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夜空を見上げる少年

 

「こっちにきてくれないか」


 ある日の夕食後、水場までお皿を持っていったはずのローレルが、すぐに戻ってきてそう声をかけてきた。珍しく頬を紅潮させて、少し興奮しているみたいだ。


「どうしたの?」


 なにかあったのかとすぐに駆け寄ると、手を引かれて小屋の外へと連れ出される。


「見てくれ」


 ランプも持たずに出た外は、すでに夜の帳も降りて辺り一面重苦しい闇に覆われている。だが今夜は、その闇をものともせずに夜空をたくさんの流れ星が駆け抜けていた。まるで夜空という果てのないステージで、豪華絢爛なショーが繰り広げられているかのようだ。


「“星渡り”だ」


 前世ではありえない光景だ。今まで夜空に瞬いていた星屑すべてが一斉に引っ越しでもしているかのように、次々と点滅しては駆け抜けて消えていっている。

 ポカンと口を開けて見とれていると、隣でローレルがくすりと笑った。


「初めて見たのか? なら、驚いただろう」

「ローレルは見たことがあるの?」

「一度だけ……まだ奴隷になる前に」


 チカチカ点滅して星が落ちていくたびに、キラキラキラキラ、ローレルがほんのりと淡く彩られていく。


「エルフ族の言い伝えでは、世の潮流が変わるときにこういったことが起きやすいらしい」

「へぇ……それを聞くと、こんなに綺麗な景色もなんだか空恐ろしくなってくるね……」

「まぁ、今の私たちにはなんら関係のないことだ。ただの美しい風景として目に留めておけばいい」


 ローレルの言葉に頷いて、静かに目を閉じる。心の中では、ひたすらに一つの願いを思い浮かべていた。

 この先もできれば、ローレルがそばにいてくれますように。

 これだけ流れ星がたくさん落ちていれば、どれか一つくらいは落ちるまでに三回繰り返し唱えられたかな。

 もしかしたら、前世でいう流れ星とはまた違った現象なのかもしれない。でも、これだってすっごく豪華な流れ星に見えるから。

 念のため多めに唱えると、結んでいた手を開いて目を開ける。


「今のはなにをしていたんだ」

「ん、流れ星に願いごとを」


 ごまかすように笑うと、問いかけるようにローレルが片眉を上げる。


「願いごとの内容は内緒だよ。人に言ったら叶わなくなるっていうでしょ?」

「そう……なのか?」


 ローレルは戸惑いながらも、私の真似をして目を閉じると、なにかを念じ始めた。


「星が流れ落ちる前に、三回繰り返し唱えないといけないんだよ」

「なんだって?」


 難易度が急に上がったな、と神妙な顔でローレルは黙り込む。豊かなまつ毛が下りて、流れる星を映していたリーフグリーンの瞳が隠れてしまう。

 ローレルの願いごとも私と同じだったらいいと、そんな欲張りなことを思ってしまった自分に苦笑する。

 一つ手に入れてしまえば、際限なく次がほしくなる。

 ローレルがここに残ってくれると、奴隷印がなくても私のそばにいてくれると、その気持ちだけでもうなにもいらないと思っていたのに。

 ――確実な未来がほしいと思ってしまった。

 私たちはまだまだ長い時を生きる。その気の遠くなるような時間の中で、ローレルはずっと私と二人きりだなんて、耐えきれるのかな。……元いた場所に帰りたいと、思わないのかな。

 ローレルがいつも寝ているときに、無意識に私を身代わりにして口付ける相手は、今でも彼の帰りを待っているんじゃ、なんて……そうした不安とわけのわからない焦燥に軋む胸を、襟元をギュッと握ることでやり過ごす。


「あまりにも星が落ちてくるから、怖くなったか?」


 それをどう捉えたのか、目を開けたローレルは心配そうに覗き込んできた。


「そろそろ部屋に戻ろうか。体も冷えてきた」

「ううん、私はもうちょっと見てるよ」


 先に戻ってなよと促すと、少し考え込んだあとに、「待っていてくれ」とローレルは小屋の中へと入っていった。

 ややあって彼はその手に掛け布を持って戻ってきた。


「これなら、もうしばらくは眺めていられる」


 地面へと一枚大きめのボロ布を敷くと、その上に座り込んでローレルは肩に掛け布を羽織り、「おいで」と微笑んだ。


「ローレル……」


 ローレルのその優しさが、じわじわと心に沁みてくる。やってくるかもわからない未来にわけもなく焦っていた気持ちも、その笑顔の前に霧散する。

 少なくとも今はこうしてそばにいてくれるんだから、だったら今この目の前にいるローレルを、精一杯大切にしないと。


「ありがと」


 はにかみながらその掛け布の中に入り込むと、ローレルはしっかりと包み込むように掛け布を私の胸の前で閉じた。ローレルの腕の中は、とても暖かかった。


「……あのね、一度だけ、あの“ユートピア”に行ったことがあるんだ」


 私を苛むすべてのものから、その腕の中は守ってくれるような気がした。


「ここに来た当初はとにかく怖くて、どうしたらいいのかわからなくて、ただ呆然としてた。一人が心細くて、こんな森の中でどうやって生きていこうって、どうにもこうにも立ち行かなくなったときに……気づいたら、ユートピアのあの塔の前にいた」


