子犬
そういえば、前世でもイーサンがいつ頃レニを飼っていたのか私は知らない。
結婚して公爵家の屋敷に住むようになって、あのイーサンの愛したもの達がコレクションしてある秘密の部屋に初めて招かれた時に、あまりに愛らしいので目を奪われたのが最初の出会いだった。つまりは既に剥製になった状態だったのだ。
「可愛いだろ? レニは人懐っこくてとてもいい子でね、僕にとっても、すごく大事な存在だった。死んでしまっても寂しくないように、一番可愛い頃の姿でずっと傍にいてくれるんだよ」
とても愛おしそうに撫でながら言うものだから、ああ、この人はこの子犬をとても大事に可愛がっていたんだな、死んでも愛犬を傍に置いておくなんて優しいな……と思ったものよ。最初はね。
でも前世の私に問いたい。なぜ最初から疑問を持たなかったのかと。
犬はすぐに、それこそ数か月もあれば大きくなるわ。子犬のままの姿だということは、そう長くは飼っていなかったということに。ホントバカだった。
「時間が君の美しさを奪ってゆくことすら、僕は許せない」
あの時、彼は私にそう言った。そして私の時を止めたのだ。あの部屋の他のコレクション達も、まだ寿命があったにも関わらず、イーサンの手によって一番いい時にその時間を止められたのだろう。
残酷だよね。でもそれを本人が悪い事だと露ほども思っていなかったのが、より残酷だったと思う。
今度は、この三年間だけでも前とは随分違う流れで来た。あの狂気とも呼べる執着も、今のところは牙を剥く気配は無い。だけどこのまま健全に育ってゆくという確証も無いけど……大丈夫だと思う。
まだよ、まだそうだと決まったわけじゃない。レニはもう少し大きかった。それにもっと真っ白だったわ。似ているだけで、全然違う犬なのかも―――。
「ふふっ、くすぐったい」
思わず考え込んでしまった私を引き戻したのは、イーサンの笑い声だった。
知らぬ間に、子犬はタス様の手からイーサンの腕の中に移っていた。可愛い子犬に頬を舐められて、イーサンはご機嫌のご様子。
「とっても人懐っこい子だね。可愛いな」
優し気な美貌の公子様と愛らしい子犬の組み合わせって、うっとりするほど最強の素晴らしい眺めだわ……じゃなくって!
「あ、あの、公子様……汚れておりますし、野良犬だったら何か病気を持っているかもしれませんので、噛まれでもしたら……」
そうそう、それ! タス様の言う通りだ。多分、この子犬は、夕食やさっき舐めてたキャンディの匂いを嗅ぎつけてイーサンを舐めてるのだと思うの。お腹が空いてるみたい。
タス様が慌てまくって奪い返そうとしているが、イーサンは離そうとしない。前世でも基本小動物は好きだったものね。剥製にしてコレクションしちゃう歪んだ愛情だったけど。
「大丈夫だよ。ほら、アメリアも撫でてみる?」
ううっ、私も動物は嫌いじゃ無いけど……。
イーサンが私の方に差し出しても、子犬は逃げるでもなく私の顔を見て首を傾げる。その仕草は反則でしょ? 可愛すぎるじゃないの。
そっと手を伸ばして頭を撫でると、柔らかい毛は予想以上に気持ち良かった。
「ふわふわ。なんて可愛いのかしら」
思わず言っちゃってから、イーサンの顔を覗くと満足げな表情。私も気に入ったと思ったんだろう。
そして彼は言う。
「この子、連れて帰っちゃ駄目かな? アメリアと僕で育てようよ」
ほら来た。絶対に言うと思ったのよね。
イーサンは忘れてるんじゃない? 私達は学生で寮住まいだということを。
「で、でも、学園の寮には連れて帰れませんよ?」
「それ以前に、これだけ人懐っこいということは誰かの飼い犬とも考えられます。野犬でもまだこのように幼い子ですから母犬が探しているかもしれません。少し周囲の人に聞いてみましょう」
さすがは年長のタス様、ご尤もなご意見をありがとう。そうよね、誰かの犬かもしれないし。
辺りの人や露店の店主達に、心当たりが無いか聞いて回ったけど、誰も自分や知り合いの犬だとも言わなかったし、探している人もいなかった。管理の行き届いたこの街では、飼い犬には首輪をつける決まりがあり、首輪をしていない犬は役人が捕まえるので、野犬はそもそもいないとのこと。子連れの野犬などいれば誰かが覚えているはずだから、そっちの線も無さそう。
ただ、布屋のおじさんが気になる情報をくれた。
「たまに子が生まれても飼いきれなくて、小さいうちに捨てに来る不届き者がいてね。子犬だったら放っておけば死ぬし、可愛けりゃ運よく拾われることもある。それに首輪をしていないと役人が連れて行ってくれるからね。大きな声じゃ言えないが、そういうことをするのは大抵他所の街のお貴族様さ」
