第5話 夏の決別
明くる日、私はアルフレートともにお義兄さまとレアを見送りに玄関広間までやってきていた。レアは王都へ「妖花の魔女を殺した」と報告をしに、お義兄さまはご自身が抱える「事情」とやらを片付けにいくらしい。
レアが提げた鞄の中には、切り落とされた私の髪が仕舞い込まれていた。
……妖花の魔女を始末した証として、ジゼルの髪をくださいませんか。あなたの銀の髪は珍しいですから、いい証拠になるでしょう。
レアのその提案を受け入れる形で、長く伸ばしていた髪を切ることになったのだ。
なぜかアルフレートは最後まで渋っていたが、命には替えられないと説得して、昨夜レアに切ってもらった。肩のあたりで切りそろえたせいで、うなじに迷い込む風がくすぐったい。
「それでは、行ってまいります。私が知らせを送るまでは、どうかここで身を隠していてください。ジゼルの義兄上までここを離れることになるのは予定外でしたが……ジゼルの身を守ってくれると信じていますよ、ベルテ侯爵令息」
「心配されるまでもないな。聖騎士さまはさっさと王都の騒ぎを鎮めてこい。ついでに薬草の成長ぶりを確認するのも忘れずにな。しばらく帰ってこなくていいぞ」
「すぐに戻りますよ」
レアは不敵に微笑むと、私の手をとって手の甲にくちづけた。
「気をつけてね、レア。……絶対に、無理はしないで」
「はい。ジゼルを悲しませるようなことはしません」
相変わらず、口説き文句のようなことをいう聖騎士さまだ。思わずくすりと笑みをこぼせば、自然と心が落ち着いていくような気がした。
やがてレアは私からそっと手を離し、お義兄さまに場所を譲るように身を引いた。
それを察したのか、お義兄さまが私の目の前に歩み寄ってくる。
私と同じ銀の髪が、夏の日差しにきらきらと輝いていた。それなのに、彼の纏う雰囲気は重く陰鬱だ。
「ジゼル……何も話せなくてごめん。ちょっと出かけてくるよ。この先も、君と……君たちと一緒に生きるために」
「今は何もお聞きしません。でも、お義兄さまの抱える事情がすべて片付いて、お話しくださる気になったときには、きっとお聞かせくださいね。私はここで、アルフレートとともにお待ちしております」
今は、この言葉だけで精いっぱいだ。本当は、何をしにいくのか、何がお義兄さまをそこまで苦しめているのか問い詰めたくて仕方がない。
けれど、お義兄さまはいずれ話してくださると仰った。だから、今はお義兄さまの覚悟が決まるのを待とう。
縋りつきたくなる衝動を抑え込んで、目いっぱいの笑みをお義兄さまに送った。
お義兄さまは泣き出しそうな表情で私の前に歩み寄ると、軽く俯いて呟いた。
「アルフレート……ごめん、今だけは見逃してくれ」
お義兄さまはアルフレートにそう断ったかと思うと、余裕のない仕草で私をきつく抱きしめた。息もできないような強さだったが、お義兄さまの切実さが伝わってきて、振り解く気にはなれない。
「ジゼル……愛している。僕が君に残せる真実はそれだけだ」
絞り出すような切ない声でそう告げて、お義兄さまは私の額にゆっくりとくちづけた。唇の熱が、触れた箇所をじわりと焼いていく。
「アルフレート……ジゼルを頼んだよ」
お義兄さまはそっと私から腕を離すと、私の手をアルフレートの手へ手渡した。まるで私を委ねたと言わんばかりの仕草だ。
「……さっさと戻ってきて、その大袈裟な別れの文句を笑い話にさせろよ」
アルフレートは軽口を叩きながらも、私を守るように腰に手を回し、しっかりと引き寄せた。
お義兄さまは儚げな笑みを見せると、名残惜しげに私を見つめたのを最後に、背を向けて歩き出してしまう。その後を追うように、レアも私たちに手を振って歩き出した。
二人が乗り込んだ馬車が見えなくなるまで、アルフレートと並んで見送る。このところ四人で過ごしていたことが多かったせいか、ふたりきりの静けさがどうにも寂しく感じられてならなかった。
「どうせふたりともすぐに戻ってくるだろ。それまでは、俺がジゼルをひとりじめできるな」
アルフレートの腕に腰を抱かれ、吐息が感じられるほどすぐそばまで引き寄せられる。間近で、金の瞳が悪戯っぽく輝いていた。
「ふたりきりで過ごすのは久しぶりね」
寂しさを紛らわすように小さく微笑めば、私の隙をつくように彼の唇が私の頬に触れた。触れた箇所から伝わった熱が駆け巡るように、顔が熱くなる。
「……っアルフレート」
思わず咎めるように声を絞り出せば、彼はなんてことのないように笑った。
「これからお前が寂しそうな表情をするたびにくちづけることにする」
「変な決まりをつくらないでちょうだい」
わかっている。彼なりに、私の寂しさを紛らわせようとしてくれているのだということくらい。
……でも、毎回くちづけられていたら私の心臓がもたないわ。
今も早鐘を打つ鼓動の音を悟られぬよう、そっとアルフレートから視線を逸らした。お義兄さまやレアと離れてしまった感傷は薄れることなく確かに胸の中にあるのに、アルフレートがそれを掻き乱すから厄介だ。
「……どうしてあなたはそんなに余裕なの?」
思わず拗ねるように問い掛ければ、彼は変わらず上機嫌なままに小さく声をあげて笑った。
「余裕なんてないから、こっちからくちづけてるんだろ」
アルフレートの長い指が顎に伸びて、視線を合わせるように顔を上向かされる。そのまま唇が触れ合うような距離まで近づいて、彼は唇を歪めた。
「あいつらが帰ってくるまでに、くちづけくらいは慣れてもらわないとな」
返す言葉が見つからず、唇をわずかに震わせる。その戸惑いを奪うように、早速彼の唇が重なった。思わず彼の上着にしがみつきながら、ぎゅっと目をつぶる。
「……大丈夫、ふたりとも、すぐに帰ってくる」
くちづけで私の肩の力を抜いたあとに、まるで安心させるように彼は静かに囁く。
彼の優しさがじわりと胸のうちに広がっていくのを感じながら、彼の腕の中でいちどだけこくりと頷いた。そのまま彼の肩にもたれかかるようにして、身を委ねる。
……どうか二人とも無事に、一刻も早く帰ってきますように。
祈りをわかちあうように、アルフレートの手が私の頭を撫でる。
彼らの身を案じる心とは裏腹に、夏の空は清々しいほどに澄み渡っていた。