1章 突然の事件と求婚5
突然大音量で開けられた扉に、室内にいた者達が皆動きを止める。
特にエリーゼの父親と母親は目を丸くしていた。
明らかに家の有事というときに娘が見知らぬ男性と手を繋いで入ってきたのだから、当然の反応だろう。
商会長の執務室には、エリーゼの両親以外に商会の従業員が五人いた。
エリーゼは手を繋いだままでいることが恥ずかしくなって、気付かれないように手を解こうとする。
しかしレオナールはしっかりと握りしめていて、離してくれそうにない。
エリーゼは諦めて、エスコートされるがまま室内に足を踏み入れた。
レオナールは執務机を挟んで父親と向き合った。先程エリーゼにしたよりもずっと常識的な距離感だ。
父親は、エリーゼの横にいる明らかに高貴な雰囲気の男性から目を逸らして、エリーゼに視線を合わせてくる。
「──エリーゼ。この方は誰だい?」
探るように聞いてくる父親に、エリーゼは口を開きかけて閉じた。
どう説明したら良いのだろう。
レオナールがエリーゼも父親もよく知っているレオンで、実はデフォルジュ公爵だったなど、エリーゼが言ったところですんなりと信じてもらえるとは思えない。
エリーゼが困っていると、レオナールの右手がエリーゼの頭に乗って、落ち着かせようとするようにゆっくりと撫でてきた。
恋人同士だと思われるようにとは言われたが、突然の触れ合いにエリーゼは逆に驚いて固まってしまう。
レオナールが姿勢を正し、しっかりと礼をした。
「大変な時に突然押しかけて申し訳ありません。私はレオナール・デフォルジュと申します」
「……デフォルジュ公爵、でございますか?」
「ええ。証明できるものは……ああ、家紋が入った懐中時計が」
懐から取り出された懐中時計には、獅子をモチーフとした絵をオリーブの葉が囲んでいる紋章が描かれている。
父親がレオナールとその紋章を、記憶と答え合わせをするように見つめている。
懐中時計の紋章。癖のあるプラチナブロンドと、青い瞳。更に女性にはどうしようもなく魅力的に見える整いすぎた甘い顔となれば、エリーゼよりもずっと貴族に詳しい父親には本人だと確信できたようだ。
父親はすぐに立ち上がって、レオナールに応接テーブルのソファを勧めた。
何故かレオナールの隣に座ることになったエリーゼに、向かい側に座った両親からの視線が刺さる。
従業員達は一度部屋を出されたが、間違いなく覗きながら聞き耳を立てていることだろう。この商会長の執務室には、防犯と商売上の理由から、隣の部屋にそのための隠し部屋が作られているのだ。
先に話を切り出したのはレオナールだった。
「今はこちらも有事でしょうから、端的にお話しします。海賊被害に遭われたと聞きました。お力になれることがあれば助力させていただきます」
それからレオナールはエリーゼに提示したことと同じ内容の支援内容を父親に告げた。
父親の表情が目に見えて明るくなっていく。母親もは驚きつつも、レオナールの美貌と紳士的な振る舞いにぼうっとしてしまっているようだ。
レオナールの話が終わったところで、それまでの表情から一変、眉間に皺を寄せた父親が口を開いた。
「しかし、そのようなことをしていただく理由もございません。何故うちのような田舎に──」
父親は明らかに都合のよすぎる提案に疑問を持ったようだ。
商才こそないものの、詐欺には遭わない程度の良識を持った父親にエリーゼはほっとする。
これならば結婚でエリーゼがここを離れても大丈夫だろう。
レオナールはちらりとエリーゼに目を向ける。ゆるりと目を細めた表情が、まるで愛しい人を見るかのようだった。
視線を両親に戻したレオナールは、覚悟を決めたようにまっすぐな目をしていた。
「大切な女性が困っていたら、駆けつけてでも助けてあげたいと思うのは当然です」
「ちょ……っ」
「な!?」
「まあ」
止めようとして失敗したエリーゼの声と、驚愕の顔をしている父親の叫び声、そして何故か頬を紅潮させて両手をぱんと打ち合わせた母親の声が重なる。
レオナールは苦笑して、エリーゼと繋いだままの手を見せつけるように持ち上げた。
「本当はこんな場ではなく、きちんとご自宅に伺ってご挨拶するつもりだったのですが。……先日、ようやく求婚を受けてもらったばかりなのです。私には悪い噂もありますから、なかなか信用してもらえなくて」
「その噂は……」
「子爵でしたらご存じでいらっしゃるかと思っていました。全て嫌がらせによるでまかせです。信じてもらいたいところですが、こればかりは証明しようにも……」
僅かに目を伏せて溜め息交じりに言うレオナールに、父親が言葉を詰まらせる。
流石公爵と言うべきか、レオナールの会話はここまで完璧だった。エリーゼが演じる必要など、全く無いほどに。
「公爵様には証明できないでしょうが、私は娘のことなら信頼しています」
そう思って気を抜いていたからだろうか。
レオナールの言う通り証明できないと思ったらしい父親は、エリーゼに聞くことにしたようだ。
「エリーゼは、公爵様のことを信用して、結婚しようと思ったのか?」