夏の台南で飲んだ檨仔思慕昔の思い出
登場人物達の立ち絵の画像を作成する際には、「AIイラストくん」を使用させて頂きました。
そして3枚目のアボカドスムージーのイラストは、澳 加純様より頂戴致しました。
澳 加純様、挿絵としての掲載を御快諾下さいまして誠にありがとうございます。
私こと王美竜が留学している堺県立大学の位置する日本の堺県堺市は、実家のある台南市に比べたら緯度が高くて涼しい気候にあるんだ。
北海道や東北みたいな北国ほどじゃないけど、冬になれば雪だって多少は降るんだよ。
とはいえ幾ら涼しいと言っても、あくまでも比較的ってだけなんだよね。
前期日程を半分程消化した六月ともなると、流石に日本も蒸し暑くなってくるんだ。
「この時期は梅雨だから天気も不安定だし、たまに晴れても暑くて厄介だよね。衣替えだって考えなくちゃいけないし。」
ゼミ友の蒲生希望さんなんか、講義が終わると早々にボヤき始めちゃったんだよ。
エアコンの効いた涼しい研究室から出たんだから、それも無理はないよね。
とはいえ「衣替え」って単語を殊更に強調して発音している辺り、その真意が他にあるって事は明白なんだけど。
「衣替えと言えば…蒲生さんの着ている夏物も爽やかで良い感じだよ。それって新調したの?」
「ああっ!やっぱり分かっちゃう?このサマーワンピース、こないだ堺東の高鳥屋百貨店で買った新作なんだ。」
真新しい夏物のワンピースを指摘された蒲生さんは、たちまち上機嫌になっちゃったの。
オシャレで新しい物好きな蒲生さんは、ファッションの流行や季節のスイーツといった情報に本当に目敏いんだ。
そんな蒲生さんだったからこそ、なかもずキャンパスの喫茶コーナーが期間限定のドリンクメニューを出している事にいち早く気付けたんだろうね。
「おっ!見てよ、美竜さん!『サマーシーズン限定・南国ドリンク特集』だって!美竜さんの地元の台湾のメニューもあるよ。」
「へえ、幟やフライヤーも凝ってるじゃない。御丁寧に『思慕昔』って表記しちゃって…分かりやすく『台湾風スムージー』って書いても、バチなんか当たらないのに。」
ベトナムのサトウキビジュースであるヌックミアやマレーシアのココナッツウォーター。
それらの東南アジア系ドリンクに半ば埋もれるような感じだったけど、この県立大のキャンパス内で「思慕昔」の三文字を見ると不思議な程にホッとしちゃうんだよね。
「せっかく美竜さんと一緒に入店する訳だし、台湾風のアボカドスムージーにしてみようかな。美竜さんは何にする?」
「えっ…私は無難に檨仔思慕昔って感じかな?久し振りに、マンゴー味のスムージーで夏を感じてみるのも良いかもね。」
蒲生さんの勢いに流されたのが七割で、台湾式の繁体字に思わず惹かれてしまったのが三割。
そんな感じで、私は思慕昔をお供に喫茶コーナーで涼む事になったんだ。
私の予想とは裏腹に、喫茶コーナーの南国ドリンクは材料にも拘った本式の物だったの。
華やかで健康的なオレンジ色のスムージーにはマンゴーの果肉がゴロゴロと入っていて、その濃厚で確かな食感は「飲む」と言うよりは「食べる」と言った方がしっくり来る程だったんだ。
「これだけのレベルの物を大学の喫茶コーナーで出せるなんて、正直言って驚いちゃったね。夏の台南の夜市で、妹と一緒に飲んだのを思い出すなぁ…」
思わず感嘆の声を上げてしまった私だけど、それは蒲生さんも同じだったみたい。
「味は濃厚だし、食感はクリーミーだし…液状のスムージーになった事で、アボカドの存在感が却って一層に際立った気がするよ。」
さながらグルメ漫画や街ブラ番組みたいな食レポだね、蒲生さん。
その様子だと、蒲生さんの頼んだアボカドスムージーも当たりの部類みたいだね。
「この値段でこの味なら、夏休み明けにも飲んでみたいよね。あーあ…どうせなら、定番メニューにしてくれたら良いのに。」
