魔法・魔術の流派
お読み頂き有難うございます。
世界の根源的な事象を支配する理・法則は、普遍かつ不変の筈です。これはその世界の神が一柱であろうと多柱であろうと変わりないでしょう。その上で、理に基づく力を「魔法」、理を再現するために人間などが考案した手法などを「魔術」などと定義する話はままあります。
その中で、魔術の流派が分かれている場合もあります。神が一柱の場合はまずありえませんが、多柱であり、かつ、地域や民族でおおまかに信仰される神が決まっている場合、魔術に流派があるようです。言語も恐らく異なっているでしょう。で、こういった世界は、神が信者を争わせている、例えば進化を促すとか、暇潰しとか、そういった背景のある世界などが多いかもしれません。
さて、ここからが本題です。その魔術の理論、誰が考えたのでしょうか?人間が一から考えたわけではなく、神が何らかの示唆を与えた結果と考えるのが妥当ですが……つまり、魔法という法則に基づいて作られ、発展したような魔術という存在についても、その理論自体は、神の思惑の一部に過ぎない、ということです。何故なら、そういった話では、神こそ世界の法であるからです。
で、その厨二病臭い魔術、本当に神が考えたのでしょうか?それとも人間?何でそんな風になってるの?まさか、魔法や魔術が現実世界にあるわけないのに、現実世界の妄想の産物を真似しているんですか?
……何が言いたいかというと、不思議な力を設定するなら、その理論も設定しなければならず、その際、不思議な力が無い世界、つまり我々の現実世界の妄想を当てはめたところで、うまく機能するかどうか判りませんし、意味不明な場合も当然ある、ということです。
つまり、我々の現実世界で様々に妄想された結果であるところの魔術をなぞったところで、それっぽさは出るかもしれませんが、実際に魔術が発動するかどうかは、それこそ設定しないと判らないのです。
故に、自分で理論が作れるように、簡単に設定しても問題ないにも関わらず、何で意味不明な妄想理論を流用するんですかね。しかも西洋風とか東洋風とか色々。神(メタ的には作者)が厨二病なんですか?
お目汚しでしたが、楽しんで頂けたのであれば幸いです。