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プロローグ


 怖い、怖い……誰か助けて。


 ほっそりした美しい指が、うっとりするほど優しく頬を撫でる。だけど……。

「大丈夫だよアメリア。僕が君を嫌いになる事なんか無い。君に出会ったその日から、僕は君以外どうだっていいくらいに愛してるのを知ってるでしょ? 君は僕の運命だもの。命をかけて君をずっと大事にしてあげるって約束したじゃない」

 これ以上無いくらい甘い愛の言葉にも聞こえるけれど、私は恐ろしくて声も出せずに震えるしかない。

 愛を語る彼は、私の両手両足を縛ってベッドに横たえ、その上に馬乗りになって見下ろしているのだから。

「ねぇ、アメリア。本当に君の事が好き。髪の一筋、涙の一粒、その桃色の唇から洩れる吐息すら全て、僕の物であって欲しい。僕がこんなに君の事を愛しているのに、どうして君はわかってくれないの?」

 冴え冴えと狂気を孕んだ青い瞳が上から私を覗きこんでいる。顔を逸らしたくても、手で頬を固定されていては逃れられない。

「わ……私もあなたの事が好きよ、イーサン。だから放して」

 言ってはみたけれど、もちろん彼は上からどかないし、戒めも外してはくれない。

 彼が私を拘束して責める理由はなんとなくわかってはいるのだ。でも、私は浮気をしたわけでもなんでもない、ほんの些細なことだというのに。

「僕以外の男と喋っちゃ駄目だって言ったよね。ましてや微笑みかけるなんて」

「男って、まだ小さな子供よ? 私が落とした扇を拾ってくれただけなの。子供が親切にしてくれたら、微笑んでお礼を言うのは普通じゃないの?」

 私は間違っていないはず。それでも彼はおかしくなるほど嫉妬する。

「子供でもね、男だから。あと何年かしたら君の事を奪いに来るかもしれない僕の敵」

 ――――この人は狂ってる。

 イーサンは嫉妬深いとか、独占欲が強いとか、もうそんな生易しいものじゃない。

 私が彼以外の男性に視線を向けただけでも駄目なのだ。

 もっと早くに気が付けばよかった。なぜ私は逃げなかったの?

 この人が狂っているのだと気がつける機会はもっとあったはずなのに。

 私も間違い無く彼を愛していた。だから彼の嫌がる事はしたくないと盲目的に信じて来た。

 今までだってずっと、男性に話しかけられただけでも私が責められたじゃない。幾ら婚約者でも束縛しすぎではと思いこそすれ、愛されている証拠だからと自分に言い聞かせて来た。結婚してここ二年ほどは妻を大事にしてくれているのだからと納得しようともした。

 ……でももう限界。まさか彼の嫉妬が年端もいかない子供にまで向けられるなんて。

 そして逃げられる機会を、私は既に逃してしまった。

 ふと、目を横にやると、白いフワフワの子犬と目が合った。

 イーサンの愛犬だった(・・・)レニ。どうして死んでしまったのかはわからないけれど、今は剥製になってずっと一番可愛い盛りの姿を留めている。

 レニだけじゃない。緑の羽根が印象的な小鳥はもう美しい声で謳わない。黒い見事な毛並みの猫も、小首を傾げた可愛いポーズのままで、くりくりした目は瞬きもしないし、にゃぁとも鳴かない。ただ生きていた時の姿のままそこにいるだけ。

 彼の愛するものは皆、時を止めてこの部屋で永遠に彼の傍に居続ける。

「今まで僕から君を奪おうとする者は沢山排除してきたけれど、面倒だよね。だからもう僕以外の人間に、君の声も視線も向けられないようにするしか無い。可愛い可愛い僕のアメリア。時間が君の美しさを奪ってゆくことすら、僕は許せないもの」

 イーサンはいつの間にか手に注射器を持っている。紫に透き通った液体は不吉な色。

 照明に銀の針がキラリと光るのを見た瞬間、私は恐ろしさに気が遠くなった。

 ああ――――ついに私もレニ達と同じように――――?

