敵は誰か クラリッサSide
涙が溢れる。
私は泣きながら、歩き続けた。
既に雨は上がっていた。
通りを歩く人々が口々に話しているのに気づいた。
「ザッカーモンド公が亡くなった」
「10年の闘病生活に終止符を打ったんだ……」
ザッカーモンド公があれから10年生き続けたことを私は知った。今、亡くなったのであれば、彼は自分がしでかしたことによって罰を受けたと言えるかもしれない。あの日、死んでしまった私とは違って、彼は10年生き続けることができた。
私はそんなことをふと思った。
私の胸は震えて、涙が後から後から溢れた。
私はカイル王子のおそばにはいられない。
私は今は貧しいメイドだから。
私はカイル王子のそばにいてはならないのだ。
イザベルのような貴族の令嬢が彼にはお似合いなのだから。
やるせなさで泣けてくる。
胸が痛かった。
私は頭が痛くなるほど泣き続け、泣きながらどこに行こうと思った。
そうだ。
久しぶりにローデクシャーの森に行こう。
はるか昔、あそこで私は恋するカイル王子と会っていた。あの黄色い美しい野を頭に思い浮かべた。
ミドルライカー博士……。
私の頭の中に、この前、ピーブスが言っていた毒物に詳しい博士の名前がふと頭に浮かんだ。
私はその名前をどこかで聞いたことがあるような気がする……。
ピーブスと言う名前の響きが、寄宿学校の庭師の息子の顔を頭によぎらせた。
私は彼にちなんで、ピーブスと言う名前をハット子爵邸の鳩につけていた。
そうだわ!
ミドルライカーは、当時の寄宿学校で知っていた名前だわ!
ネメシアの魔女?
私の同級生にミドルライカーという名前の生徒がいたのだ。ネメシアの魔女と陰で呼ばれていた。寄宿舎の私の部屋から数えて確か3部屋ほど先に部屋があったはずだ。彼女とはそんなに親しいわけでもなかった。
ふと、ローデクシャーの森で、カイル王子のブロンドの髪に太陽の光があたって、天使の輪のように光り輝いていた瞬間が頭によぎった。木漏れ日がチラチラ当たっていたはずなのに、いつの間にか彼の髪に王冠が出現したようで、私はその時の彼の髪の輝きをいつまでも覚えていた。
なぜ、ミドルライカーの名前の次に、あのローデクシャーの森を思い出すのだろう?
立ち止まって私は涙を指ぬぐった。
思わず目を瞑った。
はあはあと息が荒くなり、そばの街路樹に手をかけてよりかかった。
「クラリッサといてもなんかつまらない。それにさ、結婚するなら、せめて貴族じゃないと。なんかごめん」
それだけ言われたあの瞬間が、ミドルライカーの名前と一緒に蘇るのは何なのか?
カイル王子の青い瞳は、何も物語ってはくれなかったあの瞬間だ。
淡々と。
ただ、君とはもう一緒に入れない。
それだけだ。
公開されていない、婚約の破棄だったあの瞬間、私は何かを見た気がした。
カイル王子のブロンドの髪の向こうだ。私が衝撃を受けて固まったあの瞬間、私の目は何かを確かに見た。
私は記憶の中の景色に集中した。
あの瞬間、私は何を見た?
私の侍女たちに混ざって、黒い服を着た人物を見た!
見慣れた姿だ。よく知っている姿だ。違和感がなかった。だって、寄宿学校を退学するまではよく目にしていたのだから。
私の3部屋隣ににいたミドルライカーという名前の魔女。
ネメシア出身の魔力がある生徒。
私の魔力の存在を知っている生徒だ。
私は動物の手当てが得意だった。何の薬草を混ぜれば動物たちの病気が治せるのか本能的に知っていることが沢山あった。だが、人のことはまるで分からなかった。
それとは対照的に、リシェル・ミドルライカーは人の手当てに詳しかった。
彼女は何を混ぜれば人にとって致命的な毒になり、何をどう混ぜれば薬になるのか知っていた。名前はリシェルだ。私が寄宿学校を退学したとき、リシェルも私と同じ16歳だった。
私は核心に近づいた感覚があった。
動物には致命的だが、人だと時間差で毒が完全に回るようなモノは、うっすら私にも分かる。だが、リシェル・ミドルライカーならば、的確に分かるはずだ。
ザッカーモンド公の領地があったノークの地は、ネメシアとの国境にある。ボーデランドからすると辺境の地だが、外交上はとても重要な地だ。大国ネメシアに隣接しているからだ。
リシェル・ミドルライカーはミソサザイが非常に嫌いだった。彼女はミソサザイを殺そうとしたことがあった。私が悲鳴を聞きつけて助けたことがあった。庭師の息子のピーブスと私がミソサザイを助けた。
「この死の象徴めっ!」
そうリシェルは怒ってミソサザイに飛びかかっていっていた。彼女の魔力は凄まじく、私が止めなければ、ミソサザイはまともに呪いを受けて死んでいただろう。
彼女の攻撃からミソサザイを守ったから、私が彼女から嫌われていたのは、知っていた。
10年前、ウィントー・パレスの完全犯罪を仕組んだのは誰か。
大国ネメシスが主犯。
その手先がザッカーモンド公。
ザッカーモンド公の手下がパース子爵。
使われた薬の調合師はリシェル・ミドルライカー?
