許可する少年
「リナリア、調子はどうだ」
また別の日、ローレルに傷口の処置を受けていると、ステイがひょっこりと部屋の中に入ってきた。
「えっ……ステイ!?」
思わず右手で掛け布を体にかける。今の私は足も腕もまる出しだ。
薬を塗ろうとしていた傷口ごと隠されて、ローレルは恨めし気にステイを見上げる。ステイはその視線にひょいと肩を竦めた。
「なにを恥ずかしがる必要がある? リナリアの体なんてとっくに見知ってる」
「えぇえ!?」
意味深な言い方をされて混乱する私に、ローレルがきちんと補足してくれた。
「紛らわしい言い方はやめてくれないか。傷を負った直後に治療を施してもらったというだけだ」
「ステイが?」
それは初耳だった。
「ああ。彼はあの場で恐れることなく毒を吸い出したあと、素早く止血してくれた。動じることのない、見事な手際の良さだった。さすが荒事に手慣れているだけのことはある」
それを聞いて、なんだか胸がざわついた。
ステイはステイで、きっと離れていたこの何十年もの間、傭兵としてたくさんの経験を積んできて、いろいろと危ない目に遭ってきたんだろうな。途中でお父さんをも亡くしてしまって、彼には彼で辛いこともいっぱいあっただろう。
「ただ、あのまま私たちを置いて出航しようとしたのには参ったけどな。あなたが遠ざかる意識の中でも私を呼んでくれなかったら、危うくあの無人の海辺に置いてきぼりにされるところだった」
「ステイ……」
……そうだったんだ。ステイ、ほんと容赦ないな……。いつもニコリと微笑みを浮かべている彼の厳しさを垣間見た気がして、思わずぶるりと身を震わせる。
「だから俺は純粋に心配で傷の様子を見に来ただけだって。ほら、見せてみな」
豪快に掛け布を捲られて、悲鳴を上げたくなるのをとっさにこらえる。
ローレルにだって見せるのは抵抗あったのを、なんとか堪えていたのに。今度はステイにもだなんて。
ステイとは久しぶりに会ったわけだし、見た目も大人の男性になっていて、なんというか、その……。
「……照れているのか?」
掛け布を捲って、しげしげと太腿の傷を眺めだしたステイに思わず手で顔を覆うと、頭上からローレルの訝しげな声が降ってきた。
「なんだか……随分と初心な反応だな。私にはそんな反応、見せてくれなかったような気がしたが」
「そ……それは、目が覚めたときにはもうローレルがずっと傷を診ていてくれたし、なによりローレルはもう家族みたいなものだから……」
「家族、家族か……」
隙間から見上げたローレルは、喜んでいいのか悲しんでいいのかわからないといったような顔をしている。
「ふーん、家族ねぇ。じゃあこのエルフの坊ちゃんは、さしずめリナリアのクソ生意気な弟ってところか?」
「おい……随分と言ってくれるな?」
ローレルが珍しく、凍えそうなほど冷たい視線でステイのことを睨みつけている。表情に乏しくていつも穏やかな物腰のローレルにしては、ほんとに珍しい。だけど対するステイはそんな視線を気にする様子もなく、鷹揚に笑い返している。
ステイはローレルの冷たい視線をそっちのけで私の傷を一つ一つ確認すると、ローレルへと場所を譲った。能面のように表情を殺してしまったローレルは、殺伐とした様子で処置を再開する。
「また来るよ。今度は小煩い弟分のエルフがいないときにでも」
「だったら私は、二度とここを離れない」
ステイはローレルの吐き捨てるような声を気にすることもなく、颯爽と部屋を立ち去っていってしまった。
「……」
取り残されたローレルはしばらく無言だったけど、掛け布から顔を出した私と目が合うと、ため息を一つ吐いた。
「……なんか、昔の爽やかな少年だったころのステイと大分様変わりしてて、調子が狂うっていうか、ペースに呑まれるっていうか……」
ローレルはもういいというように手を振ると、私の髪を撫でてきた。
「彼らがあなたが唯一信頼している兄妹だということは……わかっているつもりだ。あなたと彼にしかわからない絆があって、そこに私が入り込めないこともわかっている。それでも、あなたの髪を最後に遺してもらえるのはこの私だ。あのとき、たしかにそう約束した」
ローレルは、私がステイのところに行ってしまうんじゃないかなって不安なのかな。……でも、ローレルだって故郷から迎えが来て、不安なのは私だって一緒だ。
「……ローレルも、だよね?」
「もちろんだ」
あの日にした約束を、お互いに確認し合う。見上げたリーフグリーンの瞳はまっすぐに私を見つめてきた。
それからまた、しばらく経った日にみんなが勢ぞろいでやってきて、治療のために今からエルフたちの隠された森の王国、“ガレン・オスト”に連れて行くと告げられた。
「そっかぁ……じゃあエマとステイとはここでお別れだね」