「蒲生さんの気持ちは分かるけど…この南国ドリンクは、やっぱり限定メニューで終わりそうだよ。未練が残らないよう、限定期間のうちに満喫しといた方が良さそうだね。」
そうして呼吸を整えると、私は蒲生さんに持論を展開したんだ。
「何しろマンゴーやアボカドの果肉を惜しげ無く使ったスムージーはコストが嵩むし、メインの客層が学生って事を考えたら値段設定をあんまり高く出来ないよ。それに定番入りさせるには、ヌックミアもアボカドスムージーも異国情緒が強過ぎる気がするんだよね。」
とはいえ改めて考えてみると、台湾人留学生の私が日本で「異国情緒」なんて言うのは流石にナンセンスな気がするなぁ。
蒲生さんに突っ込まれなければ良いんだけど。
「返す言葉も無いよ、美竜さん。やっぱり尖り過ぎていると定番メニューにはならないのか…」
「スムージー自体は見事に撹拌されているから、全く尖ってないのにね。」
そうして蒲生さんに応じながら、私は密かに胸を撫で下ろしたんだ。
妙な事を突っ込まれなくて何よりだよ。
ところが蒲生さんったら、私も予想していなかった角度から仕掛けてきたんだよ。
「そういえば、美竜さんは『久し振りに、マンゴー味のスムージーで夏を感じてみる』って言ってたけど、こっちに来てからは夏場のマンゴースムージーもご無沙汰みたいだね。何か理由でもあるのかな?」
「えっ…?」
日本に来てから夏場にマンゴースムージーを飲まなくなった理由なんて、急に聞かれても困っちゃうなぁ。
とはいえ、「いや、なんとなく」って返すのもつまらないし…
あっ、そうだ!
「当ててみなよ、蒲生さん。正攻法の答えを思いつかなかったなら、ボケてみても良いからさ。私を満足させられる回答をしてくれたなら、Sサイズで良ければ奢ってあげるから。」
「成程、要は大喜利だね!Sサイズのヌックミアは頂いたよ。」
そうして軽快に乗ってくれると、ネタ振りをした私としても喜ばしい限りだよ。
「それじゃ、回答を始めるね…何かの願掛けでマンゴーを断っているんでしょ。前期単位の取得とか、資格試験とか?」
「そうそう!AEDの操作資格を取る為に、堺護国神社で願掛けを…って、してない!学業成就や資格取得の願掛けでマンゴーを断つなんて話、聞いた事もないよ。台湾で合格祈願の断ち物をするなら、そこは牛肉だって。昔から相場が決まってるんだ。」
何しろ台湾で学業の神様として信仰されている文昌帝君は、牛との御縁の深い神様だからね。
台湾の受験生達は、「文昌帝君が試験会場まで来られなくなる」と考えて試験前は牛肉を控えているんだ。
私も大学受験の時には、牛肉麺や焼肉を控えたもんだよ。
「美竜さんもノリツッコミのアドリブが上手くなったじゃない。そもそもAEDの操作資格の合格祈願なんて、真面目に講習を受けていればキチンと受講証を発行してくれるから。」
「私も蒲生さん達と一緒に堺県で過ごすうちに、関西式のボケとツッコミを学んでいったのかもね。畳化ならぬ関西化が、自覚症状無しに進行していったのかも。」
何しろ私と蒲生さんの二人は、大学祭の漫才コンテストに一緒に出場した仲だからね。
今年の秋に開催される銀杏祭のコンテストに向けて、そろそろネタを考えておいた方が良いのかな。
「要するに、さっきのは正解じゃないって事だね。それじゃ、次の回答と行くよ!『芒狗ちゃん』って名前のワンちゃんの獣害に遭ったとか?」
「そうそう!電信柱と間違えられて足に引っ掛けられちゃって…って違う!そもそも芒果の果が犬の狗と発音が似ているってネタは、中国大陸でしか通用しないんだよ。何しろ台湾だとマンゴーは檨仔って言うんだから。」
このマンゴーの呼び方もそうだけど、私の生まれた台湾島の中華民国と大陸の中華王朝とでは色々な違いがあるんだよね。
同じ東アジアに位置する友好国だし、言語的にも民族的にも共通点は沢山あるけれど、やっぱり「所変われば品変わる」なんだよなぁ。
それにしても蒲生さんったら、よくそんな事を知っていたね。
どこから仕入れてきたの、その小ネタ?
