再会 クラリッサSide
私はお金の力を使っても、好きな人に振り向いてもらえなかった。カイル王子のことだ。
一体いつまで引きずるの?
そう自分でも呆れるが、完全に引きずってしまっていた。
大金持ちの令嬢だった私は、お金は使いたい放題だった。それでも、本物の愛はお金では買えない。
それは断言できる。
メイドのエミリーになった私は、洗濯室でせっせと自分の衣類を洗いながら、考えていた。ちなみに、衣類を洗うのは初めてだ。周りのメイドの見よう見まねで、私も必死でやっているのだ。
「エミリー、もっと力を入れなきゃ」
18歳のエミリー・ノースは皆に好かれているようだ。19歳のサリーは特にエミリーと仲が良い。
今もサリーはひっきりなしに機関銃の様に話し続ける合間に私に声をかけていた。
「えぇ、こうよねっ?」
「そうそう」
私の手は今は少し荒れている。慣れない仕事で今後ももっと荒れるだろう。
でも、今の私にとっては労働は助かることだった。考えることに押しつぶされてしまうより、手や体を動かして、環境に慣れる方が気が楽だ。
外は良いお天気で、私は洗濯が終わったら、ジーンの仕事するお店に顔を出すことになっていた。ジーンのお店に行くことが、本当に楽しみで仕方がない。心の底からワクワクしていた。
娘の店だから!
ジーンの結婚相手だというオークスドン子爵のところの小さな坊やを私は覚えていた。彼が褐色の髪に寝癖をつけたまま、すました顔で教会に入ってきた時のことも覚えている。メイドが慌てて寝癖を直そうとしたらしいが、どうしても強烈な寝癖はなおらず、彼を見つめる街の人々は思わず笑みをこぼしていたものだ。確か、彼の名前はルーシャスだ。
あの可愛らしい子がジーンの結婚相手になったのね……。
彼は一体どんな男性に成長したのだろうか。
大繁盛している代筆屋の仕事をしていると聞いた。代筆屋は素敵な仕事だ。人の気持ちを代筆するのに、彼は特別な力を持っているらしいという話も聞いた。魔力があるのだろう。
メイドたちのお喋りは私が知らないことを補うのに、とても有益だったのだ。
英気に乏しいという噂だったカイル王子のことも耳にできた。どうやらカイル王子はいまだに独身らしい。
まだ独身!
あれから何年経過したのだろう?
ブロンドを靡かせて、私を見つめていたカイル王子は、私を振ってからも、沢山の女性と浮名を流したらしい。あの時彼は18歳だった。長い年月を経ても独身という話は、私をそわそわさせた。
あれから沢山の人と浮名を流したのね。
彼はプレイボーイキャラになっている。
確かにモテるとは思うけれど、複雑だ……。
思えば、カイル王子との私の恋は、あまりにあっけなく散ったものだった。私は彼との恋に翻弄されて、当時は周りが見えていなかった。
私が恋焦がれた人は、私のことを一度は見てはくれたが、瞬く間に私に飽きた。カイル王子に、私はつまらない女だと思われたのだ。
17歳の私は世間知らずで、お金を使って美しいドレスを着ていさえすれば、なんでも手に入ると勘違いをしていたバカな女だった。努力を、お金を使うことと一緒に考えていた。
本当は違うのに。
スケッチブックに何千枚と書くような努力が、努力なのかもしれないのに、誰かを助けるために奔走することが努力かもしれないのに、私がやっていたのは、ただ見かけを飾ることだけだった。
中身より見かけを立派に見せようとしていた私が、カイル王子に振られた私だ。
人に嫌われるなんて、ましてや大好きな人に振られるなんて、17歳当時の私には想像もできないことだった。
私は至極つまらない女だと、すぐに振られたことに深く傷ついた。
口だけの、親の金だけの女。
慎ましく努力することを知らない女。
賢さなんて皆無な女。
堅実に生きることを知らない女。
あぁ、自分で言っていて、辛い。
17歳にもなってもお子ちゃまだった。
自分で服も縫えない。
食事も作れない。
お菓子も焼けない。
掃除もできない。
洗濯もできない。
できるのは、ゴシップに目を通すことと、着飾ることだけだった。
学校も退学になったし……。
そんな私がハット子爵と結婚してから、何か変わったのだろうか。
少しは大人になれただろうか。
もし、私の中身が少しは成長していたとしたら、別の若いメイドに生まれ変わったら、自分の人生を築いていける人物になれるのだろうか?
