頼む少年
もうすぐガレン・オストに着くとなったときに、セレンさんとラズラルさんに呼び止められた。
「一つ、問題があります」
眉を顰めたローレルに、ラズラルさんはため息をつきながら言った。
「我々は、正規の方法で入国できないということです」
それって……どういうこと?
「厳密には、ルィンランディア様を始めとしたあなた方が、ということになりますが……」
言い淀むラズラルさんの代わりに、セレンさんが言葉を引き継ぐ。
「この国の内情にも関わってきますので、詳しいことはご説明できませんが……今回ルィンランディア様がこのような目に遭ってしまわれたのは、決して偶然などではなく、ルィンランディア様ご自身を狙った恣意的なものだということです」
話が読めなくて困惑する。詳細を尋ねようとして、でもその前にローレルがラズラルさんを強引に遮った。
「その話はいい、リナリアを余計なことに巻き込むな。要はどうやって見られずに中に入るかが問題なのだろう。だが、ガレン・オストは閉ざされた王国。二つある門にはどちらも衛兵がいる。塀を越えでもしない限りは、無理だろうな」
「そうなんですよね」
「だが、あの高い隔壁を越えられる者など……」
ローレルの言葉に、セレンさんの視線がステイへと向く。
「ラウリンディの息子よ、あなたの出番です。中に入れなければ、彼女は助けられない。ということで頼みますよ」
「こういうときだけ、それを持ち出してくるか」
「いいじゃないですか。我々もあなたを受け入れることを譲歩したのですから、少しくらい協力していただいても」
ステイが呆れたようにそっぽを向く。
「ラウリンディの息子? ……そうか、おまえ、ハイレインだったな」
「ああ、そうだが。それがなにか?」
「いや……」
みんなが口々にわぁわぁ言い合っている中、一人だけ会話の内容についていけてない自分。ぽかんとステイを見上げる。ステイは私の視線に、居心地悪そうに身じろぎした。
「俺が獣人族とエルフ族とのハーフだってだけの話だ」
「そ、そうだったんだ……」
いやぁそりゃ、あの怪力加減からして獣人族の血が流れているのかなとは思ってはいたけど、まさかのハーフとは思わなかった。
セレンさんはステイに畳み掛け始めた。
「あなたの翼でしたら、この高く聳え立つ郭壁だって越えることも可能でしょう」
「リナリアは引き受けてもいい。だが」
ステイはのんびりとした笑顔を消した。
「そちらのエルフの護送は引き受けかねる」
はっきりと拒絶の意を示したステイに、場の雰囲気が変わる。ラズラルさんの表情が凍り、和やかな雰囲気は一転、張り詰めるような緊張が漂う。
「そもそも俺は、リナリアがいるからここにいる。リナリアさえ無事ならあとはどうでもいいんだよ。あんたたちの事情なんか知ったこっちゃない。悪いが自分たちのことは自分たちでどうにかしてくれ」
「貴様、こっちが下手に出れば……」
「納得できないのなら、俺は今すぐにリナリアを連れてここを出ていく。そもそも、この国にリナリアを治せる奴がいるって保証もない。そこまで無理して入る価値があるのか?」
「言わせておけば……!」
「まぁまぁ、ラズラル。たしかに傭兵稼業の方へ、なんの報酬もなしに頼み事をする我々もお門違いというものなのでしょう」
一触即発な雰囲気のステイとラズラルさん。そのラズラルさんを宥めようとセレンさんがラズラルさんを庇うように前に出る。
「ステイ」
私の知らない冷たい目をするステイに、口出ししてもいいものか迷ったが、結局私は声をかけた。
「もしもステイにこの壁を越える力があるのなら……私からもお願いできないかな。できれば、ローレルも一緒に連れて行ってくれると嬉しい。だって、もう少しでローレルはやっと故郷へと帰れるのに、ここで足止めだなんて……」
私に故郷はない。帰るべき家も、待っている家族もいない。だけどローレルには、その壁を一つ越えた向こうに、私がすでに失ってしまったものが待っているのかもしれない。
ここまで来たのにそれが叶わないなんて、それはあんまりだ。
ステイはしばらく顔を背けて頭をかいていたが、やがて降参するように両手をあげた。それとともにあの切れそうな空気が霧散する。ほっと肩を下ろした私に、ステイはいつもの笑みを向けてきた。
「……わかったよ。リナリアがそう言うのなら」
「引き受けていただいて、感謝する」
声を荒らげようとしたラズラルさんを下がらせて、ローレルはもうこの話を終わらせたそうに素早く言った。
「無事に入国できれば、それ相応の礼はする」
「要らない。俺はあくまでもリナリアの頼みを聞いただけだ」
