処刑ルートからのループと出会い カイル王子Side
雪の降る日だった。
はらはらと舞い降りる雪の中、俺は後ろに手を回されて縄で縛られ、腰に紐を回されて拘束されたまま歩いた。寒かった。吐く息がとても白かったのを覚えている。
何もかもが時が止まったかのようなのに、これは夢ではなく、現実のものだと分かっていた。歩く時、上等な靴が雪の上にギシギシと音を立てて沈んだ。土足で踏み躙られた真っ白な雪は、陵辱されたかのように黒く汚れていて、薄汚れた自分の地位と同じように見えた。
台に上る瞬間、俺が足を乗せるたびに乾いた音を立てる板を見た。現実のものなのに、俺の出している足音じゃないような感じがした。だが、これはあくまでも現実だ。
うつ伏せにさせられ、目をつぶった。
なんでこんなことにっ!?
なぜだ?
ザーッと何かが落下してくる音がして、俺は一瞬で目の前が真っ暗になった。
俺が断頭台に送られたのは、間違いないと思う。だが、俺は気づけば何事もなかったかのように日常に戻ってきていた。俺が知っている時間より3年戻っていた。
俺は何事もなかったし、知らなかったふりをして過ごしている。
今日は街の仕立て屋のお針子兼デザイナーの若いメイドを城に呼んで、次の舞踏会の衣装を新しく考え直すのだ。
心の中とは裏腹に、敢えて呑気な王子のフリでいるのだ。これまで通りで結構なことだと周りには思わせておこう。
代筆屋のルーシャス・オークスドンには、辺境の地にいる叔父であるザッカーモンド公に手紙を書いてもらった。辺境の地にある国々の間で、何かおかしな動きがないか探ってもらうためだ。同時に、叔父自身にも物騒な事を目論む意図がないかを探るものでもあった。
俺が書くと意味不明な文章になりそうなものを、ルーシャス・オークスドン子爵はさすがの筆力でうまく手紙をまとめてくれた。手紙はジーン・ハット子爵令嬢の鳩郵便屋から配達されたのだから、もう叔父の手元には手紙自体は届いている頃だろう。返事を受け取りたい日時も記しておいたのだから、きっと何らかの返事をもらえるはずだ。
俺は、確かに、間違いなく自分が処刑されるのを経験した。
19世紀ともなれば、非公開で処刑される。だから民は見ていないが、俺自身に起こったことは、夢ではないと断言できるほどリアルなものだった。あの時、処刑台に向かう時に俺が見た父は、国王でありながら泣き崩れていて、一気に年を10年ほど取ってしまったかのようだった。
確かに、死んでしまった、何もかも終わった、敵の罠にまんまと嵌められた、そういう手応えを感じた。
それなのに、気づけば、王子である自分の部屋で目が覚めた。
何事もない3年前に戻ってきていたのだ。引き続きボーデランドのカイル王子として過ごす俺は、元気に毎日を過ごしている。
しかも、俺以外の誰もこの王子処刑の件を知らぬようだった。まさか自分で周りに聞いて回るわけにもいかない。俺だけが時間を戻ったようだった。周りの誰も何も知らないようで、俺は相変わらず趣味の菓子作りに呑気に夢中になっているフリをし続けている。
俺がお菓子作りが好きなのは、今や厨房周辺の使用人だけが知らない公然の秘密となっていた。
もちろん、処刑される前も、俺は努力をしていなかったわけではなかった。だが、所詮は王子を失墜させて王国を混乱に陥れて売国しようとしている輩がいることを知らない者の努力だった。
危機に瀕していることに、父である国王と一緒で、これまでは親子共々まるで気づいていなかった。
俺はこれから何が起きるのか、大体予測がつく。
行動を変えなければならないが、何をどう変えれば、処刑されるのを回避できるのか、よく分かっていない。まずは叔父だ。動機があるものを片っ端からあたるつもりだ。
今日は、ジーン・ハット子爵令嬢の仕立て屋で一昨日初めて会ったエミリーに、舞踏会の衣装を新しく仕立ててもらうためにもう一度会う。
彼女のアドバイスを元に今度こそ結婚相手を見つけるつもりだ。エミリーどこか、10年前に亡くなってしまったクラリッサを彷彿させた。