私が吹っ切ったはずの失恋の相手であるカイル王子を、エミリーという自分とは全く違う存在である別人になってからも思い出すのは、それほど傷ついたからだ。
あの失恋は惨めだったから。
忘れられない傷になったから。
洗濯物を干すと、清々しい気持ちになった。
ジーンのお店は、この広大なハット子爵邸の庭を超えた先にあるらしい。門まで行けば、すぐに分かると教えられた。私が何も覚えていないことを不憫に思ったメイドたちが親切に教えてくれたのだ。
庭を歩いていると、クラリッサだった時と何も変わらないように思う景色の中を歩いていて、気分がすっかり子爵夫人の時の気分になった。
心はより軽やだ。
「やぁ、エミリー。昨日倒れたらしいけど、大丈夫か?」
庭師のフランクに話しかけられた。もう彼は相当な年寄りだ。
「大丈夫よ、フランク」
私はにっこり微笑んだ。
「お、記憶喪失であまり覚えていないと聞いたが、俺の名前は覚えていてくれたか。こいつは嬉しいな」
フランクは驚いた表情になり、私にニコニコと微笑みかけた。
「えぇ、もちろんよ」
私は駆け出しそうなほど身軽な気持ちで(でも、走ると体が重いことにすぐに気づいた)店まで急いだ。
想像以上に素敵な店だった。
ジーン・ハット子爵令嬢の仕立て屋は、時代を先取りしたオートクチュール感と、街の令嬢たちの花やぐ気持ちを盛り上げる要素がうまくブレンドされた店だった。
そしてまもなく、社交界シーズンの幕開けだった。
そうだ。
数年殿方を探している令嬢にとってもデビュタントにとっても翻弄されるイベント、そしてかなり気合いの入るイベントである社交界シーズンが始まる。ここで殿方を見つけなくては、一生見つかるまい。
おかげでジーンの店にはひっきりなしに来客があるようだった。
通りを行き交う馬車に混じって、時折、蒸気自動車を見かけた。乗合自動車もだ。20年ほど時が進んだ証拠だ。私が知っている時代には、蒸気自動車はまだ無かったのだから。
店内には、膨らんだクリノリンスタイルのドレスや(私は実はこれが嫌いだったけれど)、プリンセスラインのガウンなどが飾られている。ピンクや薄い黄色、ブルーと美しい生地が所狭しと整然と並べられていて、仕立て屋の中は実に華やかだった。
クリノリンスタイルのドレスは大量の生地を必要とする。エプロン状のオーバースカートもついているし、大量の繊細なレースも使用する贅沢品だ。だが、着用している本人からすると、機敏に動くにはかなり厳しいものがある。ドレスの幅が大きすぎて、ドアによく引っかかる。華やかではあるが、着る側としては色々問題があるものだ。
「エミリー!」
店の奥で誰かと話し込んでいたジーンが私に気づいたようだ。
店内を感嘆のため息をつきながら見て回っている私のところに、笑顔で駆け寄ってきた。
ジーンの声で、ジーンと話し込んでいた2人の男性が私の方を振り向いた。一人は、褐色の髪の若々しいハンサムな男性で、私はオークスドンの坊やだと一目で分かった。ルーシャス・オークスドン子爵。ジーンの結婚相手だ。素敵に成長していて、私は安堵した。
もう一人は……?
私は何気なく、もう一人の男性の方に目をうつした。その男性はオークスドン子爵よりは明らかに年齢が上だ。ブロンドの髪。青い瞳。
時が止まったかのように感じた。
王子だ……。
カイル王子がいる。
美しい瞳で私を見て微笑んだ、あのブロンドの髪のカイル王子。私を見つめて「つまらない」と言ったあの冷たいハートの持ち主の美しく魅力的な王子。
彼が年齢を経て、やはり魅力的なままでそこに立っていた。
私の娘ジーンの仕立て屋の店内に。
なぜ?
なぜ彼がここに……?
ジーンと王子は知り合いなの!?
私はパニックになった。
顔が強張った。
「エミリー、どうしたの?また具合が悪いかしら」
ジーンは私の表情の変化にすぐに気づいて、私の体の具合を気遣った。
「ち……違いますわ。あの方はどなたでしょう?」
私はジーンに聞いた。ジーンは振り向いて、ルーシャス・オークスドン子爵とカイル王子が私たちの方を見ているのに気づいて、ささやいた。
「忘れちゃったのね。大丈夫よ。私の結婚相手のルーシャスよ。もう一人はカイル王子。ルーシャスのところに代筆の仕事の依頼でいらしたの。ルーシャスと結婚することになった私の所にも顔を出してくださったの。エミリーがカイル王子に会うのは今日が初めてだから、知らなくて当然よ」
私はやはりカイル王子であったかと思った。
カイル王子はまだ独身……。
今朝、洗濯をしながらメイドたちから情報では、カイル王子はあれから約20年もの間も独身だったようだ。
「カイル王子はどんな方?」
私は思わず聞いた。
カイル王子は、20年の間に何があったのだろう?
17歳の頃、英気に乏しいと噂だった王子に初めてあった日のことをぼんやりと思い出した。私には噂は単なるウワサとしか思えなかった。彼はとても美しい瞳を持ち、彼が真っ直ぐに私のことを見つめた瞬間、私の心臓は不自然なほど高まり、身体中が熱くなった。
今、約20年後のカイル王子が私の方を真っ直ぐに見た。
私は若くて貧しい太めのエミリー。赤毛でグリーンの瞳の女の子だ。カイル王子に自分が振ったクラリッサだと、分かるはずがない。
それなのに、胸が高鳴る。
私の身体は熱くなり、エミリーの心臓は不自然なほど高まった。久しぶりに、カイル王子にこんな至近距離で出会った瞬間、別人になったのに、私の中の何かは、カイル王子に心臓を射抜かれたようになってしまった。
「あなたに王子の衣装のデザインを見立てて欲しいのよ」
ジーンは私にささやいた。カイル王子がにこやかに私に近づいてきた。
私の心臓はドキドキが止まらなかった。
うわっ!
どうしよう!?