親友の抜け殻
───はっと私は目を開ける。
額にじっとりと汗が張りついていた。
視界の端でカーテンが揺れ、
午前の陽が差し込んでいた。
眩しい。
そして暑い。
エアコンなんかじゃ、この夏には勝てやしない。
また......夢を見ていたようだ。
ベッドの端に腰を下ろし、息を整える。
発汗が引くように、それを待つように。
───夏の都会、その喧騒の中に一人、
私は今もどこかに"親友"の面影を探している。
身体をベッドから起こし、
散らかった机に目をやる。
大量の自己啓発本、付箋だらけの教科書、
どれも途中のまま、時間が止まっている。
ふと、カレンダーに視線を向けた。
「......もう、四年か」
今となっては私立大学の二年生。
たった四年、されど四年。
私は親友の声も顔も───名前すらも。
もう、鮮明に思い出すことができない。
それが、何よりも辛い。
周囲から変人と言われ続けた私の
唯一の理解者。
あの手の温度が消えてから、
私の人生は静かに壊れていった。
「あいつさえ、いなければ」
不意に口をついた言葉に、自分でも驚いた。
そんなはずはない
......それでも、
どこかで確かにそう思ってしまっている。
慌てて他のことを考える。
親友は本当に"タイムスリップ"したのだろうか?
タイムスリップしていたとして、
もしそうなら
過去と未来───どちらへ?
結局、私には皆目見当もつかない。
まさに私らしい無意義な思考だった。
今日も去年の今日と同じように、
大学へと向かう。
いつも通り支度し、
いつも通り家を出る。
いつも通り駅に着く。
そして、いつも通りの電車を待つ。
駅のホーム。誰とも目を合わぬよう、
私はスマホを見つめ、思考と電子の海に沈む。
これは一種の逃避術。
蒸し暑い。
誰のものかも知らない
香水や汗の匂いが入り混じり、
都会の空気感が重く絡みつく。
頭上のスピーカーから、アナウンスが流れる。
その声は人々のざわめきに掻き消された。
駅のホームに来ると、いつも思うことがある。
───私は何者かになることができるのか?
このまま生きていっても、
特技や趣味、夢さえもなければ、
主人公にふさわしい高尚な覚悟も、
過去も、
なにも
───誇れるモノなんて何一つない。
唯一の特技ですら、一つのコミュニティから
離れれば、凡に過ぎなかった。
愛や情熱だけじゃどうにもできなかった。
......私は、自分に失望してしまった
カラン───。
突然、
何かが駅のホームに転がる音がした。
漠然とした好奇心を持って周囲を見渡す。
物語の始まりというものは、
いつだって突然に訪れる。
私はそれを知っている。
ずっと夢見てきた。願い続けてきた。
あの音は、何かしらの合図のように思えた。
───これは確かな予感だった。
群衆の足元に、一際キラリと光るものがあった。
───青い石。
紛れもなくあの時のモノと同じ。
脳裏にあいつが蘇る。
これさえあれば、何かが変わる。
そんな不確かな確信が、胸の奥で燃える。
私は柄にもなく群衆の列を押しのけて進み、
本能のまま、青い石へと手を伸ばした。
世界が、ゆっくりとスローモーションになった。
私は宙を舞う、ほんの一秒にも満たない浮遊。
背中に風が抜けた。
───ひどい追い風だった。
誰かに押された。殺意は、きっとなかった。
次の瞬間、私はホームから転落した。
身体中が痛んで、起き上がれない。
身体が重くて鉛にでもなったようだった。
海面に上がれず溺れるような錯覚、
背筋に純粋な絶望が駆け抜ける。
駅のホームに立ち尽くす群衆は、
皆、狼狽えるばかりで、
私に差し伸べられる手はなかった。
......手のひらを見た。
青い石は、またなかった。
私は今、冷たいレールの上にいる。
......這いずることすらもう適わない。
顔も知らぬ何者かが、私を
死の淵へと追いやった。
なぜ?...どうして!
なんで......私なんだ?
視線の端に光が見えた。何度も見たことがある。
馴染みのある
終わりの光。
すぐ、そこの死を悟る。
しかし、不思議と心は安らいだ。
───瞼の裏に、鮮やかに浮かんだから。
耳の奥で、世界が弾けた。
音も、痛みも、憂いも、
すぐに消えた。
今際に残った、たった一つ。
ただ一つの後悔が、散りゆく脳の裏をよぎった。
瞼の裏のあいつにさよならを告げる。
「───もしも、また逢えたら」
夏のまとわりつくような暑さと蝉の声。
その僅かな隙間に、
秒針の音が、確かに聞こえた。




