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おそばに クラリッサSide

 私はメイドが用意してくれた、温かいお茶と王子が焼いてくれたというケーキを食べた。バラの咲くコテージの前に用意されたテーブル席からは、紅葉が美しく色づく様子がつぶさに見られ、穏やかで自然を慈しむ気持ちになれる気持ちの良い席だった。


 思えば、17歳の頃も、カイル王子とは森に出かけてピクニックしたり、乗馬をしたり、常に人目のつかない自然の中で過ごしたように思う。



 17歳の大陸の令嬢と18歳の王家の世継ぎの王子のデートとしては、素朴で微笑ましいものだったに違いない。当の私は王子に恋するあまりに空回りしてばかりだったが。



 今の私の身分はメイドだ。

 そこを間違えないようにしなければ、前回以上に私は心に火傷を負うだろう。

 


 貧しいメイドと一国の王子なんて、側からみると滑稽なほどにあり得ない関係だ。



 私が勝手に舞い上がっているだけなのよ。王子は単に「ミルクレープ」の答え合わせがしたかっただけ……。


 17歳の私の言葉を覚えてくださったことだけでも、感謝しなければならないことだ。素敵なことだ。


 私の恋心は隠すべきものだ。



 私はそう自分に言い聞かせて、今ひとときの、仕事として王子にお会いできる時間を大切に過ごそうと自分に言い聞かせた。



 パース子爵令嬢イザベルと王子が結婚する姿を私は見るはめになるかもしれないが、その痛みに耐える覚悟をしなければならない。



 できるかしら?

 私に?


 17歳の時は引きこもってしまったけれど、私は入れ替わる前は22歳までは生きた経験を持っている。


 前回のように心が潰れないように、今回は控えめに接しなければ……。



 18歳のカイル王子は17歳の私に「なんかつまらない」と言って、あっさり振った。体の関係にはもちろん至っていなかったが、私は恋焦がれていたのだ。深く傷ついた。



 今回も近づいて心を奪われたのちに、とんでもない仕打ちをされる可能性はある。ましてや、今は貧しくて親もいない同然のメイドの身分なのだ。


 私は恋してしまう心を律しなければならないわ。




 それにしても、王子の作ったケーキは美味しかった。


 水仕事で赤くなって荒れたぽっちゃりした手が、今の私の手だ。その手でフォークを持ち、カイル王子の作ったケーキを味わう。



 ザッハトルテだと思う。

 適度な甘さが私の心に沁みた。

 ふわふわと夢心地になる。

 彼に愛撫されているような優しく包まれているような。


 何を私は…っ。

 はしたない。



 17歳のクラリッサは処女だったが、今の私は22歳まで生きて、ハット子爵に愛されてジーンを産んだ経験を持つ。


 ちなみに前世では隠れ処女だった。そこは深く考えたくないが、前世でも振られて仕事に邁進していた。上司に恵まれず、土日の休日夜間業務がたたり、心臓麻痺を起こして死んだのだ。36協定違反案件という辛い記憶は忘れてしまいたい過去だ。



 つまり、今の私は前世ではできなかった大人な淫靡な世界をクラリッサの人生で知ってしまっている、18歳の若いエミリーだ。



 カイル王子は18歳の時は未経験だったのだろうか。



 もしかして、今も…!?


 私ったら、ダメ!


 カイル王子に対する好奇心がおかしな方向に行くのをやめなければ。



 王子に愛されたはずの令嬢たちに嫉妬してどうするのよ。


 20年の間に、つまらないクラリッサ以外の魅力的な令嬢とカイル王子は楽しんだはずなのよ、カイル王子は。




 私は一人で真っ赤になり、紅茶を慌て飲んで、唇をやけどしそうになった。


 自分が情けなくなった。



 気を取り直してケーキを食べ終えると、スケッチブックを片手にページを捲り始めた。私は王子に似合いそうなデザインをもう一つ描き始めた。



 イングランドの昔の王侯貴族。

 私は前世の記憶を使って描いた。

 爽やかなカイル王子のブロンドの髪を思い描いて、いつの間にか顔まで描いてしまっていた。


 

「おっ?それは私かな?」



 ふとスケッチブックを覗かれていることに気づいて、私はハッとして顔を上げた。いつの間にか横にカイル王子がやってきていた。夢中で王子の顔を書いていた私は、恥ずかしさのあまりに、真っ赤になった。



「あ……これはその……若い頃のあなたと言いますか……」



 私は自分で言ってびっくりした。思わず、手を動かしているうちに、よくデートを繰り返していた頃の18歳の王子の面影を追っていたようだ。



「いえっ想像でその……描いてみただけでして……」


「ふふっ」



 カイル王子が笑う声が漏れた。



「いや……うまい。こんなに私は美しくはなかったけれど……この周りの景色には見覚えがある。ローデクシャーの森に見えるが……」



「そうでございますわっ!」



 私は思わず嬉しくて声がうわずった。昔、18歳の王子と私がよく乗馬で遠出をしていた森だ。谷があり、そこから見晴らしの良い景色が広がっていた。そこにある大きな木の下で、2人でピクニックをしたりしていた。従者や侍女は少し離れた所から若い私たちを見守るだけだった。


 実は、18歳のカイル王子にフラれたのもそこだ。



 一面に広がる黄色い花の咲く野を見渡す谷の上で、黄金色に丘が染められる頃、私は失意のどん底に叩き落とされた。谷から見える景色は絶景なのに、谷の底にカイル王子によって落とされた気分だった。振られる理由が、『つまらない』って…。



 私にとっては懐かしくも、胸が痛くて、切ない場所だ。でも、今となっては大切な場所に変わりがない。



「驚いたな。うまい。実はこの森には20年近く行ってないんだ。昔、一時期だけよく通っていた……懐かしいな。黄色い花が咲き誇る野を見渡せる谷があるんだ」

 


 カイル王子はそうつぶやくと、私の向かいの席に座った。すぐさまメイドが新しいお茶とケーキを運んできてくれた。



「このザッハトルテは最高に美味しいですわ。2つもお代わりをしました」



 私は恐る恐る告白した。



「これがザッハトルテだと分かるのですね?」



 カイル王子は嬉しそうに微笑んだ。



「あなたはお菓子に詳しいですね」

「いえ、単に食いしん坊なだけです……」



 前世の記憶を使っているところがあるので、詳しいと思われても仕方がないのだが、お菓子作りにはそんなに詳しくはない。



「あなたには色んな意味で、私はお菓子を作り甲斐があるようだ……」



 彼は嬉しそうに笑った。私はその笑顔に心を奪われそうになった自分を必死で制した。そして、小さく深呼吸をして、敢えてビジネスライクな調子で、スケッチブックを差し出してデザインの解説を始めた。



「こちらのデザインは……」


 胸がドキドキする。 




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