2章 二人の旅路2
お待たせいたしました。
エリーゼはレオナールの指の隙間から小声で抗議する。
「……っ、どうしてこんな」
エリーゼの抗議は、レオナールがちらりと見せた微笑みによって相殺された。いかにも高位貴族らしい姿で、整いすぎた美貌でそんなことをされたら、エリーゼにはどうして良いか分からない。
途中で言葉を封じられてしまったエリーゼは唇を噛む。
代わりにレオナールは、エリーゼの背中に両腕を回した。
「良いからちょっと黙って」
抱き締められているとエリーゼが気付いたときには、もう逃げられないくらいにすっぽりと閉じ込められていた。
レオナールの体温と肌触りの良い服が、エリーゼの鼓動を速めていく。
さっきまでエリーゼと共にサロンで待っていた母親には全て見られているだろう。その恥ずかしさすら、今のエリーゼには強すぎる刺激だ。
エリーゼは慌ててレオナールの胸を両腕で押した。
こんなところを、よりによって家族には見られたくはない。
「待って、離してください!」
「──どうして? 久しぶりの再会なのに」
レオナールの声は変わらないのに、エリーゼにはいくらか気温が下がったように感じられた。
冷え冷えとした空気がレオナールから発せられているような気がする。
エリーゼはレオナールと契約し、恋人同士として結婚をすることにしたのだ。
ここではっきりと抵抗してしまえば、それはエリーゼがレオナールとの契約を軽んじているということに他ならない。
それは、商人としてあってはならないことだ。
「どうしてって……」
エリーゼは必死で納得してもらえそうな理由を探す。
距離が近い──違う。レオナールとエリーゼは結婚するほどの恋仲なのだ。顔が近付くことも抱き締められることも当然のはずだ。
急に抱き締めないで──違う。再会を喜んでいるのならば、抱き合うことも当然のことなのだ。
エリーゼは迷った末、思いきって口を開いた。
「は、母が見てますから。恥ずかしいです!」
誰かに見られながらいちゃつく趣味はない。そんなものがある人間は珍しい、と思う。
エリーゼの頬が赤くなっているのも、説得力があるだろう。
レオナールが小さく笑い声を漏らして、エリーゼを抱く腕を緩めた。
どうやら間違ってはいなかったようだ。
二人の身体の間に隙間ができて、エリーゼはようやくしっかりと空気を吸い込むことができる同時に、甘く爽やかな香りがした。
これはジャスミンの花をベースにした香水か──と考えたところで、香りの元がレオナールであることに気が付く。
一つ気付いてしまうと、次々気になってしまう。
エリーゼがすっぽり収まってしまう大きさ、身体の固さ、腕の力強さ。
そのどれもがエリーゼには無いもので、レオナールが大人の男性であることを示している。
更に顔を上げれば、綺麗な顔が付いているのだ。
レオナールがエリーゼを見下ろした。
「エリーゼは相変わらず恥ずかしがりやだね」
声まで甘い。
エリーゼは慌てて目を逸らした。
これは、初めての甘さだ。
「でもこれくらいは許してほしいな。……もう夫婦になるのだから」
額に柔らかなものが触れる。
咄嗟に顔を上げたエリーゼの目の前には、甘くいたずらに微笑むレオナールがいた。
悔しい。こんなことで翻弄されているエリーゼ自身が一番信じられない。
エリーゼは両手でレオナールの胸を押す。
「こっ……んなことしてるから、変な噂を立てられるんですよ!?」
「嫌だな。エリーゼだけだよ」
今度こそレオナールはエリーゼを離してくれた。
エリーゼは両手でドレスの裾をぱたぱたと整え、裾を確認するふりをして思いきり俯く。
こんな顔、人にはとても見せられない。
「──公爵様がエリーゼを好いていることは、道中たくさん聞かされたから大丈夫だよ」
「お父様……っ!」
直前まで思っていたことも忘れて、エリーゼは勢いよく顔を上げた。
一週間ぶりに会うエリーゼの父親は、出発したときよりも少しやつれているように見える。
それでもしっかりと背筋を伸ばした父親は、エリーゼにいつもと同じ微笑みを向けてくれた。
「ただいま、エリーゼ。心配かけたね」
父親が両手を広げる。
エリーゼは笑顔で駆け寄って抱き付いた。
「お父様、おかえりなさい! 無事帰ってきてくれて嬉しいです!」
「ありがとう、公爵様のお陰で助かったよ」
エリーゼはそう言われて、父親から離れてレオナールを見た。
やはりこうしてしっかりと装った姿は、エリーゼの隣には眩しすぎるような気がする。
「この人なら、私もエリーゼのことも安心して任せられる」
「……お父様」
「勉強することも多いと思うけど、頑張るのよ」
「お母様……」
領地を、商会を、従業員を守るためとはいえ、エリーゼはこの家族に嘘を吐いてレオナールと結婚をするのだ。
胸がちくりと痛んだが、それを直視することはしなかった。
向き合ってしまったら、動けなくなりそうだった。
「お任せください。必ず幸せにします」
何も言えずにいたエリーゼの代わりに、レオナールがそういってエリーゼの手を取った。
いつもお読みいただきありがとうございます!
以降、スケジュールの都合によりしばらく1日おきの更新とさせていただきます。
お待たせいたしますが、よろしくお願いいたします!