申し訳なさ半分、感謝半分でステイにお礼を言うと、彼は無言で肩を竦めた。その背後からふわりと風が舞い上がる。ステイが頭を振るとその耳が尖り、背中から焦げ茶色の立派な羽がにょっきりと生えてきた。
「うわぁ……すごいね……!」
初めて見た獣人型の姿。その迫力に思わず見とれる。そんな私に、ステイは視線を彷徨わせた。
「あんまり似合わないから、リナリアには見せたくなかったのに」
「そんなことないよ。ステイの本当の姿、かっこいいね」
「リナリア……」
機嫌がよくなったステイは、羽をひょこひょこと動かしてみせた。
獣人族は、一部体の機能を制限することができる。あまりにも人間族とかけ離れた体の特徴を持つ者は、意図的にその特徴を隠していることがある。その形態的特徴によっては、人間族からの迫害の対象にもなり得るからだ。
「混じった血がどう作用したのかは知らないが、耳まで出し入れできるのにはついてたぜ。できなきゃエルフ狩りの対象になってたからな」
なんてことなく宣ったステイに、すかさずラズラルさんが厳しい声で窘めてくる。
「我が国からラウリンディ様を奪っておきながら、その言い草……ハイレインとは、なんと厚顔な」
「おいおい、あれはおふくろが親父に一目惚れして、執拗に追いかけてきたんだぞ?」
ラズラルさんは戸惑って、セレンさんを振り返る。セレンさんが気まずそうに頷いたのを見て、ラズラルさんの動きが止まった。
「エルフの閉ざされた世界に飽き飽きしていたおふくろは、取り引きで訪れていた親父に一目惚れして、逃げる親父を海まで追いかけてきたんだ。しかもあろうことか、勝手にハイレインの船に乗り込んで、積荷の中に隠れてな。要は密航だ、密航。おまけにおふくろを見つけて恐怖に叫び声をあげた親父を、有無を言わさず勢いで手ごめにして……そんでめでたく俺の出来上がりってわけ」
エルフのイメージとはかけ離れた豪快な英雄譚に、みんな一様に沈黙する。ステイだけがへらりと笑っている。
「うちの親父の名誉のために、事実はちゃんと正しく認識しといてくれよ」
ステイはなんでもないことのように笑って言ってるけど、でも私は知ってる。
あの人間族の港街で暮らしているときに、ステイが海を眺めながらこっそりと教えてくれた。
ステイのお母さんはエマを産んだあと、産後の肥立ちが悪かったらしく、長くは生きられなかった。森の狩人であるお母さんは、海の風が肌に合わなかったのかもしれない。それで一時期、お父さんが立ち直れないくらいに落ち込んでいたことを、ステイは弱音を吐くように教えてくれたことがある。
――でも結局、そのあとになんだかんだでまた奥さんを娶って、ステイの兄弟たちが生まれたって遠い噂で聞いたけどね! 会ったことはないけど、ステイやエマの兄弟なら、みんな明るく元気でかわいいんだろう。
「とにかく、これでいいんだろう?」
ステイが肩を竦める。その拍子にふわりと大きな羽が羽ばたいて、空気の揺れとともに髪が煽られる。
「……ラウリンディの息子、ということは」
ローレルはその様子を、どこか感慨深げに眺めていた。
「おまえは私の親戚に当たるな」
「へぇ、そりゃどうも」
そんなローレルに対し、ステイはあまり意に介した様子はない。
「ああ……従兄弟にあたる」
「そんじゃあ従兄弟のよしみってことで、今度からもっと優しくしてくれよ」
「それとこれとは話が別だ」
ステイと……ローレルが親戚? 従兄弟、って。
思わずローレルにその詳細を尋ねようとしたが、話題はすでに、どういう手順で中に入るかのほうに進んでいた。
「ということで、私たちは先に屋敷に戻って受け入れの準備を進めておきますので。ラウリンディの息子よ、ルィンランディア様のことをくれぐれも頼みますね」
「だから、その呼び方はやめてくれって」
セレンさんは穏やかな笑顔を崩さずにステイに微笑みかけながら、構わず続けている。
「そもそも、正しい事実をと言うのであれば、先程の件は元はといえば、あなたのお父上が取り引き中に興味本位で我が国の上空を滑空なんてするものですから、ラウリンディ様に目をつけられる羽目に陥ったのですよ。まぁ、一度飛べたのなら、二度飛ぶも三度飛ぶも同じでしょうから。リナリア殿もいることですし、あなたことは信じています」
「信じるのは勝手だが、期待はするな」
「いいえ、あなたはリナリア殿を悲しませるようなことはしないでしょう。必ずや私たちの信頼に応えてくれると期待しています」
臆することもなくニコリと微笑んできたセレンさんに、ステイは珍しく押され気味みたいだった。
とにかく、私たちは夜まで身を潜めたのちに、夜の闇に紛れて上空からガレン・オスト入りすることになった。
……これって、まさかの、不法入国……?




