初めての逢瀬 カイル王子Side
恋に落ちるのに時間は関係ないというのは本当だった。
俺は初めての恋人ができたことに舞い上がっている。気持ちは高揚して、地面に足がついているのか分からないぐらいに世界が突然輝き出した。
こんなに美しい色鮮やかな世界だとは知らなかった。何もかも、美しい色合いではっきりと見える。
俺に付いているルーニーはまだ若い従者で22歳だ。
最近、彼はハット子爵令嬢の仕立て屋で働く若いお針子のジュディスに一目惚れをしたようだ。胸の辺りを苦しそうに抑えては、ジュディスに会える日を指折り数えて、待ち遠しく思っているようだ。
彼はダークブロンドの髪の毛を短く整えているのだが、いつもより念入りに髪の毛を整え、目を輝かせて、俺がエミリーを仕立て屋まで迎えに行く日が来るのを待っている。
最初にエミリーに仕立て屋で出会った。仕立て屋にはルーニーも付いてきていて、ジュディスも仕立て屋で働いていた。その2日後の待ち合わせは、朝早くに仕立て屋の前でしたために、ルーニーはジュディスには会えなかった。しかし、そのまた2日後の午後に迎えに行くと知ると、ルーニーは目に見えてソワソワしていた。
ルーニーにとって、ジュディスに会えるチャンスがあるからだ。
だが、正直に言うとルーニーより俺の方が手に負えない程ひどく緊張していた。別荘にエミリーを招待するつもりだからだ。
女性を別荘に招待する!?
正気か……?
いや、彼女は恋人なんだから。
いいだろう?
いきなりで引かれないだろうか。
でも、関係性のラインは確認したぞ?
不安だ……。
いつもより念入りに別荘の掃除をしてもらった。
さらに、湯に入って寝室を使うことを想定して、ルーニーに命じて何から何まで女性物を取りそろえさせた。ルーニーが相談したのは、俺の乳母のハナだった。ハナは、カイルぼっちゃまの一大事だと張り切って整えてくれた。
ハナの姪に若い女性の趣味を聞いてくれたらしいから、きっとエミリーも満足してくれるだろう。
だが、当の俺はガチガチに緊張していた。何せ女性と夜まで2人きりで過ごすなんて人生初なのだから!
馬車が仕立て屋の前につくと、ジュディスがエミリーと一緒に姿を現し、手を振って馬車を見送ってくれた。ルーニーは瞳を輝かせてジュディスに軽い会釈をして、店が見えなくなるところまで来ると、胸を押さえていた。
彼の気持ちは分かる。
俺の方は、馬車の中で心臓麻痺を起こすのではないかと、ドキドキしていた。彼女を前にすると、胸の動機が止まらなかった。
エミリーがいざとなると積極的になってくれたので、スムーズに事は進んだ。彼女は、俺が一昨日イザベルに助けられた話をしている時、突然口づけをしてきて、湯に入りたいと言ってきたのだ。
俺の心臓はどうかなりそうなほどドキドキしていた。
事の最中、内緒だが、エミリーの赤毛を通してクラリッサのブロンドの髪の毛が見えるぐらいに俺は混乱していた。
ずっと愛していたクラリッサを目の前にしているような錯覚にたびたび陥って、それが余計に俺の興奮をかき立ててしまっていた。
そんなことエミリーに言えるわけがない。誰にも言えない。
俺がおかしい。
彼女は信じがたいほど魅力的で、エミリーは間違いなく初めてなのに、予想よりずっとスムーズに事が運んだ。シーツに血痕が付いていたから、エミリーが初めての経験を俺に捧げてくれたのは分かった。
「愛している、カイル」とエミリーに言われた時、心臓が止まりそうだった。クラリッサに言われたのかと錯覚したから。
彼女の瞳は輝き、精一杯、俺を喜ばそうと受け入れてくれた。そのことに胸が熱くなり、俺の心も一層エミリーにのめり込んだ。
しかし、事が終わった時、彼女をだきしめて「愛しているよ、エミリー」と言ったとき、なぜか頭の中にはクラリッサが浮かんでいた。
俺は一体どうしたんだ。
目の前にいるのはエミリーだ。
メイドのエミリーのはずなのに、抱いたのはクラリッサのような錯覚を起こすなんて。
とにかく、俺は幸せに舞い上がりそうだった。だから、長年恋焦がれたクラリッサとエミリーを同一視してしまうのかもしれない。
事が終わり、泣きたいほどの幸せをしみじみ感じてベッドに横たわっていた。
「10年くらい前に、ハット子爵家の奥様が亡くなったの」
不意にエミリーが天井を向いたまま話し始めた時は、飛び上がりそうになった。
クラリッサのことだ!
