片鱗
いいお天気なので、まずは庭の四阿に用意されたテーブルセットでお茶にすることにした。
万が一に備え、エリナ達が屋敷の中もぴかぴかにしているも、残念ながら我がドレストル侯爵家の家具調度は貧相……いや、素朴な趣があって良いとも言えるのだが、公爵家のお方にはふさわしくない。
先代からの豪華な貴族らしい調度品や芸術品、絵画などは貧窮する領民のためにお父様が売りに出された結果なのだ。
昔はそんな事は知る由もなかったけれど、学園に入ってから他のもっと爵位の下の貴族の令嬢のお屋敷に招待された折、打ちのめされたこともあった。公爵家など更に絢爛豪華であった。
イーサンはそんなことで悪口を言ったりしないのは知っている。寧ろ、我が家を落ち着くからと気に入っていたくらいだ。だが、今は私はまだそのことを知らないはずの子供なのだ。
幸い、このドレストル家も庭だけはどこの貴族にも負けない。花の配置や生垣の形、噴水に至るアプローチのタイルの角度までも完璧に手入れされている。
この自慢の庭は、先代からずっと務めている庭師のマーティが守っている。エリナがお母様の代わりだとすれば、マーティはお爺様の代わりという立ち位置で、フェリクスもとても懐いている優しい老紳士。
丁度季節は小さな花々が咲き誇る春のはじめの青月。豪華な薔薇はまだだけど、青や白、桃色の可憐な花々が緑の植え込みと白いタイルに映えて爽やか。
「すばらしい庭だね」
案内する間、イーサンはご機嫌だ。
春の庭に舞い降りた花の妖精かと見間違わんばかりの、少年時代のイーサンに思わず見惚れる。優し気で穏やかな表情に、未来の狂気は見えない。
……素敵よね。ホント悔しいくらいに。
この頃は彼に会えるだけで幸せだった。大好きだった。
でも、もうこの人に恋をしてはいけないのだ。また好きになって、自分も愛されたら周りも自分も不幸になるのだから。
振り切るように、硬い口調で言ってみる。
「私、この庭が大好きなのです。ですからアレオン公子様にもぜひお見せしたくて」
「……ねぇ、アメリア嬢。その硬い呼び方やめない? 名前で呼んでよ。イーサンって」
「そんな失礼な事できませんわ」
「僕達、婚約者じゃない。失礼なんかじゃないから」
あ、ちょっとイラってしてる? まあそれが狙いなんだけどね。
「……では、イーサン様とお呼びすれば?」
「様もいらないけど……まあいいかな。じゃあ、僕も君をアメリアって呼ぶね」
このくらいで勘弁しておいていただきたい。
四阿の白いテーブルに、エリナがお茶を運んで来てくれて、ティータイム。
フルーツやクリームで飾られたお菓子がいつものティータイムの十倍くらい豪華。頑張ったわね、料理長。
カップを持つ仕草も優雅にお茶を飲もうとしたイーサンに、従者の声が掛かる。
「公子様、お毒見を……」
そう言いかけた従者に、ギッと鋭い視線を向けたイーサン。わぁ、私に向ける顔と全然違う表情にどきっとする。
あ、この従者よく一緒にいたわね。学園を卒業する前あたりまでだったかしら。私にハンカチを貸してくれたことがあったから覚えてる。そういえばいつの間にかいなくなってた。
「失礼だな。僕の婚約者のドレストル家の者が毒など盛るわけが無いだろう」
……内心、早速盛りたかったくらいですけどね……。
まあ確かに失礼といえばそうだわね。エリナや料理長にね。
「アメリアに謝罪しろ」
「申し訳ございません!」
可哀想に、従者は青い顔で私に頭を下げている。
「アメリアと二人きりで話をしたい。邪魔だから向こうへ行け」
厳しい口調で言われ、しょぼんとした従者はおずおずと下がる。可哀想になってちょっとだけフォローを入れてみる。
「彼はお仕事に忠実なのですわ。叱らないであげてください」
「優しいんだね、アメリアは」
どうでもいいけど、本当に従者と私に対する口調がころっと変わるのね……なんか怖いわよ、イーサン。
さて。二人きりで話とか言われても間が持たないだろうな……そう思っていたら、天使が降臨した。
「ねえさまー」
おお、フェリクスぅ。いいところに来てくれたわ。
エリナの仕業か、リボンタイでおめかししているのが超可愛い。お菓子につられてやって来たんだろうな。
ちら、と横目でイーサンをうかがうと、何となく不機嫌そうな顔に見えた。
邪魔者がいなくなったら新しい邪魔者が来たものね。
「こちらは、弟君かな?」
そうだ。そういえば婚約を発表した私の誕生日のパーティは、公爵家が用意してくれたサロンだった記憶がある。フェリクスはいなかったんだわ。
「フェリクス、公子様にご挨拶なさい」
「え、えと……公子さま、はじめまして。フェリクス・レム・ドレストルですっ」
噛まずに自分の名前をフルに言えたフェリクスはエライ! ぺこり、とお辞儀をして姉でもメロメロになる笑顔を向けられて、イーサンもちょっと表情がほころんだ。
