進む少年
ガレン・オストまでは本当に遠かった。すでに森の中を何日も歩き通してる。
何か所か休憩用のポイントがあるみたいで、日が暮れる前にそこに着くと夜を越す準備をする。そして日の入りとともに休んで、日の出とともに動き出すような行程だった。
夜の見張りは私を除いた五人で交代でしてくれている。申し訳なくて私も、と言いたかったところだけど、一人で夜番をしているときになにかあってもということで、大人しく回復に徹することにしていた。
その日の夜は、喉が乾いて途中で目を覚ました。
夜はとうに更けていて、辺りは真っ暗だ。水筒はどこに置いてたっけ。手探りで周りを探るけど、あいにくと手に触れる気配はない。ため息をつく。明かりをつけるほどでもない。……ステイもローレルも眠りが浅いのか、ランプをつけてゴソゴソしだすとすぐに起きて世話を焼こうとしてくるから、あんまりむやみにつけたくはない。
諦めてまた眠りにつこうと横になりかけると、かすかな物音がして、隣に誰かの気配がした。
ぽわりと、ランプの柔らかな明かりが灯る。あのエルフの美しい女性騎士、ラズラルさんがいつの間にかそばにいて、革の水筒を差し出してくれていた。
「探しものは、これでしょうか?」
「あ……そうなんです」
助かった。まったく見えなかった。ありがたく差し出された水筒を受け取る。
……なんとなくだけど、ここ数日ラズラルさんたちと過ごしてきて、ぎこちない態度は少しずつ薄れてきたように思う。
相変わらずまだ微妙な距離感のままなんだけど、少なくとも私を傷つけるつもりはないとわかってからは、そう構えなくても話せるようにはなっていた。
あのときの気迫が嘘のように、ラズラルさんは物静かで穏やかな人だった。前にローレルがエルフ族には穏やかな人が多いって言ってたけど、たしかにその通りだ。
ラズラルさんはごくごくと水を飲む私をぼんやりと見つめていたけど、私が飲み終わったのを見ると、持ち場の木の上に戻ろうとした。
「あの、ありがとうございました」
呼び止めたラズラルさんは振り返ると、頷いて軽く微笑んでくる。
「いえ、お気になさらず」
ランプを消していいか尋ねられたので、それに頷きを返す。
ふわりとあくびが漏れる。明日も日の出起床だ。夜明けまでもうあまり時間がないかも。
微睡む意識のままに横になると、「おやすみなさい」と小さな声がかけられた。ランプの明かりが消えて、すぐに辺りは再び闇へと包まれた。ラズラルさんが戻っていく音はもう聞こえなかった。
ラズラルさんと一緒にきたもう二人のエルフの騎士は、フィガロとセレンというらしい。
「リナリアさん、これ食べます?」
休憩時間にローレルに水を注いでもらって飲んでいると、フィガロがやってきて、手に抱えていた果実をくれた。
フィガロは、ローレルよりもずっと薄い青みがかったサラサラのプラチナブロンドに、少し朱の混じった珍しい花模様の青い瞳をしていた。彼もエルフの特徴に違わず、淡麗な容姿だ。
「この時期はちょうど熟れてて、美味しいんですよ」
てらいもなくにこりと微笑みかけられて、笑顔を返しながら渡された小ぶりの果実をいただく。フィガロを真似てかぶりついてみると、とろりと滴る甘みが口の中に広がってきた。うーん、これは桃に似てる。瑞々しくて美味しい。たぶんあまり食事がいけない私に、気を遣って探してきてくれたのだろう。
フィガロは、ローレルやラズラルさんたちみたいな典型的エルフっていう感じとはちょっと違っていて、その淡麗な容姿にも関わらず、気さくで話しかけやすい人だった。みんなとは一歩距離を置いているステイも、フィガロとはときおり笑顔を交えながら話しているのを見かけることがある。
そしてフィガロはああ見えて、少し薬草学をかじっているらしい。国に着いたら医師と協力して私の症状にあった薬草を探してくれると、彼は申し訳なさそうにそう約束してくれた。
一方でセレンさんは、アッシュゴールドの長い髪をひとまとめにまとめた、柔らかいライムの瞳が優しそうな優男系騎士だった。彼はどちらかというと控えめというか、どこか一歩引いたところから私たちを眺めているようなところがあって、ラズラルさん同様、積極的に私たちと関わってこようとはしてこない。
休憩中でもラズラルさんといつもなにか話し合っていて、きっと担当でいうと頭脳系騎士なんだろうなって勝手に思っている。
