準備期間
無事、イーサンのご機嫌を損ねることなくお帰り願えた。
また来るね、今度は公爵家に遊びに来てと何度も言い残して去って行ったのには、曖昧な返事で返しておいた。
……ホイホイ遊びに行ける場所じゃないよ? 公爵家……。
不本意ながら、宝物のようにクッキーの包みを大事そうに抱えて馬車に乗ったイーサンに、きゅんとしてしまった。絶対に許さないと思った相手に。ホント不本意だけども。
「何をしに来たのか良くわからなかったわね」
馬車を見送ってホッとしたら思わず零れた言葉に、横でエリナが溜息をつく。
「強いて言うなら、お嬢様に花束を渡したかったというのが理由なのでしょうね」
「そんなの誰かに届けさせればいいのに」
もう一度エリナは溜息をついた。今度はちっちっ、と指を顔の前で振る仕草付きで。
「お嬢様はまだ子供でおわかりにならないかもしれませんが、婚約者に会いに来るのに特別な理由など必要ありませんよ。顔を見たい、声を聞きたいというのも立派な理由ですわ。それだけ愛されておいでなのですよ。めでたいことではありませんか」
ううっ。確かにそういうのはわかるけど。頭は子供じゃないもの。確かに以前の私なら愛する人の顔を見たい、束縛されても傍にいたいって思っていた時期もあったわけだし。
でも解せない。まだこの地点で私とイーサンが顔を合わせたのって、二回ほどだった気がする。十年も前のことだからいまいち記憶は曖昧だけど、公爵家のパーティにお父様について行った時に初めて出会って、次はもう婚約の発表された誕生日に。だからこれでまだ三回目のはずなのよ?
親密にお付き合いしたどころか、互いのこともまだよく知らない……まあ、私はこの後の十年の記憶があるにせよ……なのに、愛されてるとか言われてもねぇ。というか、できれば今回は愛されたくないし。
イーサンが私に異常なほど執着しはじめたのは学園生活からだと思っていたけど、今日改めてわかったのは、もうすでにこの頃からその兆しはあったのだということ。
なぜだろう? 彼が私のどこにそう愛を感じられるのか。それがわからない。
寝る前まで悶々と考えて、一つの仮説はたった。
それは、イーサンの意思と言うより、アレオン公爵……イーサンのお父上からの指示なのではないかという説だ。私を絶対に逃がすなという指示。
現皇帝には皇子が二人おいでだが、まだこの時期は正式に皇太子が決まっていなかった。
順当にいけば迷わず皇后様のお子である第一皇子で決まりなところ、皇子がちょっと性格に難ありで皇位を継ぐのはいかがかとの噂があった。
対して、側妃のお子である第二皇子は幼い頃から非常に優秀であったため、皇室、貴族社会で派閥争いが起こり始めたのがこの時期だったはずだ。
……当時はそんなこと、お子様の私には知る由も無かったことだけども。
丁度皇子達の歳の頃が私達に近くて、同時期に学園に通っていらっしゃったから覚えている。第一皇子がイーサンと同学年で、第二皇子が私と一緒だった。
第一皇子に関してはよく存じ上げなかったので、噂が本当だったのか定かではないものの、確かに第二皇子は学業も性格も容姿も全て完璧な、女生徒憧れの的だったわね。
皇后様がそもそも公爵の妹君なので、アレオン公爵は第一皇子派の代表だった。
今更ながら、イーサンって皇子の従弟だったのだと気が付いた。私ってそんなところに嫁に……は、今は置いといて。
で、第一皇子派は噂もあって少し分が悪い。貴族の社会では下に見られる武家は庶民からすれば人気が高い。というわけで、どの派閥にも属さない中立のこの侯爵家……帝国第一騎士団の団長であるお父様を抱き込みたいと思ったはず。そういう意味では、私達は政略結婚というわけだ。
まあね、丁度私達が結婚したころに、第一皇子が正式に皇太子になられたのは知っているのだけど。
そう言えば、第二皇子って卒業直後に亡くなったのよね。あんなに元気そうで人気者だったのに。
どうして亡くなったんだったっけ……と考えて、嫌な考えが過ってしまった。
私、同級生だったし。卒業パーティで、ひょっとしなくても第二皇子と踊ったかも。
―――いやいや、まさかね。うん、幾ら何でもイーサンもそこまでは―――。
ちょっと怖くなったので考えるのを止めにした。
とにかく、たぶんイーサンは家のために婚約者を逃がせないから私を気にしているだけだと思うのよね。
イーサンの訪問から三か月後。
「もっと背筋を伸ばして、足を開いて」
「はいっ!」
朝、侯爵家の中庭で、木の模造刀での素振りが、最近の私の日課となっている。
お父様が私につけてくれた剣術の先生は、騎士団のケビン・コーデラ様だ。そう、家庭教師のクリス先生のお兄様。コーデラ男爵家には何かとお世話になっている我が家である。
「アメリア様は筋がいいですね。もう少ししたら実戦でやってみましょう」
「わぁ、嬉しい。もっと精進しますね!」
前は知る由も無かったけれど、お父様とお母様から引き継いだ血か、私は剣士の才があるようだ。
そして、もう一人、同じドレストルの血を引く小さな剣士は……。
「えい! やぁ!」
まだ早いとの皆の声を押し切り、私と一緒に剣術の稽古を始めたフェリクスは天才だった。早くも私は抜き去られてしまったわ。これにはケビン様もお父様も驚いた。
今はケビン様が投げた布の球を木製の剣で薙ぐ練習をしているのだが、オチビの天才ぶりにお姉ちゃんはびっくりだ。私は時々まだ剣の平たい部分に当たってしまうことがあるのに、フェリクスは鋼の剣であったら半分にしてしまいそうなほど正確に当てている。
「ねえさま、僕じょうず?」
「うん、すごいわフェリクス。かっこいいわよ!」
褒めると、嬉しそうにますます励むフェリクスは、ホント素直でいい子。
「お子様達が有望で、団長も将来安泰ですね」
ケビン様はそうおっしゃるが……その将来を嘱望された息子がこの先どうなるか……。
いや、待って。フェリクスを今から鍛えて、自分の身は自分で守れる子にしておけば。あの不幸は起こらないかもしれない。
私も強くなる、フェリクスも。そしたら―――。
あれから、しばらくイーサンは連絡がない。恐らく来年学園に入る準備で忙しいのだろう。
「兄さん、そちらの訓練が終わったら、アメリア嬢は次はお勉強ですからそこそこにね」
屋敷の方からクリス先生の声がする。
勉強もバリバリこなして……まあ、まだ実は復習しているだけの状態なのだけど……私はもう同年代が習うレベル以上の内容を教わっている。前の生では女は賢くない方が可愛いという世論を信じてわりといい加減に流してきたのを後悔したから。
イーサンに頼って守られるだけの女じゃなくなれば、状況が変えられるかもしれないから。
これは大事な準備期間なのよ。
しばらくそんな平穏な日々が続いたある日。
「お嬢様にお手紙が届いておりますよ」
エリナが渡してくれた封筒には公爵家の印が。
「……お茶会の招待状ですって」
うわー。なんか嫌だな―――。