1章 突然の事件と求婚1
新連載を始めました。
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「船が奪われたですって!?」
アルヴィエ商会の商会長の娘であるエリーゼ・アルヴィエは、自身の執務室でローズブロンドの髪を振り乱して机を両手で叩いた。
ペリドットに似た黄緑色の瞳が眼鏡の奥で細められる。
報告に来た従業員が、ひぃと間の抜けた声を出して一歩下がった。
ああ、いけない。従業員を怯えさせたら余計に話が進まなくなってしまう。
エリーゼは努めて冷静に話の続きを促そうと深呼吸する。
「──……それで、被害状況は」
「被害に遭った船は五隻。従業員のほとんどは無事ですが、船長クラスが数名ずつ捕虜となっているようです。賊からの要求はまだありません」
「お父様には?」
「別の者が伝えております」
エリーゼは右手で眼鏡を押さえる。頭が沸騰したように熱かった。
落ち着かなければまともに事態を把握することもできないと分かっているのに、なかなか思うようにできそうにない。
「そう、ありがとう。……何かあればまた教えて」
逃げるようにエリーゼの前から去って行く従業員を見送って、エリーゼは机に突っ伏した。
アルヴィエ商会は、エリーゼの実家であるアルヴィエ子爵家が営んでいる商会だ。主に船を用いた貿易によって利益を出しており、他国の宝石や布を中心に扱っている。
ただ、船によって商品を運んでいるからこそ、海賊に狙われやすいという弱点があった。
これまでは被害に遭っても積み荷だけであることが多かったのだが、今回は船ごと、しかも五隻だ。船長クラスの人間ばかりが捕虜となっていることからも、本気でアルヴィエ商会を潰しに来たと考えるのが妥当だ。
過去に襲われたとき、本物だと嘘を吐いて事前に用意しておいた偽物の宝石を渡していたことがばれたのかもしれない。それともこれまでの圧力への報復だろうか。
「……いずれにせよ、目的はアルヴィエ商会を潰すことでしょうね」
高価な船が五隻も奪われたら、アルヴィエ商会の事業は次の瞬間行き詰まってしまうだろう。
注文が入っている品物がいくつもあるし、船がなければ事業は縮小しなければならない。奪われた積み荷も全て失うことになる。
海賊に逆らっても、船長クラスの貴重な従業員が殺されるだけだ。船が戻ってくるかも怪しい。
父親は、海賊の要求を全て呑むだろう。
呑んだところで、従業員が無事かも分からないが。
「ああ……なんてこと」
アルヴィエ子爵領は小さく王都からも離れているが、小さな港があることが強みだった。
本来子爵家に港がある領地など与えられるものではないのだが、元は平民として営んでいた商会が船貿易で大きな利益を上げていたことから、曾祖父が叙爵するとき、国王が商売をしやすいようにと便宜を図ってくれたのだ。
しかし王都から離れた港であるだけあって、海賊の被害も大きかった。
おそらく当時の国王は、海賊対策をさせるためにアルヴィエ子爵に港をくれたのだ。
曾祖父から爵位と商会を継いだエリーゼの祖父は、その思惑に気付きながらも、商会の利益と領地収入を使って全力で対策を行った。
その結果、昔と比べて民間人相手の海賊被害は激減したが、海賊からアルヴィエ商会への嫌がらせは増した、というのが現状である。
祖父亡き後、エリーゼの父親が商会長の座と子爵位を継いだ。
しかしエリーゼの父親は曾祖父や祖父と比べると気が弱く、人望はあるが商才はない。そこを海賊に狙われるかもしれないと、エリーゼにも分かっていた。
「だからって、こんなやり方」
かつて多大な利益を上げていたアルヴィエ商会は、今では通常の子爵家程度の財政状況になっている。船を五隻同時に買い直すことはできない。
海賊が従業員を殺してしまったら、家族への補償と新たな従業員の育成にも金と時間がかかってしまう。
それよりもずっと、エリーゼはいつもよくしてくれた彼等の命が失われるかもしれないということが辛くて苦しかった。
「王都の騎士に頼んでみる? でも私達のような田舎貴族、相手にしてくれもらえないわ。……冒険者に依頼するにしても、海賊相手に戦える人だとお金が」
手詰まりだ。
こんなことなら──。
「こんなことなら、私を高く買ってくれようとした成金の誰かと結婚しておくんだった……」
商会の仕事ばかりで年中分厚い眼鏡をかけている色気のないエリーゼでも、嫁に迎えたいという変わり者はこれまでに何人かいた。
金と引き換えで、全員エリーゼよりも随分と年上だったけれど。
父親はそこまで家は困っていないからと、彼等の申し出を全て断ってくれた。嫁いだ後、エリーゼが幸せになれないと分かっていたからだろう。
そのときにできた強気な態度を、商売にも活かすことができればよかったのに。
そもそも、それらの男性であっても現状はどうにもならない。
今のエリーゼが望む相手は、商会の従業員を取り戻すために騎士団を動かせるだけの力があって、かつ船を五隻買ってくれる人だ。
できれば海賊討伐の国への助力要求もしてくれると嬉しい。
「そう都合のいい人も現れないだろうし」
現実的に考えて、今そんな人が現れたら奇跡だ。
「お父様は駄目元で王都に早馬を出すのかしら……」
目の前が真っ暗で、これからどうなるかを考えると恐ろしい。
答えが見つからなくて、ぎゅっと強く目を瞑った。
「──じゃあ、俺と結婚しないか?」
一人きりだと思っていたエリーゼの執務室に、聞き慣れた声がした。