2章 二人の旅路1
レオナールの対応は早かった。
まず、海賊。
事件発生の翌日夜には海上から船に乗った辺境にいた騎士達が夜襲を仕掛け、従業員を無事保護した。怪我人はいたが生活や仕事に問題のあるものではなく、適切な治療で後遺症や傷跡も残らないだろうというものだった。
次に船。
三隻の船が傷付き、二隻の船が燃えたらしい。
燃えてしまった船についてはすぐに代わりが用意され、傷付いた船もすぐに修理に出すことになった。その間の航海に使う船は、国が貸してくれることに決まったらしい。
国王との謁見の予定を取り付けたと報告されたところで、エリーゼの母親は動き出すことにしたようだ。
それからのエリーゼの日々は怒濤だった。
まず、母親から持っている服を全て出すように言われ、並べた内の八割を捨てられた。
というのも、商会の手伝いが趣味のエリーゼが持っていたのは、ほとんどが仕事用のスカートとブラウス、リボン、ジャケットばかりで、貴族夫人として着られるものがよそ行き用に買った二着のワンピースドレス以外に無かったのだ。
いくら必要なものは用意すると言われていても、王都まで向かう間の服すら用意しないわけにはいかない。それすら無いままでは、公爵邸の使用人からエリーゼが実家で虐げられているのかと疑われてしまう可能性すらあった。
早速エリーゼは商会お抱えの仕立屋に連れて行かれ、最速でドレスを四着と夜着を三着仕立てることになった。
仕事の引継ぎは従業員三人に対して行い、誰かが欠けても問題ないようにした。
そもそもエリーゼの仕事は父親の負担を軽くするためのものがほとんどで、父親が海賊被害に頭を悩ませなくなれば解消するものでもある。
レオナールの支援もあれば充分大丈夫だろう。
そうして過ごす中で、エリーゼが毎日自室に戻ると見てしまうものは、あの日レオナールに渡されたものだった。
毎日確認するのは、無くなっていたら困るからだ。
「──こんなもの渡して、どういうつもりなのよ」
出しっぱなしにしているのも危ないように感じて、エリーゼはそれを異国の細工が施された小箱に入れて抽斗の奥にしまっていた。
明日には迎えに来ると手紙が届いた日も、エリーゼは気に入りのものが全てなくなってがらんとした自室で、抽斗を開けて小箱を取りだしていた。
小箱はしかけの数が決まっていて、これは十六回だ。
側面を下にずらして、上面を手前にずらす。反対側の側面の一部を上にずらし、上面を戻して、更に側面の一部を戻す。
そうして繊細な作業を繰り返して、十六回目、エリーゼは上面の蓋部分を完全にずらして開けた。
中から出てきたのは、純金製のカフスボタンだ。
しかも装飾面にはデフォルジュ公爵家の紋章がしっかりと掘られている。
「私が売り払ったり無くしたらどうするの……」
というのも、紋章入りの宝飾品を作ることができるのはその家の者だけなのだ。
職人には登録が義務づけられている上、購入する者も依頼前に厳正な身分確認がされるため、それを持っている者は家人か、それを与えられるほど信頼が置ける相手ということになる。
身分証明書としても使うことができるのだ。たとえ婚約者であっても、簡単に渡して良いものではない。
それなのに、契約結婚をするだけの相手に渡すなんて。
室内の明かりだけの場所でも変わらぬ輝きを放っているカフスボタンに、エリーゼは小さく嘆息する。
明日、レオナールが来たらすぐに返そう。
カフスボタンを小箱に戻して抽斗の奥に押し込んだエリーゼは、頭から布団を被って目を閉じた。
今夜は、夢すら見たくなかった。
そしてついに、エリーゼが慣れ親しんだ実家を出立する日になった。
エリーゼは朝から子爵家唯一の侍女に身の回りの世話をされ、身体を隅から隅まで洗われた。普段はしない化粧を施され、着たことがなかった服を着せられる。
切られそうになった前髪と眼鏡だけは死守したが、エリーゼが無抵抗だったら切られ奪われていたに違いない。
支度を終えたときには一日仕事をした後よりも疲れた気がした。
真新しい緑色の旅装を身に纏ったエリーゼが待つサロンに、レオナールは初めて見る貴族らしい姿で現れた。
紺色のしっかりとした生地で作られた旅装は、金糸の刺繍が美しい。きっと素晴らしい腕を持つ職人が仕上げたのだろう。胸元からは懐中時計の鎖がちらりと覗いている。
それでも華やかな服に負けないくらいレオナールは輝いていた。
「エリーゼ、待たせてごめんね」
出迎えるために立ち上がったエリーゼの右手を取り、レオナールが自然な動作で甲に口付けを落とす。その左手の手首から、きらりと金色のカフスボタンが覗いた。
一瞬高鳴ったエリーゼの鼓動が、それを見た瞬間から変な音を刻む。
「あー!」
「……どうかした?」
「それ、そのカフ──っ」
エリーゼが文句を言おうとした唇が、すぐにレオナールの手の平で塞がれる。
同時に右手首を掴んで引かれたため、エリーゼはレオナールの腕の中に飛び込んだようになってしまった。