「あぁ……。ジーンのお母様のことだね?そうだね」
俺は咄嗟に掠れ声でそう声を絞り出すので精一杯だった。
なぜ、エミリーがクラリッサのことを!?
「あの亡くなった日、奥様はお出かけになっていたそうなのです。結婚式に参加されたと聞いたのですが、奥様が亡くなった日、カイルも一緒の結婚式に参加されましたか」
彼女の中で、俺はカイルになったようだ。それは凄く嬉しかった。王子と呼ばれるよりも、ただのファーストネームで呼ばれる方が距離が縮まった感覚が強くなり、嬉しい。
だが、エミリーの質問にはどきりとした。
「参加したよ。ただ、彼女とちゃんと話したわけではないんだ」
俺は何度も思い返したあの日の事を話し始めた。
「奇妙な行動をするなとは思った。ウェディング・ブレックファーストが、テントを立てたガーデン・パーティ形式で行われたんだ。テントがいくつも立てられていて、たくさんの花が飾られていて、それはそれは素敵なパーティだった」
俺の話にエミリーは聞き入っている。
「そのパーティの始まりの頃、グラスに入ったお酒を飲もうとすると、突然、横から手が伸びてきて、俺のグラスを誰かが奪ったんだ。それがハット子爵家の奥様、彼女だった。俺のグラスを奪って、一気にお酒を飲み干して、俺に笑って、『元気でね』とささやいて、フラフラと披露宴会場の庭園を出て行ったんだ」
俺はあの日のことを何度も考えた。
一体、あれはなんだったんだろう?
まるで別れを告げに来たみたいだった。
以前、俺がうっかり振ってしまって、その後何年も後悔して恋焦がれている女性が、突然悪戯をしてきて、俺のグラスのお酒を奪って飲んだ?
俺は彼女に恋をしていたから、内心嬉しかった。後に一人残されて、胸が熱くなるような感じでただただしばらく突っ立っていたのを覚えている。
「彼女はハット子爵家の馬車で戻ったらしい。ご主人のハット子爵はそのことを知らずに、ガーディン・パーティ会場に残っていたようだ。その夜だ。ハット子爵家の奥様が亡くなったと聞いたんだ」
エミリーは静かに聞いていた。眠っているのかというぐらいに沈黙が続き、エミリーの声がした。
「どなたの結婚式で、どこで行われたウェディング・ブレックファーストだったのでしょう?」
「あれは……ウィントー・パレスで行われた、パース子爵のライバルだったエロルーラ伯爵の結婚式だった。エロルーラ伯爵の母君は俺の父の妹、つまり国王の妹だから、その縁でウィントー・パレスが貸し出されたんだ」
「エロルーラ伯爵はどなたとご結婚なさったのですか?」
俺はエミリーが俺の胸に顔を埋めてきたので優しく彼女の髪の毛を撫でながら、思い出した。
「クレーフェ伯爵のアン令嬢だよ」
エミリーは俺の顔を見上げてきた。
なんて可愛いんだ。
もう一度抱きしめたくなる。
「あなたは、今までに命を狙われた事がありますか?」
すごい質問だ。
俺は言葉に窮した。
「ある。だが、いつも誰かに助けられた」
俺は遠くの記憶を遡りながら、答えた。
「でも、これから近い未来に、おそらく俺の命はもっと危険に晒されるだろう。エミリー、こんな俺だがそばにいてくれるか?」
俺がそう囁いた時、エミリーの瞳は涙に濡れていた。そして、小さくエミリーは頷いて、俺の唇に口づけをしてくれた。
「もちろんよ、カイル」
あぁ、その名前を呼んでくれる感じ、最高だ。
エミリーには決して言えないが、俺の胸の中にはクラリッサが蘇る。
「なぜ、そんな質問をしたの?」
俺はハット子爵夫人の話を急にエミリーがし始めたことに違和感を覚えて聞いた。
「ジーンお嬢様の大切なお母様は、最後、どうだったのかしら?とふと気になりまして。それだけですわ」
エミリーはなんでもないことのように眠そうな声でそう言った。そして、静かに寝息を立て始めた。
おぉ、俺の腕の中で無防備に眠るエミリーのなんと可愛らしいこと!
信じられない幸運を手にした気分だ。
俺は心臓の高鳴りを感じると共に、寝息を聞いていると自分までリラックスしてきて、そのまま目を瞑ってしまった。
小さくドアをノックする音で目が覚めた。ルーニーだろう。
どうやら、深夜になってしまったようだ。




