プロローグ
親友はタイムスリップしてしまったようだ。
今はそれしか言えない、
そう断言するほか、
なにも言葉が見つからなかった。
───また、夏が来た。
蝉の声が、やけに耳を刺す。
あいつは、あの忌まわしい声が嫌いだった。
親友が消えた今、
その声だけが、もう死んでしまった
夏の向こうに取り残されている。
私は、その声を聞き続けるしかなかった。
◆ ◇ ◆
8月9日
始まりは、ほんの些細な発見だった。
高校で義務付けられた夏休みの課題、毎日日記。
書くことも書けることも、何一つなかった。
なので少しでも内容を充実させようと、
仕方なく私と親友は実家の北東にある
雑木林へ向かった。
クヌギやコナラが群生する
地元ではそこそこ名の知れた場所。
目当てはカブトムシ。
幼稚だとは思った、
それでも"なにかを書ける"というだけで
救われたような気になったので、
口に出すことはなかった。
雑木林には早朝に向かった。
日はまだ柔らかく、
比較的心地よい風が吹いていたように思う。
しかし、いざ雑木林に着いてみると、
すでに小学生たちが群がっていた。
まさしく、蜜に吸い寄せられる虫のように。
私はそうそうに諦め、帰ろうとした。
しかし親友はどうしても納得がいかないようで
とても悔しそうな表情を見せた。
私は実に困った。
結局、私は折れた。
親友の要望に応え、
もう少し奥の方まで探索することになった。
◆◇◆
やがて、親友は立ち止まった。
木々の合間に、苔と蔓が絡み合う
円形の空間がぽっかりと口を開けていた。
その中心に───
まるで子供の工作を継ぎ接ぎしたような、
奇妙な機械が鎮座していた。
レバー、スイッチ、配線。
安っぽいのに、妙に“神々しさ”がある。
木漏れ日のカーテンがその身を包み、
それはまるで聖遺物のように見えた。
───蝉の声は多分、一つもなかった。
傍から見ると見た目は木材。
木目がチラチラ見えている。しかし、
近寄ってよく観察すると金属特有の光沢、
手触りはヒンヤリ滑らか。
なんとも異質で、少なくとも
私は知らない物質で作られていた。
しかし、この全体像......
どこかで見たことがあった。
───そう、某猫型ロボットのタイムマシン。
私たちは、なんとなくそれを
"タイムマシン"
と呼ぶことにした。
機械には三つ丸型のくぼみがあった。
一つのくぼみは空っぽだったが、
残り二つには、
やけに透き通った青色の石と
緑色の石がはめ込まれていた。
それらは清冽な水面の深淵を
閉じ込めたかのような、
恐ろしいまでの透明を宿していた。
───私は青色の石に惹かれた。
正確には青碧色というのだろうか?
私の右腕は、無意識のうちに吸い寄せられる。
それと同時に、確証はないが、
これに触れてしまうと、もう後戻りできない。
理性が警鐘を鳴らす。
“これに触れてはいけない”
だが、抗えなかった。
それは、親友も同じようだった。
親友は緑色の石に触れ、握りしめた。
私もつられて青色の石を掴む。
私たちは、ほとんど同時に石を掴んだ。
どうしようもなかった。
───何の感触もない。
確かにそれを掴んだはずの私の手をジッと見る。
何もない。
親友の手のひらにも何もなかった。
それから、タイムマシンをもう少し観察してから
私たちは帰路に着いた。狐につままれたような、
現実の綻びを垣間見てしまったような。
......変な日であった。
日記には何も書かなかった。
8月10日
消えた。
私の親友は跡形もなく。
消えたとしか言いようがなかった。
何かしらの用があって
親友の家に向かったのだが、
そこには、
親友の父、母と兄だけ。
───みんな、親友の名も存在も忘れていた。
胸の奥で、夏に見合わぬ悪質な冷気が
じんわりと広がるのを感じる。
悪寒。
私は昨日行った、"あの"場所へと向かった。
私は走った。
雑木林へ、息が切れても足を止めなかった。
そしてあの場所に辿り着く。
私の目の前には
───なにも、なかった。
あの機械も、石も、光も。
ただ、蝉の声だけが焼けるように響いていた。
胸にぽっかりと穴が空く。
その空洞の底で、
微かに誰かの声を聞いた気がした。
───少なくともおそらく、それが最後だった。




