水流
フェリクスの誕生祝いの後、しばらく日々は平穏に流れた。
暑い季節も過ぎ、実りの季節も過ぎて風に冬の冷たさを感じ始めたころ。
「りりりりっ」
イーサンにもらった小鳥のツェリは予想以上によく懐き、手乗りの小鳥に進化していた。今はフェリクスの頭の上で優雅に囀っている。
「すごいわね。ツェリも賢いけどフェリクスが偉いわ。根気よくお世話をして可愛がってあげているからよ」
「ツェリがおりこうさんなんだよ」
籠から出すのはフェリクスがいる時だけ、部屋の中限定、窓は開けない、万が一に備えて風切り羽を切る……という制約はあるものの、鳥籠に入れっぱなしの鳥より随分のびのびしている。
部屋の中だけでも、自由に飛び回る姿を見たら私も少し勇気がもらえる。
私とフェリクスは剣の稽古を続けている。十歳の女の子の体では限界もあるけれど、数か月で私も結構力もついたし真剣を振れるくらいにはなった。フェリクスはまだ小さいので木の剣とはいえ、お父様も驚くほど正確に剣を振るう。それに体が随分丈夫になった。前は食も細くて体が弱く寝込むことがしばしばあったのが、今回は風邪もひかない。よく動いてよく食べるからだろう。
お父様はここしばらく屋敷に帰って来られない。もう二週間ほどになるだろうか。
帝国の南の国境付近に魔獣の群れが現れ、幾つかの村に被害が出た。数が多くて辺境警備の兵では手に負えず、皇帝が帝国騎士団を遣わされたのだ。そんなわけで師匠のケビン様もおみえにならない。
この騎士団の遠征は前世でもこの時期にあったのを覚えている。凱旋まで一月ほどかかった。当時はお父様が無事帰られるか気を揉んで大変だったけど、怪我も無く帰られたのを知っているので今度はそう心配はしない。
「帰って来るまで毎日素振りを欠かさないように。サボるとすぐにわかりますよ」
そうケビン様に宿題も出されているので、姉弟で朝練は欠かさない。そして……。
「侯爵の留守中、アメリア達の安全は僕が守るからね」
そういいつつイーサンもほぼ毎日一緒になって剣の稽古をしているのですが?
これは前世の騎士団の遠征の時には無かった展開だ。
いえ、公子様に守って頂かなくともドレストル家は私達で守れますので。正直迷惑……とは面と向かって言えないので、仕方無く一緒に素振りをしておりますよ。
稽古のあと一緒に朝食を摂るのも日課。なぜか三日目くらいから従者のタス様も一緒なので、食卓は賑やか。そもそも人も少ないウチでは、使用人であろうと関係なく一緒に食事をすることもあるくらいだから、高貴な公子様であろうとこちらのルールに従っていただく。
まあ、イーサンは特に気にしていないどころか嬉しそうだけど。
前世ではフェリクス同様食の細かったイーサンも育ちざかりらしい気持ちのいい食べっぷり。こちらも体をよく動かすからだろう。これはいい傾向だと思う。
「エリナのパンが美味しすぎて、最近公爵家のが味気なく感じるんだ」
「あらまあ、公子様ったら。お世辞がお上手ですこと」
「いや、お世辞じゃなくて本当っすよ。俺も思いますもん」
タス様まで言うものだから、エリナは照れながらも嬉しくて仕方が無い様子。
侯爵家の料理長も腕がいいものの、パンだけはいつもエリナが生地を捏ねる。小さい時から食べ慣れているから特別だと気が付かなかったけど、学園の寮に入った時に私も特別だったんだと実感したことがある。材料は普通なのにエリナのパンはホントに美味しいもの。
まあこの場合、一番の理由は体を動かしてお腹が空いているからだと思うよ。
更に、イーサンが美味しいと感じるのはそれだけじゃないだろう。
「みんなでいっしょ、楽しいね」
片頬をパンで栗鼠みたいに膨らませたフェリクスが言うように、皆でわいわい言いながら食べるからもあるんじゃないかな。
アレオン公爵家でイーサンは決して愛されていないわけでは無いと思う。それでもなぜか食事は一緒じゃないらしい。厳格に身分が分けられているからウチのように使用人や従者と共にともいかない。それに仮にも皇妃の甥っ子で皇子の従弟なわけで、いつ命を狙われるかもわからない身。常に食事は毒見を経てからしか口に入らない。冷めてしまってから、子供がたった一人で食べる料理ほど味気ないものは無いだろう。周りに何人立っていようと……いや、逆に共に食事をするでもない人達がいるだけの方が、一層孤独感が増すのではあるまいか。
そういう積み重ねがじわじわと心を蝕んで行ったのかもしれないね。
