2章 二人の旅路3
用意された馬車も一級品だった。
エリーゼは、いかにも公爵家、という雰囲気の華やかな金細工が施された外装に気後れしたが、手を引いて乗せられてしまえば逆らえない。
ふかふかの座席に、バネのきいた車体。揺れは最小限で、長旅でも身体への負担はほとんどなさそうだ。
王都までここから1週間ほどかかるが、これなら旅の道も楽に過ごせるだろう。
問題は、道中の馬車の中はエリーゼとレオナールの二人だけだということだ。
使用人の少ないアルヴィエ子爵家から連れてきた侍女はおらず、エリーゼとレオナールは広く快適な馬車の中で無意味に向かい合って長時間過ごすことになった。
しかし邸を出発してから三十分、黙ったままのレオナールにエリーゼから会話を始めることができないまま、気まずい時間が過ぎている。
商会の客だが同じ商家の子だと思っていた気安い関係のレオン。そして、エリーゼとアルヴィエ商会の窮地を救ってくれた頭がきれて頼りになる公爵家当主のレオナール。
この二人が、どうしてもエリーゼの中で重なってくれない。
髪の色や姿勢、露わになった整った顔が理由ではない。
きっと、纏う空気ごとレオナールが変えているのだ。
エリーゼはおずおずと、窓の外を見ているレオナールに声をかける。
「──……あの、」
「どうしたの?」
レオナールからの返事は早かった。
驚きつつも、エリーゼは言葉を重ねる。
「さっきは、お礼をきちんと言えませんでした。家を……父を助けてくださって、ありがとうございます」
改めて、しっかりと頭を下げる。
レオナールはエリーゼと契約を結んだ日から今日まで、一週間もの間アルヴィエ子爵家のために尽力してくれたのだ。
エリーゼには難しいことは分からないが、王家の相談役という立場はきっと多忙だ。エリーゼ達のような田舎貴族に無駄に割く時間等、きっとないだろう。
その理由がエリーゼとの契約結婚だったとしても、助けてもらったことには変わりない。
「ああ、大丈夫だよ。そうかしこまらないで。これまでの……『レオン』を相手にするくらいざっくばらんで構わないから。敬語も無くて良い」
「えっ、でも」
そうは言われても、相手は公爵家の当主だ。どんなにレオナールがレオンであっても、守るべき一線はある。
そもそもレオナールが公爵としてその場にいるのだから、エリーゼだってこれまで通りに接するのは難しい。
そう考えていたエリーゼの右手が、レオナールの左手に繋がれた。
「な、なんですか」
今、この場車の中に他人の目は無い。こんなスキンシップ、必要ないはずだ。
しかしレオナールはなんでもないことのように、涼しい顔でエリーゼに微笑みかけた。
「でも、エリーゼは俺と結婚するんでしょう。俺はデフォルジュ公爵だから、エリーゼはデフォルジュ公爵夫人になるわけだ」
「そう……ですね」
「家族だったら、当然だけど自然に会話をするよね」
「でも私達は契約で」
「『社交の場では仲睦まじく振る舞う』って契約だったはずだ。……エリーゼが抜き打ちでできるのなら、構わないけれど」
エリーゼは自分が社交の場でレオナールと仲睦まじく振る舞う姿を想像した。
まず、自分が社交の場で公爵夫人としてレオナールの隣に立っている姿を想像できなかったが、だからこそ、それは不可能なことだと気が付いた。
自分の姿すら描けない状態の人間が、人を見抜くことに長けた貴族達相手に嘘を吐き続けることができるはずがない。
エリーゼは逃げるように視線を逸らした。
「……無理だと思います」
レオナールが小さく声を出して笑っている。
揶揄うような、楽しくて仕方がないという笑い声に、エリーゼはついレオナールをにらみつけてしまった。
「ちょっと。私がこんなに考えてるのにどうして笑ってるんですか」
「いや、素直だなあと思って」
「素直って……」
「できないことをきちんとできないと言えることは美徳だよ」
レオナールが笑いを収めて、エリーゼの手を離した。
「そう、できないだろう? だから、エリーゼは普段から俺と仲良く過ごした方が良いと思うよ」
エリーゼは、そう言われればそれが一番良いのかもしれない、と思い始めた。
演じることができないのなら身体に染み込ませるのが一番早い、というのは、商会で従業員の指導をするときに言ったことがあるし、エリーゼもかつて母親に言われたことがある。
エリーゼは軽く目を伏せて、レオナールの妻らしい距離感の言葉遣いを考えた。
家名で呼ぶわけにはいかない。エリーゼもデフォルジュ公爵家の一員になるのだ。
ではレオナール様? それはそれで、普段を敬語にするべきか悩むところだ。
レオンと呼ぶのが呼びやすいが、子爵令嬢だった自分がそう呼んで誰かに何か言われないだろうか。
見つけた答えに、エリーゼはレオナールの表情を窺いながら口を開いた。
「分かった、わ。レオン様。……これで良いかしら?」
「──……完璧」
レオナールはそう言って、綺麗な顔を両手で覆った。