第3章―【3】
夜の陽だまりが何時もは暗い通りを明るく照らし出していた。喧騒と言うにはあまりに高揚に溢れる賑わいが、街の灯とは違うぼんやりした期限付きの明かりに彩られている。
「なんでお祭りなんだよ」
慶太はコンビ二の駐車場の外れに自転車を止めて言った。
「いいじゃん、おまつり」
陽菜は慶太の横で、彼が自転車にワイヤーロックするのを見ながら
「どうせ暇なくせに」
「練習で疲れてんだよ」
「午後から杉原とプール行ったからでしょ。練習午前中じゃん」
陽菜は笑って言い返すと、先に歩き出す。
小走りに彼女に並んだ慶太は
「けっこう人いるんだな」
「あたりまえじゃん。お祭りなんだから」
二人は人混みの中を縫う様に、時折腕と腕が遠慮気味に触れ合ったりしながら歩いた。国道の歩道にも屋台が並んで、小さな子供が綿菓子を親にねだったりしている。
運動公園に近づくにつれ、盆踊りの音楽が大きくなってゆく。
「あたしも浴衣着てくればよかったかな」
陽菜は通り過ぎる自分と同い年くらいの浴衣姿を目で追った。
ふと横に慶太がいない。
あれ? と思い周囲を見渡すと、彼は屋台でたこ焼きを買っている。
「ちょっと、もう」
「あ、なんか腹減ったじゃん」
慶太はそう言って、たこ焼きをひとつつまみながら、陽菜にも差し出す。
「まぁ、いいけど」
仕方ないように、陽菜もたこ焼きをひとつ口へ運んだ。
「あち」
ぼんやりと闇を照らし出す無数の提燈が、緩やかな浜風に揺られていた。
盆踊りの音は人波の喧騒に呑み込まれる事もなく、運動場の周辺に植えられた植え込みに染み渡る。
「凄い人だね……」
「先輩、もうギブですか?」
二人は運動場のやぐらを取り巻く屋台の間を縫って人混みを避けると、草木の茂る場所を歩いていた。
「ちょっと疲れたな」
滝口の声に、美智はふふっと、陽菜には見せない笑いを造る。
浴衣の袖を振って、口に手を当てた。
「先輩、お腹空きませんか?」
「ちょっと空いた」
彼は屋台の明かりの方を見て
「あ、俺なんか買って来ようか?」
「いいですよ、無理しなくても。あたしが買ってきます」
美智はそう言って下駄を鳴らしながら、屋台の明かりに向う。
緊張しっぱなしで、少し独りで歩きたかった。
カランコロン、カランコロンと下駄の音が鳴るたびに、少しずつ緊張が解けてゆく気がした。
「先輩焼きそばって食べます?」
美智は透明なパックを差し出しながら
「たこ焼きも買っちゃいました」
二人はベンチを探して腰掛ける。ふと見ると意外とベンチはカップルで埋まっていて、空席を探すのに少し歩く必要があった。そのついでに、二人で屋台の方へ行き、飲み物を買った。
「朋平がいつも一緒にいる娘って、たしか……」
「陽菜ですか?」
「あ、そうそう、陽菜、由木陽菜だっけ」
「知ってるんですか?」
「あ、ああ。二年の間ではかなりね」
滝口の質問に美智は快く応えた。
彼は自分に興味がある。その延長として、自分の交友関係も知りたがっていると思ったから。
「一年の間でも、みんな知ってますよ」
彼女は浴衣の袖を揺らしながら、ペットボトル入りのサイダーを飲む。
「そうなの?」
「そうですよ。陽菜ってあまり社交的じゃないくせにモテるんです」
「内向的な娘なの?」
「どうでしょう……そこまでじゃないけど、浅く広い付き合いは苦手みたい」
「そう……」
滝口はコーラを飲む手を止めると
「一年の麻野ってさ……サッカー部の」
「ああ、慶太ですね。麻野慶太」
「由木陽菜って、麻野と付き合ってるの?」
美智は再びふふっと笑ってみせる。
「どうしてですか?」
「いや……仲がイイって噂だし、あいつらもよく二人でいるの見かけるし」
「別に付き合ってはいない……って二人は言うかな」
美智は三矢サイダーをコクンと飲んで笑いをやめた。
盆踊りの音楽が風に鳴り響いて、ゆらゆらと提燈を揺らしているようだった。
人混みの中を、少しぎこちない足取りで歩いた時間が、既に遠い昔のようにも感じる。
笑顔がフッと消えた。今までの笑顔が海の高波だとすると、まるで押し寄せていた波が急激に引くように、スッと真顔になる。
植え込みのねむの木が夜風に揺れている。
運動場の外側に吊るされた提燈の明かりは、何処までも続いて闇に消えていた。
「先輩って、もしかして陽菜が好きなんですか?」
彼女は必死に笑顔を作ろうとした。
「いや……どういう娘なのかと思って」
滝口は困ったように笑って見せた。何時もと違う、とてつもなく頼りない笑顔だった。
「今日は、本当は陽菜の事が聞きたかったんですね」
美智はベンチからピョンと立ち上がると
「でもダメですよ。陽菜と慶太の間には、誰も入れないから」
そう言ってゆっくり歩き出すと
「今日は有難う御座いました。楽しかったです」
震えそうな肩をぎゅっと押さえ込むように駆け出した。
浴衣の裾は狭くて、何時ものように歩幅を取れなくて、なかなか前に進まなかった。
提燈の明かりが照らし出す夜の喧騒の中、カランコロン、カランコロンと足早に鳴る下駄の音色が、やけに哀しく響いた。