まだ今は小さい子供に嫉妬するほどじゃなくてホッとしたわ。
「あの、フェリクスもご一緒しても?」
「もちろんだよ。将来僕にとっても弟になるのだもの」
……あなた、その弟を殺しましたよね……とは言えないけどね。
「おとうと?」
フェリクスにはまだ意味がわからないのか首を傾げている。
「そうだよ。君のお姉様と僕が結婚したら、僕は君のお兄さんになるんだ。だからお兄様って呼んでくれるかな?」
かなり気の早い話だけど、それを聞いてフェリクスはぱぁっと明るい顔になった。
「おにいさま、なるの?」
「そうだよ。フェリクス」
ニコニコ笑いあった天使さんと妖精さんは何か通じるところがあったようだ。そういえばイーサンは姉はいるけど弟が欲しかったと言っていたし、フェリクスもお兄ちゃんがいたらよかったって言っていたことがあったわね。
……まあ、その弟を殺したんだけどね。大事な事だから二回目だけど。
二人きりだとどうしようと思っていたのが、天使ちゃんのおかげで思いがけず楽しいティータイムになった。
最先端のお菓子もよく知っているだろう公爵家のイーサンは、飾り気もない素朴なクッキーが一番お気に召したようで、持って帰っていいかなと言ったので、厨房にお土産にと頼んでおいた。
イーサンもフェリクスにお菓子を食べさせたり、話をしたりと楽しそうで幸いだ。内心は邪魔だなと思っていたのかもしれないけれど。
フェリクスはお昼寝タイムが近づき、眠そうになって来たのでここで退散する。
「すみません、ちょっとこの子を部屋に置いてきますね」
「僕も行こうか?」
「すぐに戻って参りますのでお待ちください」
手を繋いで行く途中、フェリクスが振り返ってイーサンに手を振った。
「ばいばい、おにいさま」
「また遊ぼうね、フェリクス」
イーサンも手を振り返してくれたけれど、その目は酷く冷めていたように見えたのは気のせいだろうか。
フェリクスを屋敷に送って、お土産に先ほど気に入っていたクッキーを包んでもらったのを持ってイーサンの元に慌てて戻る。
いかに敵とはいえ、あまり一人にしておくのも失礼だものね。
彼の姿は四阿の外にあった。静かに立っているのでは無く、激しく動いている。
何やら彼は地面を見ながら足をダンダンと叩きつけていた。
地団太でも踏んでる? それにしてはすごく楽しそう。何かを踏みつけてる?
「何をしてらっしゃるの?」
「アメリア、この庭が大好きだって言ってたでしょう? なのにアリごときが行列で横切ってたから殺してあげてたんだよ」
さも褒めてと言わんばかりに、笑顔で言うイーサンにぞっとした。
殺してあげてた?
まだ十二歳。子供特有の残酷性と言ってしまえばそれまでだ。
でもこの先歪んだ愛情しか持てない狂人の片鱗を、この頃から覗かせていたのだと思うと背筋が寒くなる。
「そんな可哀想なことをなさらないで。こんな小さな虫でも一生懸命生きているんです。命を奪わなくてもほら、こうやって……」
タイルの脇の芝生の上に、持っていたクッキーを砕いて欠片を置くと、アリの行列は向きを変えてそちらの方に向かった。
「わぁ、すごい」
「アリもよく見れば可愛いではありませんか。ほら、自分より大きなものを運ぶんですよ」
「本当だ。ごめんね、アリさん達」
こういうところは素直でいい子なんだけどな……。
イーサンはしばらくしゃがみこんでアリを見つめてから、私にくるっと向き直って笑った。
「やっぱり素敵だね、アメリアは」
「そんなことはありませんわ。優しいはずの公子様が無駄な殺生をなさるのを見るに忍びなかっただけです」
思い切り皮肉を込めて言ってやったが、どうせイーサンには響かない言葉だろうな。というか、アリどころかペットを一番可愛い姿の時に剝製にしたり、人を殺すのもなんとも思わない人間だもの。
まあ、まだ今はそこまででは無いのだろうけど……。
気が付けば晴れていた空に暗雲が掛かりはじめた。まるで、私の心を映すかのように。
「公子様、そろそろお戻りになりませんか? 雨が来るかもしれません」
「そうだね。それより、どうして名前で呼んでくれないのかな。なんだか余所余所しいよね」
今気が付いたか。わざとですもの。
距離をとって、一緒に庭を歩いていると、イーサンがぽつりと零した。
「なんだか、アメリアが変わったみたいな気がする」
よしよし。わかってくれたのかな。思ってたのと違うって婚約破棄してくれていいのよ?
「どんな風に変わりました?」
「……守ってあげたいような子だったのに、僕より大人っぽいというか」
鋭いわね。そうよ、中身はあなたより年上だもの。
「がっかりなさいました?」
「ううん、そんなアメリアも素敵だと思うよ。ますます好きになっちゃうかな」
好きになってくれなくていいから! 嫌いになってくれたらいいのに。