言う。
「月瑤さん、貴女は自分の気持ちに忠実に生きているんだね……その気持ちを大切にしなさい……せっかく、ここまで来てくれたんだ。生涯暮らせるだけの金は……」
「そんなもの要りません!」
宴の皆の注目を一斉に浴びた月瑤は話を続ける。
「天帝……いや華震……貴方は私を死ぬまで愛してくれるのよね……だから、浮気なんてしたらスグに別れるからね……それを約束してくれるなら……」
「もちろんだよ……月瑤……君ほど綺麗で、聡明で素敵な女性なんているものか……一生、愛してやる……絶対、離すもんか……」
いきなり抱きしめあう二人……周りの客は、呆然と見ていた。まるで茶番劇のようだ。いや、正しく茶番劇だろう。しかし、余りにも素直な二人は、本当に愛を紡いだのである。
「あ、聞いた、聞いた。絶対、二人で打合せていたんだよね。……そんな、上手い話なんかあるわきゃないもん……」
「麗華、お黙りなさい……本当の事よ……まあ、確かに王妃の座も魅力的ではあったけどね……」
鼻歌を歌いながら、麗華に化粧をしていく……それは長年の腕前なのだろう……見事だ。思わず、鏡を覗き込む。
「黎昇も私に惚れるかな?」
「ん、今、なんて言った?」
「あ、いや、何でもないよ……肖像画を描いてもらったら、見舞いに行こうかなって……助けてもらった人……」
「あの青年ね……中々の美男子じゃない……さては?」
黙る麗華……でも、それは肯定を意味する事を月瑤は分かっていた。私に似て、どうしようもない娘だ。
果たして、蘭逸のアトリエに二人が着く。
「ちょっと、待って……」
蘭逸の声が扉の奥から聞こえた。何やら、ゴソゴソとしている。しばらくの間、二人はアトリエの扉の前で待つ事になる。
漸く、扉がひらいて蘭逸が顔を出した。
「すみません……時間がおしてしまって……どうぞ中へ……」
アトリエは広かった。そして、その真ん中にいたのは……
「玲芳……貴女……」
「麗華親王……何をしに……」
「アンタこそ……」
ガウンを纏った玲芳は、麗華の侍女の一人である。そして、彼女はソファに腰掛けガウンを羽織ってはいるが、その一枚下には何も着ていない事は明らかだった。
「麗華親王……僕が玲芳さんに裸を描かせて欲しいと頼んだのです」
「あら、素敵! 麗華も描いてもらったら……記念になるわよ……」
「お母さん……」
麗華は顔を真っ赤にした。
「そんな、麗華親王に頼もうなんて滅相もない……もちろん、頼まれるのであれば吝かではありませんが……」
「……そうだよ……蘭逸は写実的に描けるんだよ……記念になるから麗華親王も描いてもらったら……」
「もし、宜しければ玲芳さんのもご覧になられますか? 玲芳さんさえ良ければ……」
玲芳は考え込む。でも、頷いた。
「先生が描かせて欲しいって言うから……恥ずかしかったけど描いてもらったの……でも、とっても素敵な絵なの……やっぱり、見てもらわないと、折角の蘭逸先生の作品だから……」
恥ずかしそうにする玲芳を、麗華は羨望の眼差しで見た。
蘭逸は頷いた事で笑顔になり、隠していた絵の布を外した。
「おおっ……」
皆は驚きの声をあげる。
その深い色のソファに横たわる玲芳の身体は、柔らかな曲線を描き、まるで満月がその姿を映し出したかのようだ。肌は透明感のある象牙色で、微かな陰影が、彼女の身体の起伏を優雅に際立たせている。
その視線は、遠くの一点を見つめており、そこには憂いもなければ、誘惑もない。ただ静かに、内なる思索に耽っているかのような、深い精神性が感じられる。
蘭逸は、肉体そのものよりも、そこに宿る生命の温もりと、玲芳が持つ慈愛に満ちた豊かさを描こうとしたのだろう。それは、大地が豊かな実りをもたらすように、生命そのものの尊さを賛美しているかのようだった。
そして、絵画全体に漂うのは、清らかで穏やかな空気であり、鑑賞者はその前で、人体の持つ美しさと、そこに宿る魂の気高さに、ただただ心を奪われる。
それは、性的な眼差しを超え、存在そのものを祝福するような、崇高な芸術作品であった。
「う、美しい……」
「麗華親王……それは、モデルが素敵だからでございます……女の裸という物は、一人一人が違い、一人一人が美しさを持っているのです……それを磨くのは、我々……男なのです……」
「磨くのは……男……」
「左様でございます……愛する男の前では麗華親王も、裸でいても恥ずかしいとは思わないでしょう……男と言う生き物は、誰もが女の裸を見たいと思っております。そしてそれを、どうやって輝かせようかと、何時でも思っているのです……それほど、男という生き物は一途で一生懸命なのです……」
「裸を見たい……」
「そうです。女は好きな男に見られる事によって美しくなるのですよ……月瑤王妃のように……」
「えっ? お母さま?」
いきなりの展開に麗華は目を丸くする。月瑤も、満更ではないようだ。
「蘭逸、確かに間違いないわ……もう、華震ったら毎晩のように私を求めるのよ……どんどん美しくなってしまうわ……」
「月瑤さまほどの美人は、この国にはおりません……」
玲芳と麗華は目を丸くする。さすが、一流の宮廷画家……最大のスポンサーに対するお世辞には卒がない。
「さて余興は、ここまで……麗華親王、肖像画を描きましょう……そうですね……そこの椅子に座ってもらえますか?」
麗華は言われるままに椅子に腰掛けた。
「蘭逸先生……綺麗に描いてくださいね……見合い用の肖像画ですので……それと……」
「それと?」
「少し胸元を開けてセクシーに、それと、実物より美人にして頂けたら……」
「月瑤王妃の言われる事は分かりますが、肖像画ですからね……似せる事は出来ても、嘘は……」
「そこを何とか……」
麗華は不貞腐れた表情を見せる。侍女の玲芳は笑いを堪えるのに必死だった。