……これは捨て犬で確定ね。人を怖がらないのは飼われていた証拠だし、隠されたように茂みの中にいた。まだヨチヨチ歩きがやっとの子犬が自分で隠れるとも思えない。
その子犬は、聞き込みの最中に露店のおばさんが分けてくれたミルクを一心不乱に舐めている。
「相当お腹を空かせてたんだね。可哀想に」
「捨てられていたとわかっては、放ってはおけませんよね……」
こんな小さな子、もし置いて帰ったらすぐに死んでしまうわ。役人に捕まるかもしれない。
だけど、さすがに寮では飼えないし、どうしたらいいのかしら。
私とイーサンが考え込んでいると、タス様が溜息交じりに困った顔で呟く。
「もう、連れて帰るしか無いでしょうね」
「飼ってもいいの?」
イーサンの表情がぱぁっと明るくなった。
「ただし寮では飼えませんので、俺が屋敷の方へ連れて行って世話します」
そう言って、タス様はそっと子犬を抱き上げた。何だかんだでこの人も犬が好きなんだね。
私としては動かぬ剥製の姿がちらちらと思い出されて、イーサンが子犬を飼うことは些か不安なのだけど、思っていたより時期が早いのと、タス様が世話をしてくれるなら大丈夫かもしれないと思うことにした。
「洗ってやって綺麗にしておきますので放課後にでも様子を見にいらしては?」
「そうだね。頼むよ」
ミルクをもらって満たされたのか、子犬は大きな欠伸の後眠ってしまった。無垢な寝顔が愛らしくて、余計に胸が痛かった。
そして翌日。
昨夜お土産の飴を渡すとご機嫌が直ったユーグ皇子達を振り切り、授業が終わると速攻でアレオン家の別宅に向かったイーサンと私。
屋敷のドアを開けた瞬間に、駆け寄って来るヨチヨチ歩きの姿。明るい所で見るとものすごく可愛い。煤けていた毛は真っ白で、まるでふわふわの綿毛みたい。
綺麗に洗ってもらってミルクをお腹いっぱいもらったからか、昨夜より元気そうに見えた子犬は、真っすぐにイーサンの元に来た。ちゃんと覚えてたんだね。
「拾った以上は責任を持って飼いませんとね。名前も付けてやってください」
そう言ったタス様の手には、赤い首輪が握られている。イーサンが子犬に名前を付けたらその名前を書いてつけるみたい。この街では飼い犬には首輪が必須だって言ってたものね。
うーん、としばらく考え込んだあと、イーサンは一つの名前を口にした。
「レニはどう?」
―――ああ。やっぱりこの子犬はあのレニなんだね。
暗い気持ちになりかけたけれど、何とか顔には出さないように堪える。
気持ちを紛らわせようと、イーサンに名づけの意図を聞いてみた。実は前から気になっていたのだ。
「レニって雪の精霊の名前ですよね? 真っ白で雪みたいだから?」
「うん。単純かな? 他の名前の方がいい?」
そりゃ、その名前の子犬の行く末を知っているだけに、違う方がいいとは思うけど……。
あっ、でも待って?
もしレニが子犬のまま時を止めず、このまま無事に大きくなれたなら、完全に未来が変わるってことよね? この先のエリナやフェリクスの不幸も、ひいては私の最後も……。
これはある意味で希望の一歩なのかもしれない。ここまでいっぱい変えて来たじゃない。イーサンだって変わった。だったらレニという子犬の未来も変わったかもしれないじゃない。
「いいえ。とってもいい名前だと思います」
私が肯定すると、イーサンは子犬を高く抱き上げて高らかに告げる。
「よし、今日から君の名前はレニだよ。レニ」
「あんっ!」
まるで言葉がわかっていて、返事をするかのようなタイミングで声を上げた子犬。名前をつけてもらったのが嬉しそうに見えるのは気のせいかな。
「レニは本当に小さくて可愛いね」
高く抱き上げていても、重さも感じさせない小さな子犬。
「でも犬はすぐに大きくなりますよ。可愛い時期はすぐに終わりです。こいつも大きな足をしておりますから、相当大きくなるでしょうね」
タス様っ! そういうこと言っちゃダメだってば! ホントのことなんだけど!
「そうか……ずっとこのままならいいのにね」
ダメよ。だからって可愛いうちに時間を止めようなんて思わせちゃ。
そこで私は本で読んだ知識を振り絞っていかにもな事を言ってみる。
「精霊のレニは真っ白で美しい大きな狼の姿だと言われていますよね。きっとこの子も大きくなったらそんな感じになるんじゃないでしょうか。私は大きくなった姿も楽しみです」
「真っ白の狼か。それは素敵だろうね。僕も待ち遠しいな」
よしよし。イーサンもこれで子犬のまま時間を止めたりしないよ。
無事に大きくおなり、レニ。




