4、妹の汗と危険な香り
「椿、眠れたのか瞳が赤いぞ!」
「あっ、そう!友達と遅くまでお話しをして
夜更かしをしたからかな…ハハハッ!」
(また、嘘をついちゃった。お兄ちゃん、ごめん!)
椿…一晩中泣き腫らしたのか?
そんな眼をしている。
もう、大丈夫だ。もう、思い悩む事はないから…
おまえは、自分の道をまっすぐ突き進めばいいんだ。
ダンス場で直接待ち合わせ、練習をする事にした。
「椿、ちょっと、ここに座ろうか…」
俺はフロアの隅のベンチに腰掛け、椿にも横に座るように託した。
「うん…」
椿はスカートの裾を丁寧に整えてから横に座った。
「椿、昨日は取り乱してわるかった。
醜態を晒して、カッコ悪かったな。
恥ずかしいよ。許してくれ…」
「許すだなんて、お兄ちゃんが謝る事ないよ。
私があんな事、突然言い出すから…
私が悪かったんだよ!」
「まぁ、誰かが悪いって事柄じゃないな。
だから、それは、いいんだ。
それより、昨日の話だ。全面的に受け入れるよ。
100パーセント…いや、200%だって良い。
認めるよ。それが椿の為になるなら……
背中を押してやる!
それが俺の今の偽りない思いだ。真意だ」
「お兄ちゃん…」
妹の潤んだ瞳が、真っ直ぐに俺の瞳を見つめている。眩しすぎる。
その瞳の奥の輝きが深く強く俺の胸に…心に突き刺さる。
世界戦まで期間が限られていた。それまでに仕上げなければならない。今まで越えられなかった事…それを越えなければならない。
並みの事ではないのだ。俺たちが目指しているのは、それ故に妹はこの選択をしたのだ。
ならば俺は最後の抵抗をする。俺が引っ張りあげる。妹が停滞していると言う壁を俺が叩き破る。
これは、マインドの問題だ。停滞しているのは気持ちの持ちようだ。
妹はSNSの誹謗中傷で傷付き落ち込んでいた。日本選手権で優勝して、初めはお褒めの言葉。祝福の言葉を頂いたが、それがすぐに誹謗中傷に変わった。容姿やプライベートなどダンスと関係ない事で叩かれた。 それで身体も、こわばり思うように演技できなくなっていたんだ。その中での、あの事故…それが、さらに気持ちを落ち込ませた。
妹は本当は、まだまだ潜在的能力を秘めている。まだ、覚醒し切っていないんだ。
それを俺が引っ張り出す。眼をさまさせる。眠った能力を限界まで引き出し全開にさせる。
それが俺の最後の仕事だ。兄としての責任だ。お節介だと言われてもいい。それが、花向けになってくれればいい。それが妹の為だと信じて止まないから…
それだけだ…
「じゃあ始めるか…まずは、タンゴから…」
妹のしなやかな手の平と指が肩と腕に乗った。するとすぐに音楽が、なり始めた。
軽快なステップが始まった。妹は足の切り替えを高いハイヒールで、難なくこなして行く。
高速回転もブレがない。しっかりキープしている。二人が一体化している。その実感があった。
しかし、その先なのだ。その先の何かを掴み取らなければ世界は、見えてこないのだ。
遥か地平線の先なのだ。
妹が一心不乱に踊り始めた。その汗が俺の頬に唇に飛び散った。それは、俺にとっては新鮮な檸檬の果実を絞った蜂蜜レモンのような、ほと走りだ。甘酸っぱくてほろ苦い…青春そのものの香りだ。
俺は、唇についた、その一粒をこっそり舐めた。舌を出しペロリと舐めた。鼻腔を強く刺激する何かを感じた気がした。
それを俺は素肌でも受けた。首や、その辺りの毛穴全部から浸透してくれれば良いのにと思った。妹の分身が自分の身体と融合してくれたら…そんな危険な感情を密かに抱えていた。
俺達の両親もダンスで日本一となり、ここのダンス教室の運営を始めた。俺達、兄妹は、幼い頃から、ここで英才教育を受けた。
しかし、はじめにやりたいと言い出したのは妹のほうだった。俺は、サッカーが、やりたかったので、ここに連れてこられてもダンスをしようとはしなかった。
他の生徒さん達の踊る様子を見ていただけだ。その当時はまだ、幼稚園児だったし、両親もダンスをする事を強制はしなかった。
しかし、妹が3歳の時、ダンスがしたいと言い出した。それまでフロアで遊びの延長で踊ったりはしていたが、どうも本気でやりたくなったらしい。
その日から妹は両親にワンツーマンでダンスを教えて貰うようになった。
しかし、俺はその様子をただ見ていただけだ。長椅子に座り、足をブラブラさせて見ていた。
少しやりたい気持ちもあったが、妹に先を越されてしまった。負け感と今更感。
後、ダンスをすればサッカーができなくなるのではないかと邪推したのだ。
もうすぐ、サッカー教室に入れる年齢になる。その事が俺を踏みとどまらせていた。
しかし、すぐに妹が動いた。お兄ちゃんと一緒にダンスがしたい。そう駄々をこねた。いや…駄々をこねてくれた。
おかげで俺はダンスとサッカーの両方を手に入れる事ができた。
妹は、どんどん上達していった。子供用ハイヒールを履き、華麗に舞った。両親から受け継いだ才能がすぐに開花した。カッコ良かったのだ。
俺も、やればきっとできる。そんな自身がムックリもたげていた。しかし、自分から言い出すのは、今更カッコ悪いと思った。
両親か、妹から強制してくれないか、そんな事を思っていた。しかし、それが起きるのはしばらく経ってからだった。
痺れを切らせて自分から、やりたいと言いだそうとする直前、妹がお兄ちゃんと一緒にやりたいと言い出した。ギリギリセーフだった。
俺はサッカーも、やらせてくれるならと言う条件を切り出して交渉に及んだ。いかにも仕方ないと言う顔をして…
そうなんだ…俺と言う男は…常にこうなのだ。
ずっと妹を利用してやってきたんだ。
情けなく、卑劣な男なんだ。
でも、最後くらいは自分の事は二の次にして
妹の事だけを考えて行動する。
そう誓った…
誓わざる追えなかった。
もう時間がないのだから…
続く