結婚してイーサンが最初に一番こだわったのも、必ず食事を一緒に摂ることだった。今思えば幼少期に孤独を感じていたからだったのだろう。当時は今日誰に会ったとか、誰と話したとか事細かに聞かれて私にとっては辟易するだけの時間だったけど。
そんな私の様々な考察とは全く意見の人もいるようで。
「ふふ。公子様はアメリアお嬢様とご一緒だから余計に美味しく感じるのではございませんか?」
おーい、エリナってば。
「そうか! そうかもしれない」
……そしてイーサンも、ものすごい事に気が付いたみたいな顔をしないでよ。
「でも、もうすぐこうして愛しいアメリアと一緒に稽古をしたり、美味しい朝食を食べるのも出来なくなるな」
しれっと愛しいとか言っちゃってるのはどうかと思うけど、しゅんと寂しそうな表情になったのを見て、少し胸がきゅっとなった。そうか、いよいよ……。
「三月後でしたか? 学園の寮に入られるのは」
「うん。授業が始まるのは年明けの紫月からだから寮に入るまでに三月あるけど、その前に準備のため学園の近くの屋敷で過ごすことになってる。だからもう二月も無いよ」
あっ……そういえば学園の近くにもアレオン家の小さな……ウチよりは余程豪華だけど……お屋敷があったわね。従者は寮に入れないから、タス様がそこから通っておいでだった。それに長期休みには本宅で無くよくそこへ帰っていたのを覚えている。まあ休みには主にこのドレストルの屋敷に来てたけど。
そうか、もうあと二月なんだ。
イーサンと離れられるとわかったら絶対に嬉しいだろうなと思っていたのに、なぜか私はそんなに喜べなかった。寂しいとかじゃなく、目を離してはいけない気がするから。
ますます孤独になっちゃうんじゃないかな、イーサン……また拗らせたらどうしよう。
「そんなに早くですか? 一人で?」
「一人じゃないよ。タスも一緒だし、使用人も何人かいる」
「それでもご家族と離れるのは寂しくないですか?」
「母上達と一緒の方が……いや、それより僕はアメリアと会う機会が減る方が寂しいよ」
今、何か言いかけてやめたよね。お母上達と一緒の方が寂しいって言いかけた? すごく気にはなるけど、本人がやめたのだから、追及してはいけないところなのだろう。
「まだ二月は私ともこうして会えるじゃないですか。それに学園が始まってもお休みには会えます」
「そうだよね。まだ会えるものね」
やっとイーサンに少し明るい表情が戻ったのもつかの間。
「でもあまり毎朝早くにこうして抜け出していると、幾ら公爵閣下が無関心でもそろそろ制止が入りそう……あ、いえ。何でもっ」
タス様が皆まで言わせてもらえずに口籠った。イーサンに思いっきり冷たい目で睨まれたから。
まあ、ほとんど聞こえちゃったけどね。ふうん、毎朝内緒で抜け出して来てたんだ。
そうよね、ウチは帝都の中心の公爵家からは近いとは言えないし、夜も明けきらない時間に出ないと朝食前の朝練に間に合わない。そもそもイーサンが剣術をやることを、公爵夫妻は歓迎していないらしいから、なかなかお許しは出ないだろう。
やっとほんの少しずつでも前よりはイーサンが身も心も健全に育ちつつあるのに勿体無い。せめて行ってしまうまでの二月くらいは何とか下地を作っておきたいのよね。
あ、そうだ。
「じゃあ、朝練じゃなく、昼間にちゃんと公爵閣下にお許しを得ておいでになればいいじゃないですか。そうですね……私に勉強を教えるという名目ででも? それだったらお許しいただけませんか?」
「確かにそれなら許してもらえそうだけど……僕はアメリア達と剣の練習をしたい」
「私、名目はって言いましたよね。来ちゃえばご両親には見えません」
別に朝早くに剣の練習をしなくても、こちらが順番を変えればいい。家庭教師のクリス先生も融通をきかせてくれるはず。
それを聞いて、イーサンはぱっと明るい顔になった。タス様もだ。
「やっぱりアメリアはすごいよ」
「侯爵令嬢は知恵の回るお方ですね。とても十とは思えません」
まあ中身は二十歳ですから。
きっとタス様はちょっぴり朝寝坊が出来るのが嬉しいんだろうけどね。バレないように気を遣ってただろうし。
「ふふ、では今度からお昼をご用意いたしましょうね」
エリナも喜んでるし、あとしばらくはお付き合いいたしましょう。
ここまで随分と色々前回とは違うことばかり。いじめられなかったお茶会デビューにはじまり、剣の稽古も、フェリクスの誕生日祝いも、こうしてイーサンと一緒に食事をしたり。
水の流れに例えるならば、確実に前とは流れが違う。
だけど……これがまったく違った方へ流れているのか、それともいずれは海に出る川の流れのように、結局前と同じ終着点に流れ着くのかはまだわからない。