「い、嫌……放して」

 必死に抵抗しても、手足の拘束で逃げられないし、跨ったイーサンはどいてくれない。

 覗きこむその美しい顔は少し上気し、瞳は潤んでいる。なにより、天使とはこういうものなのだろうと思えるほどの至上の微笑みを湛えているのが一番怖い。

 この人には悪意の欠片も無いのだ。迷いも無く、これが正しいと思っている事が怖い。

「心配しないで。その瞳と全く同じ色の極上のガラスを嵌めてあげるね。毎日その髪に櫛を入れて、綺麗なドレスや宝石で飾ってあげようね。何度だってくちづけしてあげるね。愛してる、本当に愛してるよ、僕だけのアメリア」

 ちくっ、と首筋に鋭い痛みが走り、あげた叫び声は口を覆った彼の手に塞がれた。

「永遠に、僕だけの傍にいて。一番美しい今の姿で」

 イーサンの声が遠くなっていく。

 嫌だ、イヤ……私は……剥製になんか……。


 永遠にですって? 死んでまでこんな狂った男に束縛され続けるなんてまっぴら御免よ。

 絶対に呪ってやる。

 たとえ生まれ変わったって許さない、

 薄れゆく意識の中で私は最後にそう思った。



「お嬢様、もう日が高こうございますよ」

 耳元で声がする。若い女性の声。どこかで聞いたことのある声。

 私はイーサンに殺されたわよね? あの怪しい薬を注射されてきっとその後……。

 ここって天国なのかしら? 

「う……ん」

 あれ? 声が出た。すごくだるいけれど体の感覚があるわ。

 私、生きてるみたい。

 あれは悪い夢だった? いいえ、まだ手足を縛りつけていた紐の感触や、上に跨っていたイーサンの重さを、首筋に刺さった針の痛みを体が鮮明に覚えている。

 目を開けると眩しかったのと同時に、覗き込んでいる女性と目が合った。

「お嬢様はお寝坊さんですねぇ」

 とても優しい口調で言う彼女は……。

「エリナ?」

「はい」

 うそ。エリナはもう随分前に病気で死んだはず。それになんだか若い気がする。

 私がまだ小さい頃、お母様は弟を産んだ時に亡くなった。寂しかった私達にずっと一番世話を焼いて可愛がってくれたのが、乳母兼侍女長のエリナだった。

「フェリクス様はもうお着替えも済ませてお待ちですよ。お姉様と一緒に朝食をと」

 まただわ。弟のフェリクスも若くしてエリナと同様死んでしまった。元々体の弱い子ではあったけれど、可愛くて優しくて頭のいい自慢の弟で、この侯爵家の跡取りとして唯一の男児であったのに……。

 こうも亡くなった人ばかりだということは、やはり私も死んでしまったということだろうか。そうか、天国ってすごく見慣れた自分の部屋みたいなのね。

 ん? 自分の部屋。そう、ここは私の部屋だわ。でもこんなに家具調度は新しかったかしら? それにベッドもこんなに大きかったかな?

「さあ、お嬢様。お顔を洗って着換えを済ませて朝食に参りましょう。フェリクス様がお腹を空かせて待っておいでですよ」

 柔らかな湯気を立てる洗面器を手で示して、エリナが私が大好きだった笑顔で言うので、ベッドから下りようとしたとき。

 スリッパを履こうとして自分の足が見えてぎょっとした。

 この白い小さな足。慌てて手を見ても明らかに子供の手。

「アメリアお嬢様?」

 慌てて走って鏡に向かった私に、エリナが不思議そうにしているけれど、それどころじゃない。

「え?」

 覗き込んだ鏡に映っているのはお父様譲りの亜麻色のくせのない長い髪に薄い緑の瞳。私に間違いは無かった。でも……それはイーサンに殺された二十のアメリアではない。どう見ても子供。九~十歳くらい?

「エリナ、今何年何月何日? 私は何歳?」

「はい? 帝国歴三百四十二年の青月の四日ですけど……お嬢様は三日前に十になられましたでしょ?」

 あの日は……青月の四日、三百五十二年だった。誕生日の宴の後だったもの。


 ―――どうやら私は、丁度十年前の同じ日に戻ってしまったみたいだ。


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