今までありがとうと手を出そうとすると、いい笑顔のステイに止められる。
「おおっと、ところがそんなわけにはいかないんだよなぁ」
どうやら驚いたのは私だけではなかったらしく、ローレルたちも目を瞠っている。
「取り引きの内容はこうだ。あんたたちはそのお坊ちゃんを見つけたい。俺たちはリナリアを無事に保護したい。だったらその取り引きが終わるまでは、すごすごと引き下がるわけにはいかないってわけだ」
「いくら昔からの縁があって信用もあるとはいえ、ガレン・オストは秘された王国。部外者をぞろぞろと引き連れて国に入るわけにはいきません」
ラズラルさんは厳めしい表情のまま言い募る。
「そう言い張るのであれば、この辺りで停泊でもして、リナリア殿の帰りを待たれよ」
「条件が飲めないってんなら、あんたたちとはここまでだ」
ステイが目を細めると、明らかに空気が変わる。あくまで穏やかに話しているはずなのに、言いようのない緊張感に身を強張らせる。
「ハイレインは不確かな取り引きには応じない。近くで確実に見守れないなら、リナリアは預けない。……さてそれじゃあ、俺はすぐにでもリナリアを治せる医者を探しに行かなければならないんでね。それじゃあ今後ともいい取り引きを!」
そう言って扉をクイッと親指で指し示したステイに、ローレルが声をあげる。
「条件を飲む」
ステイの手が止まり、見下ろした顔がにんまりと笑む。
「そちらの滞在を許そう。ただし一名に限る。わかったのならさっさと降りる準備を。こんなところで言い合っている時間がもったいない」
「よしきた」
戸惑う騎士たちを他所に、ローレルは冷静だった。
「ルィンランディア様……!」
なにか言い募ろうとした長髪の騎士をローレルは片手で押し留めると、外へと促して去っていく。
「それじゃあリナリア、俺も準備をしてくるから、ちょっと待ってな」
ステイは口を挟む暇を与えず、さっさと去ってしまった。
甲板に出ると、ステイは縄梯子を降りるローレルたちを尻目に私を抱き上げ、軽やかに船べりを蹴ってあっという間に砂浜へと飛び降りた。重力を感じさせない、安定感のある軽やかな跳躍だった。
ステイは小舟に乗り込んだローレルたちを待っていたが、砂浜に到着すると体勢も整っていない彼らを無情にも急かした。
「よし、じゃあ行こうか」
「その前にリナリアを離せ。そんな乱暴に動かれては容態に響く」
「時間がもったいないんだろう?」
「だが、リナリアの体調第一だ」
なんだかこの二人、馬が合うのか合わないのか、よくわからなくなってきた。
船のほうを見上げると、船べりからエマが身を乗り出して大きく手を振っている。
「兄貴! あとのことは任せておきな! リナリア、早く元気になれよー! すぐに迎えに来るからな!」
「エマ、ありがとう……! 気をつけてね!」
小さく手を振り返すとエマの姿は消え、ハイレイン傭兵団の船は速やかに離れていく。
「心配しなくても、みんなよくやってくれるさ」
頭上から声が降ってきて、見上げると鮮やかなマリンブルーと目が合った。
「ハイレインは俺がいなくてもやっていけるほど成長したんだ。大きくなったもんさ、この船も」
どこか自慢げにステイはそう言うと、にこりと笑いかけてきた。
不覚にもその笑顔にどきりとする。あのころ私に向けられていた、眩しい海のような陽気な笑顔だったから。
「リナリア」
ローレルが隣に並んできて、心配そうな顔で私を覗き込んできた。
「王国まではまだしばらくかかるんだ。私だってあなたを背負える。いつでも代わるから辛かったら言ってくれ」
「なんか、ごめんね……」
そもそも、自分で歩けって話ではあるんだけど。体力お化けのステイに、見た目以上に体力のあるエルフ族のみなさん。その彼らに体力最下位族の、おまけに四六時中眠くてうとうとしているような私がついていけるかといわれたら、大いに自信がない。だから逆に迷惑をかけそうだと、こうして大人しくステイの腕の中に収まっている。
ステイはあのころと違って、大分背も伸びて体つきも逞しくなっていた。しなやかな筋肉に覆われたその姿は、控えめに言ってもかっこいい。
その容姿といい、立ち振る舞いといい、どう見ても女性に手慣れているようにしか見えない。いつも余裕綽々といったように笑んでいるその雰囲気は、さぞや女性にモテていることだろう。いろんな港に恋人がいてもおかしくなさそう。あのころはまだ可愛げがあったのに、時の流れというものはこうも容赦がないのか。
「……なんか今、失礼なことを考えていなかったか」
「え? アハハ……考えてないよ……」
勘も鋭いステイに慌てて誤魔化し笑いを浮かべながら、「お願いします」と小さく頭を下げると、ステイはまたあの甘い笑みを浮かべた。




