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看病する少年

 

「リナリア!」


 崩れ落ちた私を、エマが咄嗟に支えてくれた。

 矢は……左腕に二つと、太腿に一つ。咄嗟に風を生み出したおかげで勢いを殺せたとはいえ、痛いものは痛い。

 おまけに、ジンジンと傷口から奇妙な悪寒が広がってきている。


「っ……っ……?」


 うまく声が出せない。傷自体はそうひどくないんだけど、とにかく悪寒がひどくて力が入らない。

 みんながわーわー怒鳴っている声は聞こえるけど、なにを言っているのか段々とわからなくなってきた。ぼやけてきた視界が、濡れたように輝くミッドナイトブルーに覆われる。


「リナリア……!」


 誰かが私の名前を呼んだ。震えるような、縋るようなその声は、もしかしたらローレルかもしれなかったし、ステイやエマかもしれなかった。








 そのあとのことはどこか朧げだった。断片的に意識が戻って、そうしたらそばにローレルがいたり、エマがいることもあれば、ステイがいたり。

 ようやくはっきりと目が覚めたのは、あの日から幾日も経ってからのことだった。


「……リナリア!」


 そのときはローレルがそばに座っていたから名前を呼ぶと、俯いていたローレルは勢いよく顔を上げて身を乗り出してきた。


「ここ……どこ……?」


 そっと触れられた手はまだ痺れていて、感覚が鈍い。呂律もあまり回らない。


「気分はどうだ? 水は?」


 覗き込んできた明るいリーフグリーンにこくりと頷くと、ローレルは動こうとした私を制してくる。


「……っ」


 ローレルは躊躇いもなく水を含むと、あの薬を飲ませたときのように私に覆い被さって、口移ししようとした。


「おい」


 もう少しで唇が触れるか触れないかというところで、ローレルの動きがぴたりと止まる。


「離れろ」


 いつの間にか入ってきていたステイが、ローレルの肩に手をかけていた。後ろにはしらっとした目をしたエマと、どこか戸惑っているようなあのエルフの騎士たちもいる。


「その手をどけろ」


 ローレルはステイを睨みあげたが、ステイも動じない。ローレルは口に含んでいた水を飲み下すと、静かに告げた。


「彼女が水を飲みたそうにしている。邪魔するな」

「だからって容認できるとでも? ……どけ、代わりに俺がやる」

「おまえに変わってやる必要がどこにある」

「うるさいよ、ニ人とも」


 言い合い始めた二人を押しのけて、エマが身を屈めて顔を覗き込んでくる。ついでに背に腕を回して体を起こしてくれて、水まで飲ませてくれた。


「どうだ? ちょっとは頭、はっきりしてきたか?」


 それに頷きを返すと、ホッとしたように笑みをこぼされる。


「何日も朦朧としてるんで、さすがに気が気じゃなかったよ。……せっかく会えたのに、もうダメかと思った」

「エマ……」


 ふいにエマの声が揺れる。そっと持ち上げた右手を、エマはぎゅっと握り返してくれた。


「リナリア」


 ステイに呼ばれ、視線を上げる。


「リナリア」


 なにも言葉が出てこなかった。

 もう二度と会うことはないと思っていた。もう二度とその声を聞くことはないと思っていた。心の奥底にそっと沈めた、あの日の眩しい笑顔。今でも成長した彼らが目の前にいることが夢みたいで、なんだか信じられない。


「ステイ……」


 ステイの真っ青な鮮やかな瞳が、私を見つめている。その唇が開かれ、なにかを言おうとして。


「積もる話もあるだろうが、今は目覚めたばかりだ。容態が安定するまでは、しばらくそっとしておくべきだ」


 ローレルの咎めるような声に、ステイは我に返ったように視線を逸らすと、「また来る」と去っていく。ローレルはその後ろ姿を視線だけで見送っていたけど、ステイの姿が見えなくなると、後ろの騎士の一人になにか言付けて薬らしきものを受け取っていた。

 あれからいったいどうなって、こんな状況になっているのだろう。

 エルフの騎士たちがなにもしてこないってことは、少なくとも私にローレルの命を脅かすつもりはないということを、わかってもらえたのかな。彼女たちはローレルのことを助けにきたみたいだけど、今後はいったいどうなるのだろう。

 ――ローレルはこのままガレン・オストに帰るのだろうか。……私は手当てが終わったら、一人であの小屋に戻らないといけないのだろうか。

 ローレルはエルフの騎士たちにも部屋の外に出るよう言うと、躊躇いもなく掛け布を取って服を捲り、創傷部位を露わにした。

 息を呑んで掛け布を閉じようとするも、「今さらだよ」と諦めたようにエマに言われて、思考が停止する。


「そのエルフが絶対に退かないもんだから、こっちだってなにもできなくて辟易してんだ。まぁ、驚くほど献身的だったけどね、このガキんちょは」

「ガキんちょではない。少なくとも君よりは年上だ」


 なんだかローレルらしからぬ刺々しい口調で返しながらも、ローレルは真剣な顔で一つ一つ傷口の状態を確かめながら、新たな当て布に薬を塗布しては当て直している。

 この現況について考えないようにしながら、私はまた尋ねた。


「……ねぇ、ここ……どこ? あれから、どうなったの……?」


 狭い木製の室内は、置かれたベッドが殆どを占めている。壁に嵌められた小さな窓はまん丸で、そこから太陽の光が差している。地面はゆっくりと揺れている。頭の天辺から足の先に抜けるように、絶え間なく大きくグラインドしている。