クラリッサの忘れ形見のジーン嬢も確かにクラリッサに近しいものを感じる。母娘なのだから、そうだろう。
しかし、なぜか、エミリーという赤毛でグリーンの瞳を持つメイドは、より強烈にクラリッサの事を思い出させたのだ。彼女が「ミルクレープ」の事を言い当てたからだけではない。何となくだ。
何となく、彼女のそばにいると17歳で俺が別れを告げたクラリッサを思い出すのだ。
今日はその彼女にまた会えると思うと、年甲斐もなくドキドキした。38歳で未経験だと、これほどの事で胸の高鳴りを覚えるものなのだろうか。
「エミリー!」
彼女がハット子爵邸の門の前で、俺を待っている姿を見てほっとした。いかにもクラリッサがデザイン画として描いていそうなドレスだったからだ。一度クラリッサに見せてもらったことがあったと思う。
グリーンの瞳を輝かせて、彼女が期待に胸を弾ませるように俺を見つめた瞬間、なぜか一瞬、17歳のクラリッサのブルーの瞳を思い出した。
「エミリー、朝早くからすまない。ありがとう」
私は彼女を馬車の中にエスコートして一緒に座ってもらった。季節は秋で、美しい紅葉の中を馬車で走っていくのはとてもワクワクした。こんなに胸がときめくのは久しぶりだ。
「何歳になられましたか?」
突然エミリーから控えめな様子で恐る恐るといった様子で聞かれて戸惑った。
「すみません。どうしても気になりまして」
彼女はグリーンの瞳を真剣に見開き、俺に聞いてきた。
「38歳になった。君は?」
エミリーはうつむいて、小さな声で「18歳でございますわ」と言った。こんなおじさんが若いメイドにドキドキしてしまい、こちらが恐縮してしまう。
「ますます若々しくなられて……」
そう言いかけたエミリーはハッとして様子で口を手で押さえて、謝罪してきた。
「大変申し訳ございません……!」
「いや、大丈夫だ。どこかでお会いしたことがあったかな?」
俺はエミリーの様子が気になって確認した。
「いえ、そんなことはないのですが!」
エミリーは真っ赤になっていた。
「よく、メイドを宮殿にお連れになるのですか?えっ!あの……いえ、この質問はその……私のような者が王子様とご一緒の馬車に乗っていること自体があり得ないと言いますか。おこがましいと言いますか、夢のようと言いますか……」
エミリーは自分で質問をしていて、しどろもどろになった。
「いや、君が初めてだ。君がお菓子が好きだということと、一昨日君と初めて会ったわけだが、君がある人を彷彿させるんだ。なぜか。あと、本当に舞踏会用の衣装を新しく仕立て直したいという切実な目的がある」
俺の言葉にエミリーは一瞬ビクッとしたが、「衣装……ですね」とうなずいた。
「君も知っての通り、俺は18歳からこのかたずっと妃候補に翻弄されているが、一度も成功していない。今回は是が非にでもでも成功させたいのだ」
俺は断頭台で処刑されたリアルな記憶から、切実な思いがあった。とにかく妃は必須だ。このままでは決して良くないのだから。
「わかりました」
エミリーは急に仕事モードになり、馬車の中でスケッチブックを出した。
「こちらにいくつかサンプルを書いてまいりました。どういったものをお望みでしょうか」
見たこともないモードなスタイルのものまで様々あった。
「これは?君がデザインを考えたのか?」
「さようでございます。今より、よりシンプルで着心地が良いものをと考えました」
俺はエミリーが見せてくれたデザインを真剣に見始めた。そして、エミリーの顔をのぞき込むようにして見つめた。
「君は一体、こんな才能をどこに隠していたんだ?」
俺の言葉を聞いて、彼女のグリーンの瞳が輝いた。
エメラルドのように煌めくのを見つめて、一瞬、心を奪われそうになった。
はい、中身はクラリッサ。あなたがフったクラリッサ。あなたにフラれたせいで、クラリッサは命を投げ出そうかと思うほど思い詰めて引きこもりになったのよ…。