第2話 グリューワインとフラミンゴのお菓子の家(4)
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真夜中、セノイはティーサロン・フォスフォレッセンスの半個室のテーブルにつき、何やら読書にふけっていた。
百合の窓からそそぐ月の光が、彼のするりとした肌をより蒼白に染めている。
手もとにティーライトキャンドルが差し出され、セノイは顔を上げた。灯りの差し入れ主の老執事・デュボワが、柔和な微笑みを浮かべながら言う。
「精が出ますね。しかし、目を痛めますよ」
セノイが礼を言い、読んでいた本を一旦閉じると、モーヴピンクの洒落た表紙が現れる。
「なかなかおもしろいので、つい。人というものは哀しく、そして深遠ですね」
強烈な百合の香りが辺りに立ち込めた。ふたりはしばらくしんしんと清められた沈黙の中におり、やがてセノイのほうから再び口を開いた。
「うるさいくらいの静寂の中、誰にも聞こえない叫び。闇を吸い上げて育っていく、誰も……私しか、知らない植物。
女の肉を食う蝿。真夏の見舞いに選ばれ、どろどろに溶けたチョコレート。そういうものを、あんなに陽気で活力に満ちた彼女でさえ、知らねばならない世界」
やや間があって、デュボワが言った。何か大きなものを、例えば人として生きる命を悼むような口調で。
「知らずに生きていく人もいますよ、セノイ」
「そのほうがいいと思いますか?」
鳩の血の色をした瞳から逃れるように、デュボワが目を伏せる。
そして、テーブルに置かれたままになっていた銀のカルトンに寝そべる、小さな百合を見つめて言った。
「私は答えを持ち合わせません。ただ、これからも続けましょう。やがて絶えゆく種の、誰にも聞かれなかった、顧みられなかった傷を収集し、保管に務めましょう」
セノイがカルトンから百合をそっとすくい上げる。蛍の光のような淡いグリーンの寂光が、ふわふわと揺らめくように立ち上る。
「ええ、優しく悼みましょう。これからも」
そう言ったセノイの背には、いつの間にか大きく白い翼が現れている。しかし、右の翼は根本から斬り落とされ、痛々しい傷痕をさらしていた。
彼はゆったりとテーブルに肘をつき、そっと右目の下の泣きぼくろを撫でた。
~第2話 グリューワインとフラミンゴのお菓子の家 Fin.~