「ああ、違うか…それじゃ、えーと、えーと…」
流石の蒲生さんも、そろそろ大喜利の答えが浮かばなくなったみたい。
とはいえ少なくとも、今の遣り取りが良い時間稼ぎになった事は確かなんだよね。
私の方も考えがまとまった事だし、この話題もそろそろ決着をつけようかな。
「そろそろ答え合わせと行くね、蒲生さん。私が日本でマンゴースムージーをなかなか飲まなかった理由は、正直言って幾つかあるんだよ。『スムージーを始めとする生のマンゴーを使ったスイーツは台湾に比べたら割高で及び腰になっちゃう』とか、『せっかく留学しているなら日本の物を試したい』とか…とにかく色々な理由がね。」
「その様子だと、他にも理由がありそうだね。私としては、『とにかく色々』の詳細を聞きたいなぁ。」
今日の蒲生さんったら、言葉の端々に注意が行き届くじゃない。
持ち前の旺盛な好奇心が、今回は遺憾なく発揮されたようだね。
「そうは言っても、どうせ蒲生さんは薄々感づいているんでしょ?単刀直入に言うと、『とにかく色々』の詳細はお酒だよ。飲酒可能年齢を迎えて以来、夏はお酒で暑気払いをするのが定番になっちゃってね。」
「やっぱりなあ!美竜さんったら、底無しの蟒蛇なんだもの。こないだ学園町の居酒屋でやった飲み会でも凄かったよ。ピッチャーで来たビールを手酌でガブガブやった挙げ句、一人で空けちゃうんだから。しかもお通しの枝豆だけでだよ!」
褒めているのか論っているのか、一体どっちなんだろう。
とはいえ蒲生さんの発言は嘘偽りや誇張の無い事実な訳だから、私の立場じゃ何も言えないんだよなぁ。
だけど一つだけ言わせて貰うなら、あれは私なりに飲み会メンバーへ気を遣ったつもりなんだよ。
何しろ例の居酒屋は、ピッチャーのビールを消化しないと飲み放題メニューをオーダー出来ないシステムになっているからね。
「そう言う訳だから、このマンゴースムージーみたいなアルコールの入っていないドリンクで夏の暑さを癒やすのは御無沙汰なんだよ。下手をしたら、高三最後の夏に妹と一緒に夜市で飲んだ時以来かも知れないなぁ…」
「妹っていうと、美竜さんとは五歳違いの珠竜ちゃんの事だね。今は確か、まだ中学生だっけ?」
日本のゼミ友の口から名前を聞くと、台湾に置いてきた妹の顔が嫌でも脳裏を過っちゃうよ。
高校受験の準備、順調なのかな?
そう言えば前回の帰省では、珠竜が風邪を拗らしたせいで一緒に夜市に行けなかったんだっけ。
「美竜さんの血を分けた妹なら、珠竜ちゃんも大酒飲みに育ちそうだね。夏の夜市で一緒にマンゴースムージーを飲める機会は、あんまり残ってないかもよ。」
「ちょっと…変な事言わないでよ、蒲生さん。」
慌ててゼミ友を窘めた私だけど、思い当たる節がありすぎるんだよなぁ…
お母さんの話だとビールテイスト飲料やノンアルコールカクテルを愛飲しているらしいし、こないだのメールには「早く十八歳になって、家族揃って晩酌したいね。」って書いてあったし。
きっと珠竜も十八歳の誕生日を迎えたら、スムージーやフローズンじゃなくてお酒で暑気払いをするようになるんだろうな。
「もしも美竜さんが夏休みに帰省を計画しているなら、珠竜ちゃんを夜市に誘ってマンゴースムージーを奢ってあげた方が良いと思うよ。じゃないと次に会った時には珠竜ちゃんに彼氏が出来ていて、美竜さんの誘いよりも彼氏の方を優先しちゃうかもね。」
「お…脅かさないでよ、蒲生さん。だけど、それに関しては八月の帰省で白黒ハッキリとさせた方が良いのかもね…」
蒲生さんったら、こちらがドキッとする事を容赦なく言ってくるよね。
そりゃ確かに珠竜は年の割には発育が良い方だし、姉としての贔屓目を抜きにしても美人な方だとは思うけど…
「アッハハ!冗談だって、冗談!しっかり者な珠竜ちゃんの事だから、そういう間違いとは無縁なはずだよ。一人っ子の私としては、妹のいる美竜さんが羨ましく感じられてね。少しばかり、からかっただけだよ。昔から言うじゃない、『隣の妹は可愛い』ってね。」
「それを言うなら『隣の芝は青い』だよ、蒲生さん!そんな一昔前のラノベのタイトルみたいな諺がある訳ないじゃない!」
軽口にはツッコミで応じさせて頂いた私だけど、蒲生さんの言う事にも一理あるね。
今年の夏の帰省では、妹を誘って夜市で檨仔思慕昔を飲むのも悪くないだろうな。