リシェル・ミドルライカーならば、病死に見せかける薬を調合できるだろう。
リシェルは自分の出身国の大国ネメシスではなく、ボーデランドオークスドン子爵の領地の先に住んでいたとすれば、私やカイル王子の近くにリシェルがいたことになる。
実際、ローデクシャーの森で侍女や従者に混ざって、黒いフード姿を見た。リシェルの姿だ。横顔を見たと思う。
なんでそんなことを今まで忘れていたのだろう?
あの唐突な失恋がショックで忘れてしまっていたのだ。
リシェル・ミドルライカーはあそこで何をしていたのか。
私とカイル王子が別れる瞬間と、私がカイル王子の身代わりになる瞬間の両方にミドルライカーが関与している可能性はある。
私の人生でミソサザイに関与したのは、寄宿学校でミドルライカーが殺そうとしたミソサザイを救ったのが初めてだ。
私は背筋がゾッと寒くなった。
リシェル・ミドルライカーは何をしているのだろう?
私はハッとして周りを見渡した。北の魔物の森に、魔物にわざと悪さをしたのも、ミドルライカーではないだろうか。
彼女はどこかで私を見ている?
私がクラリッサだと気づいている?
10年もの間、私が死んだ後、カイル王子が無事だったのには理由があるはずだ。私が身代わりになって死んだ。最初から密かに私がターゲットだった可能性はないだろうか。
ネメシアのターゲットはカイル王子。
ミドルライカーのターゲットは、私だ。
ミソサザイにカイル王子暗殺計画をミドルライカーがわざと漏らす。その後の私の行動を予測したとしたら?
少なくとも、彼女がいたローデクシャーの森のあの日、私はカイル王子にふられた。
カイル王子があの瞬間を「愛しているけど君とは結婚できない」というセリフに変えた。やっぱり彼は私とはこの先がないと告げていることには変わりがない。
ネメシアの魔女が絡んでいるのだとしたら……ミソサザイが守護神のように付きまとうエミリーの正体が分かるはずだ。
私だと。
私はこの街をすぐに離れるべきだと思った。
エミリーである自分が襲われたが、ザッカーモンド公が仕掛けていない場合、ネメシアとつながるミドルライカーが絡んでいる可能性がある。
「お久しぶりね、クラリッサ」
私はピットチェスター駅の切符売り場で低い声で話しかけられた。
振り返った私は驚愕した。
リシェル・ミドルライカーだった。
彼女は30代後半に見えたが、間違いなく同じ寄宿舎で生活していたリシェルだ。
「やっぱり……クラリッサね?」
彼女のドレス姿は完璧だった。最高級の装いだ。周りの人はリシェルを貴婦人と思うだろう。一方で私のことはリシェル付きの侍女だと思うだろう。
私は胸に手を当てられた。いなかなり左胸を揉まれた。私はいきなりのことで嫌がって悶えた。
いやっ!
何をするの?
「そう……心臓は平気そうね」
彼女はニヤリと笑うと、「会話をするのは学校以来だわね」とささやいた。
「ちょ、ちょっと待って」
「クラリッサ・マイデン、あんた大したものじゃない。私の薬からよく逃げれたわね。まさか、別人になってカイル王子の恋人になっているなんて、思いもしなかったわ」
彼女は毒を含んだ含みのある言い方で言った。
わざと私の心臓が弱いのを見抜いてあの薬を調合した?
「ミソサザイがあなたに誓った忠誠心は見上げたものよね……」
私は踵を返して、鉄道の改札に向かった。鳩や近隣に生息する鳥という鳥がコウモリまで急降下してきて、リシェルに襲いかかった。
私は必死に走って鉄道列車の車両に飛び乗った。
逃げなければ……。