「リナリア」
休憩中に水を飲んでいると、ローレルがやってきて呼び出された。
「傷の様子を見よう」
ローレルの言葉に頷いて、騎士さんたちに断って少し離れたところでマントを脱ぐ。左の袖と太腿のところだけ捲りあげたローレルは、わずかに顔を顰めた。
一日に一、二回、ローレルはこうして傷の状態を確認してくる。思ったよりも治りが遅く、いまだに傷口からだらだらと少量ずつ出血が続いているのが心配らしい。
たしかにおかしいんだよなぁ。どっちかっていうと、ケガとか結構すぐ治るほうなんだけど。
「まだ塞がりきれていないのか?」
「ああ」
そばの木に寄りかかっていたステイも近寄ってきて、しげしげと傷口を眺めだした。
ここしばらくお風呂に入れていなくて、できれば二人とも、あんまり近づいてほしくないんだけどな。でもそんなことを言ったら絶対に白い目を向けられるから、黙ってされるがままになっておく。
「この傷、妙だよな。傷自体が膿んでいるわけでもない。浸出液もそんなに多くない。ただなにかに邪魔されてるみたいに、治りきれてないっていう……」
「おまえもそう思うか。たしかにこれだけ日にちが経っているのに、傷がくっつかないのもおかしい」
こういうときだけ真剣に言葉を交わし合っている二人に苦笑する。いつもこんなふうに仲良くしてくれればいいのに、普段はお互いそりが合わないとでも思っているのか、あんまり話している様子はない。どっちも私にとっては大事な人だから、二人とも仲良くしてくれたら嬉しいのに。
「触っている感じはどうだ?」
ローレルがふにふにと左手を握ってきた。それに「あんまり」と首を振る。
問題は、この左半身の感覚鈍麻と体のだるさだ。魔力関係に悪さをしているというのは、おそらく間違いじゃない。
以前のようにうまく魔力が出せなくなっていることに気づいたのは、つい先日だった。なんか魔力の回路が詰まっているというか、いまいち流れがよくないというか……魔力を使おうとしても、うまく出力できない。
そのときはとにかく、処置のときにローレルに臭いって思われたくなくてどうしても水浴びしたくて水を出そうとしてた。いつもと違ってなかなか出てこない魔力に辟易して、無理にでも出そうとして。
ぶちりと、体の中でなにかが弾けたような音がして、気づいたら気を失って倒れていた。
幸い、一緒に水浴びをと誘っていたラズラルさんがそばにいてくれたから事なきを得たけど。
でもそのあとしばらく熱が下がらなくて、それこそステイとローレルからはそんなことを気にしている場合じゃないと怒られたし、しばらく魔力を使うのは禁止とまで言われてしまった。
……とにかく、たしかにこのままじゃ、あの森の中の小屋に一人で戻るにしても、左腕が使えないわ、魔力が使えないわじゃ、とてもじゃないけどやっていけない。
ガレン・オストに着けば、あるいは有魔族に関する有識者がいるかもしれないし、もしくはなにかしら関連のある資料があるかもしれない。ローレルはその可能性にかけているみたいだった。
左手を開け閉めさせたり、どこまで鈍麻があるのかを確認しているローレルのそばで、ステイが傷の様子をしげしげと観察している。そのステイが手を伸ばしてきたと思った瞬間、太腿をさわりとなぞられた。
「……っひぇっ!」
すんでのところで上げそうになった声を慌てて噛み殺す。すぐにステイに視線を送ると、ステイは目を逸らしながら両手を上げた。
「ステイ?」
「ごめん。ちょっと手が滑った」
きょとんと顔を上げたローレルは、すぐに目を細めてステイを睨む。
「おまえ……」
「だから、誤解だって」
ステイが珍しく狼狽えている。浮かべている笑顔に思わずといったように苦味が混ざった。
「ちょっと当たっただけだよ、布を当てようと思って。なにも疚しいことなんて、まったく微塵も考えていなかった。断言する。うん」
「……」
ローレルはたっぷり十秒は無の表情でステイを睨めつけていたけど、やがてため息を吐いて視線を戻した。
「変な気を起こしたら、どうなるかわかっているだろうな」
「わかってるって。さっきのは事故だよ、事故」
「絶対に触るな」
「はいはい……もういいか? 残りも終わらせたいんだけど」
「次にやったら、二度と許さない」
「分かったって」
……この二人、本当に相性がいいのか、悪いのか。