 兎にも角にも、事情を知りたい。エマはかすかに微笑んだ。


「ここはあたしたちの船の中だよ。……リナリア、あの矢には、痺れ毒が塗ってあったんだ。リナリアが今ろくに動けないのはそのせい。でももう安心して。そこの生意気エルフがあいつらをきちんと説得してくれたからね。もうあいつらがリナリアに危害を加えることはない。あってもあたしが許さないから! 今は依頼の続きで、こいつらを国の近くまで送り届ける途中」

「そうなんだ……」


 少なくとももう命は狙われていないと知って、ホッとする。エマはそこで言葉を切ると、ふと視線を伏せた。


「……それ以上の詳しいことは、また元気になってからゆっくり話すよ。だから今はよく休みな。な?」


 ポンポンと布団の上から宥めるように叩かれて、なんだか変な気持ちになる。

 出会った当初は、エマは私よりも幼い少女だった。それが再開した今は立派な女性になって、はだけている胸なんか、目のやり場に困るほどに発育していて……。


「うん……ありがと」


 エマがまるで子どもにするみたいに寝かしつけようとしてくるせいで、妙な気恥ずかしさと安心感が沸いてくる。

 よく事情はわからないけど、たしかにとにかく傷を治して体調を整えるのが先だと、うとうとしてきた思考に任せて、もう一眠りすることにした。








 神経毒というのは、通常そんなに長くは効かないということだった。そもそも動きを鈍らせたその隙に命を奪うような使い方をするものなので、そんなに長いこと効く必要もない。

 私に関していえば、おそらく魔力関係に悪さをしていて、うまく体調が戻らないんじゃないだろうか。

 いまだに痺れている左手に、ローレルは渋い顔でそんなことを言ってきた。


「やはり国の者に見せたほうがいい。このままろくに動けず食事もとれないままだと、それこそ衰弱死すらしかねない」


 そんな恐ろしいことを言いながら、ローレルは今日も私の傷の手当てをしてくれている。

 ローレルはそれこそずっとそばにいてくれて、こっちが心配になるくらいに懸命に世話を焼いてくれていた。汗をかけば体を拭いて着替えさせてくれたり、少しでもなにか入るものがあればと食事を運んでくれたり、毎日必ず傷口の処置をしてくれたり、暇さえあれば体の機能がどの程度回復したのか確認したりしている。

 たまにエマやステイがやってきて、なにか言われながら渋々交代して立ち去っていくときもあるけれど、それでもほとんどの時間をローレルは私のそばで過ごしてくれていた。眠りにつくときも、彼は私が寝付くまでいつもそばで見守っている。








 ある日ローレルに連れられて、あのエルフの騎士組がやってきた。


「……リナリア殿」


 エルフの美人女性騎士、ラズラルさんは膝をついて頭を下げ、振り絞ったような声で跪いた。それに後ろの二人も神妙な顔で続く。


「ルィンランディア様より、大方の事情を伺いました。我が君を保護していただき、そしてあの忌々しい奴隷印から解放していただき、いくら感謝してもし足りないというのに……それにも関わらず、私はあのような刃を向けるような真似を……心から、お詫び申し上げます」


 そう言ったきり動かなくなってしまった三人に困ってしまってローレルに視線を送るけど、ローレルは険しい顔で黙りこくったままだ。


「いえ……もうわかってもらえたのなら、それで……」


 なんと答えていいのかわからずに、言葉を濁す。

 一応奴隷印は返して本人の意思を確認した上で、その上で一緒にいてもらってはいたけど、それでも最初は彼をあの森に連れ去って、しかも奴隷印は返さないなんてやらかしている以上、純粋に保護したと言っていいのかわからない。思わず目が泳ぐ。


「ずっとお声をかけさせていただきたかったのですが、なかなかリナリア殿にお目通りする機会を与えて頂けず」


 そうだったんだ。当のローレルは相変わらず硬い表情のままだ。


「謝罪をすればいいというものではないことは重々承知しております。ですが、せめて一言、お声をかけさせていただきたかったのです……」


 あまりにもエルフの女性騎士、ラズラルさんがシュンと落ち込んでいるものだから、つい言葉をかけてしまった。


「もう気にしないでください」


 ただ、これだけを伝えたかった。


「私がローレルを傷つけるはずがないってことさえわかってもらえれば、それでいいですから」


 ランプの明かりに照らされたラズラルさんが、固く唇を噛み締める。


「ローレルと過ごした時間は、あなたたちに比べるとそんなに長くないかもしれない。でもそれでも、彼は私にとって、とっても大事な存在なんです」


 ラズラルさんが視線を伏せる。そうすると、驚くほど長いまつ毛が、その影を頬に落とす。


「そのローレルを、私が絶対に傷つけるはずがない。……それだけわかってもらえたら」


 ラズラルさんは落ち込んでしまったかのように、さらに深く頭を下げる。代わりに後ろの騎士がなにか言おうとした。


「気は済んだか」


 だけどローレルはそれを遮り、ラズラルさんは「ハッ」と短く返事をする。


「ならもういいだろう。彼女もこう言っている。今は余計なことを考えさせずに休ませてくれ」


 ローレルの言葉に静かに部屋を出ていくエルフの三人。その後ろ姿が見えなくなって、ほっと力を抜く。


「もう二度とこんな目に遭わせないと誓う」


 ローレルまでどこか辛そうにそう言うものだから、私は緩慢に首を振って、ローレルの手を握りしめて笑いかけた。








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