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幸せだった頃


「ねえさま?」

 ああ、フェリクスが可愛い。

 フェリクスは私の実の弟。

 お母様に似た淡い金色の巻き毛に、色の薄い青い目の天使ちゃん。私より四つ下だから六つ? ううん、この子は誕生日が赤月だからまだ五つか。こんなに可愛かったのね。

 何がどうなって時が戻ったのかはわからないけど、もう会えないと思っていたエリナやフェリクスに会えただけでも神に感謝したい。

 こんなに可愛い子が九年後……たった十五で亡くなるなんて。

 思わず小さな体を抱きしめて柔らかい髪を撫でまわしていると、くりくりした愛らしい目でフェリクスが私を見上げる。

「どうしたの? ねえさま。泣いてるの?」

「フェリクスにまた会えて嬉しいの」

「昨日もその前も会ったよ?」

 そうか。戻ったのは私の意識だけだから、ここまでずっと一緒にいたのよね。

「あ、でも僕も今日もねえさまに会えてうれしいかな」

 はにかんだ笑みを浮かべるフェリクスにきゅんとした。

 うあああぁ……ホントに天使。なんていい子。

「さあ、お嬢様もお坊ちゃまも朝食にいたしましょう」

 エリナの優しい声と、食欲をそそるいい匂い。

「僕、おなかぺこぺこぉ」

 フェリクスの可愛い声。

「そうね。ごめんね、寝坊して待たせて」

 久しぶりに美味しい朝食を笑顔で食べた気がした。

 お父様は早くにお出かけになって会えなかったけれど、午前中はフェリクスと庭を散歩したり、本を読み聞かせてあげたり……私にもこんなにも穏やかで幸せな頃があったんだなとしみじみと思った。

 遠い記憶の中にあるままの、穏やかで温かい家。

 私が十歳の時に婚約し、十七になった年に私はイーサンの家に正式に嫁いだ。だから頭の中では三年ぶりの実家だ。途中何度かここへ帰ったのはお葬式や良くない事ばかりだった。

 ……帰って来たんだという安心感と、漠然とした不安と。

 もう一度、()()を繰り返すだけだったらどうしよう。

 まだ五歳のフェリクスは、昼食後にお昼寝をしてしまった。その穏やかな寝顔を見ていて、思い出したことがある。

 そういえば、フェリクスの死因が何だったのか、はっきりとはわからず終いだった。事故と処理されたけれど、いくら体がそう丈夫で無かったとはいえ、乗馬の途中で突然意識を失って馬から落ちることがあるかしら。幼い頃から乗馬は得意な子だったのに。

 病死とされたエリナにも不審なところがあった。血を吐いて倒れる前日まで普通に私やフェリクスの世話を焼いて、元気に屋敷内の仕事もしていたのに。倒れて僅か三日で亡くなったわ。

 今思い返せば、エリナが倒れた直前に屋敷に来ていたのはイーサンだった。更に言えば、フェリクスを乗馬会に誘ったのもイーサンじゃなかったかしら。

 恋に盲目になっていた過去……いえ、未来の私は無条件にイーサンのことを信じていたから不審に思わなかったけれど、実際虫も殺さぬような優しい顔で、何をやるかわからないと知ってしまった今なら、二人がイーサンに殺されたのではないかと思える。


『僕から君を奪おうとする者は沢山排除してきた』


 そう言ったわよね?

 私に好意的な目を向ける相手、話しかける人間には容赦無かったもの。私に落とし物を渡しただけの四・五歳の男の子にすら嫉妬した男だ。ほとんど親と言っていい乳母やお姉ちゃんっ子だった実の弟だって彼からしたら排除の対象だったのかもしれない。

 ああ、そうか!

 せっかくまだ皆が生きている十年も前に戻ったんだもの。今度こそこの愛すべき人達を失わないよう、未来を変えられるかもしれない。いえ、変えてみせる!

 まずイーサンと婚約しなきゃいいのでは?

 それで全てまるっと解決じゃない!

 私も今度こそもうちょっとまともな精神の持ち主と……と、思った瞬間、その決意はエリナの言葉によって瞬殺で打ち砕かれた。

「そうそう、お嬢様にお伝えするのを忘れておりました。先日婚約されたアレオン公爵家のイーサン公子様が明日おみえになるそうです」

 ……うっ。

 もう婚約しちゃってるじゃない!

 そういえば私の十の誕生日のパーティで皆にお披露目されたんだった!

 お父様はあまり乗り気では無かったものの、相手が皇室にも縁ある公爵家だからなぁ……お母様の実家とも縁がある。先方から申し込まれては断りようが無いだろう。

 我がドレストル家は、侯爵とは言っても代々優秀な騎士を輩出している武家だ。社交界では武家は結構肩身が狭いのだ。

 それにウチは清貧を良しとする武家らしくといえば聞こえはいいが、はっきり言って貧乏。領地では近年度々川が氾濫し、困っている領民から税は取れぬと、お父様は先代が築いた資産を切り崩している状態。この屋敷に必要最低限の使用人しかいないのもそのせいだ。そんなウチが、帝国の実権を握っていると言っても過言ではないアレオン公爵家の後ろ盾を得ることが出来るなら、断る道理がない。

 こういう大人の事情は大きくなってから知ったことだし、まあ玉の輿といえばそうなんだけど……。

 せっかくやり直せると思ったのに! どうせならもっと前に戻りたかった。せめてあと五日くらいでいいから。神様の意地悪。

 そんな私の思いは顔に出ていたのか、エリナが心配そうに聞く。

「お嬢様、嬉しくないのですか?」

 正直これっぽっちも嬉しくない。だけど、エリナを心配させるのも嫌だし、私の中身が大人だということを気付かれてはいけない。

「そ、そんなことは無いわ。婚約者ですもの」

「公子様、本当に優しげで品のある方ですよね。頭もとてもよろしいそうですし。きっと大人になられたらそれは素敵な紳士におなりですわよ」

 うっとりしたようにエリナは言う。

 ええ。その公子様は頭が良くて、それはお美しくて外面のよい紳士に育ちましたよ。内面はドロドロと嫉妬深い狂紳士でしたけど。あなたも殺されるかもしれないのよ、エリナ。

 でも、そうよね……婚約は避けようが無かった。

 十年も前で今一つ記憶は曖昧だけど、この頃私は家の事情などよくわかっていなかったにも関わらず、婚約した事実を非常に喜んでいたと思う。初めてイーサンを紹介されたとき、一目惚れしたのは寧ろ私の方では無かっただろうか。

 いつから、些細なことで嫉妬するほどイーサンが私に執着するようになったのかしら。

 私は自分で言うのもなんだけど、美しかった母と美丈夫と名高い父から血を受け継いだおかげもあって、容姿には恵まれて生まれたと思う。とはいえ、他の見目麗しいご令嬢達と比べて抜きんでているとは言えない。どちらかといえば地味。頭も性格もまあ普通と自覚している。

 こんな私のどこに、あそこまで執着できる要素があったのか……それがわかれば、少しは未来を変えられるのでは?

 普通と言える範囲内だったら、イーサンをここまで憎むことも無かっただろう。愛されてはいたわけだし、私も彼のことは間違いなく好きだった。それでも限度というものがある。他人を不幸にしてまで、最後には完全に私を自分だけのものにするために命まで奪うというのは完全におかしい。

 まだ最悪の結末を迎えるまで十年、結婚するまで七年ある。いや、まずエリナが不審な死を遂げるまでだと六年か。

 六年。その間に状況を変えなきゃ―――。


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