第2章―【5】
『小学三年生』
美智とは三年生のクラス替えで出合った。
線の細い今にも折れてしまいそうな手足が印象的だったが、体育の授業で徒競争が誰よりも速かった。
陽菜も体育は得意な方だったけれど、美智には敵わなかった。
「運動会のクラス対向リレーのメンバーを選びます」
その日、ホームルームの議題はもう直ぐ訪れる運動会の選抜メンバーだった。
普通の徒競走に順位着けは無かったが、クラス対抗のリレーだけはゴールした時に順位の着いたフラッグを手に持たされた。
「やっぱりアンカーは朋平さんだと思います」
クラスで最初に決まったのはアンカーを任せられる定位置だ。全員一致で美智が決まった。
陽菜はこんな時もあまり発言はしなかった。
クラスのみんなの流れに任せて、あまり自分の主張はしなかったけれど、朋平美智の脚の速さは認めていたから別段反対の意思もないし、在ったとしても誰かに告げる気もない。
「由木さんも速いと思います」
陽菜は思わず声のした方を見た。
美智が右手を上げていた。
「そう言えば、陽菜ちゃん意外と脚、速いね」
誰かが声を出すと、女子はみんな頷いて、何となく決まった。
面倒臭……正直それが本音だった。
対向リレーに選ばれると放課後に残ってバトンの受け渡しの練習などをしなければならない。
陽菜は何となく頬杖を着いて、黒板に書かれた自分の名前を見ていた。
三年と四年生の二年間だけ、陽菜は慶太とクラスが違った。クラスは違っていたけれど、よく一緒に帰った。
朝の登校時間は何となく違っていたけれど、帰りは時々一緒に帰った。
陽菜は相変わらず独りで帰るのが日常だったから、慶太は他の友達と一緒じゃない時には初めて一緒に帰ったあの日と同じように後ろから駆け寄って来た。
「リレーの選手に選ばれちゃったよ」
「へぇ、じゃぁ来週は一緒に居残りだな」
「慶太もリレー出るの?」
「ああ。俺アンカーだぜ」
陽菜はポカンと慶太を見上げた。
三年生になって陽菜は少し背が伸びたけれど、慶太も同じくらい背が伸びたらしくて身長差は相変わらずだ。
朝礼で背の順に並ぶと陽菜は前から5番目くらい、彼は何時も後ろから2、3番目にいた。
「なんか面倒だな」
「そんな事ないって。けっこう面白いじゃん」
「えぇ、お腹空いちゃうよ」
「由木は小さいくせに腹空かしだな」
パッと顔が紅潮して、グーで慶太の腕を叩いた。
放課後の居残り練習初日、校庭には他のクラスや上級生の姿もあった。それぞれにトラックを走ったり、バトンを渡す練習だけを何度もやっている。
「麻野くん、またリレー出るんだね」
バトンをケースから取り出した美智が、陽菜に声をかける。
「えっ?」
陽菜は少し驚いて振り返った。
今まで美智とはほとんど喋った事が無いし、一対一で話す事自体初めてなのだ。
「麻野くんと仲いいよね」
「いや、そんなんでも……」
「時々一緒に帰ってるじゃん」
美智は隣のクラスの連中と楽しそうにバトンを渡す練習を繰り返す麻野慶太を眼で追っていた。
陽菜はそんな美智を見て
「た、たまたま家が近所だからだよ」
「ふぅぅん」
美智は陽菜を見なかった。
自分を推薦した彼女に、ほんの少し敵意を感じて陽菜は困惑した。
「と、朋平さんは何時も誰と帰ってるの?」
「別に、誰とも」
彼女はポツリと言ってから、他のみんなに
「練習しよっか」
陽菜は何となく置いてきぼりを感じて、クラスメイトの輪に入る美智を見つめた。
午後の陽射しが長細い影の群れを揺らしていた。