 ローレルの表情は見えないため、夜空を見上げながら独り言のように続ける。


「やけになって行ってみれば、案外行けるところまで行けるものだね。なんとなくでも辿り着くことはできたんだ」


 近くで見上げた紅の塔はとても高くて、ただただ圧倒された。

 そこに私の両親だったものがある。一度も会ったことのない同胞の欠片が、両親と一緒に安置されている。

 衝動的に、みんなの元に行きたいと思った。そこにあるのは、もはやかつて両親だったものの残骸だ。私の両親はもういない。それでも一目会いたいと思ってしまった。

 だけど紅の塔の周辺は、最新式の魔導武器を装備した警備兵が幾人も巡回していて、まったく付け入る隙はなかった。いきあたりばったりで突っ込むには、紅の塔は堅牢すぎた。

 ……だったら、命を捨てる覚悟で突っ込むしかない。この身を犠牲にしてでも、すべての人間族を巻き込んででもなりふり構わず突っ込んでいって、それでもしもたどり着けことができたのなら、そのときは私も彼らの元に……。

 そこまで話したときに、回されていたローレルの腕に力がこもった。ぎゅっと引き寄せられるように抱きしめられ、彼の髪が頬にかかって落ちてくる。


「でも結局、できなかったんだけどね。そのとき、そばでちっちゃな女の子がわぁわぁ泣き出したの。それで私と目が合った瞬間、すごい勢いで駆け寄ってきて、裾を引っ張りながらママ、ママ……って。たぶん迷子だったのかな。なにを言っても泣いてばかりで離れなくて、どうしたものか困り果てて、とりあえず警ら兵の駐屯所まで手を引いて連れて行った。そしたら、ちょうどその子のお母さんも慌てた様子で駐屯所に駆け込むところだったんだ。無事にお母さんと会わせてあげられることができて、ほんとにほっとしたよ。でも長居はしたくなかったから、すぐに立ち去ろうとしたんだ。そしたらその子がまた裾を引っ張ってきてね、“お姉ちゃん、ありがとう”って。ひどいぐらいに顔面ぐちょぐちょなのに、それでもひっくひっくしゃくりあげながらも、きちんとありがとうって言ってくれて」


 ローレルの髪がチクチク当たってきて、こそばゆい。もぞもぞと身じろぎして避けようとしたけど、ローレルは離れなかった。


「我に返った瞬間に、両親の最後の行動とか、ステイとエマのこととか思い出した。あのとき、父さんと母さんが敢えて逃げずに残った意味。ステイが私を逃してくれた意味。そういうの、一度よく考えようと思って、ここに戻ってきて……それから、そのまま」


 一度ここに戻ってくると、あとは気が抜けたような虚ろな日々が待っていた。それからは、なんとしてでも生き延びようとする気概もなければ、いっそ命を捨てて人間族に復讐しようという意地もなく。こうしてただいたずらに時を過ごしてきた。


「あとはもう、なんの気力も沸かないまま。君に出会うまで、ずっとそんな感じで無意味な時間を過ごしてた」

「……」

「でも今は、ここで君とひたすら静かに生きていたいなって、思ってるんだ。人間族すべてを恨むには、そこにはあまりにもたくさんの人が生きていて……もうどう生きたら正解なのか、わからない。私には、父さんがこの場所を教えてくれた意味を考え続けることしかできない」

「あなたのご両親はきっと、それでいいと思っているはずだ」


 耳元近くからローレルの声が聞こえる。あまりに近い距離に吐息がかかって擽ったい。身をよじるけど、それでもローレルは構わずに囁いてくる。


「私があなたのご両親の心境を語るなど、おこがましいかもしれないが……それでもあなたのご両親は、あなたに命をそんなふうに散らしてほしくはなかったはずだ」


 言いながら、なにか柔らかい感触が耳を掠ったような気がした。


「あなたのご両親は最期まで、あなたがこの先も平穏に暮らせるようにと、そう願っていたのかもしれない」


 ふと、じわりと視界が滲んできて、慌てて夜空を見上げる。

 そうだ。私は誰かに自分の話を聞いてほしかった。両親を失ったこと。一人きりになってしまったこと。自分がこれからどうすればいいのか、このままただ茫洋と生きていていいのかさえも、わからないこと。そんななにもかもをこうやって、全部聞いてもらいたかった。

 ――一人では、背負いきれないほどに悲しかったから。

 そのすべてを聞いてくれた、受け入れてくれたローレルの腕の中は、あまりにも暖かくて心地が良かった。


「……この中、あんまりあったかすぎて、このまま寝ちゃいそう」

「そのときはベッドまで運ぶから、心配しなくていい」

「ローレルが先に寝ちゃったらどうする? きっと、引きずらないとベッドに連れていけない。いくら細身だからって、あのときみたいにさすがに抱っこはできそうにない」


 ローレルはかすかに笑った。


「だったら先に寝ないように気をつけるよ」


 それからどちらからともなく黙り込んで、夜空を見上げる。

 数え切れないほどの星屑たちはそんな私たちに構うことなく、相変わらず忙しなく流れ落ち続けていた。








 翌日、やっぱり懸念したとおり寝落ちしてしまっていたのか、ベッドの中で目を覚ます。

 隣にはスヤスヤとかすかな寝息を立てているローレル。その寝顔をみるともなしに眺める。

 あれだけ心のうちをぶちまければ、さすがにすっきりもする。

 あの日、ローレルに出会えたから、こうして穏やかな今がある。

 ……もしもあのとき出会ったのがローレルではなくて、同じ有魔族の誰かだったら。もしもそうだったら、今ごろ私は紅の塔の下で、大勢の人間を巻き込んで未曾有の大惨事でも起こしていたのだろうか。

 もしもなんて考えたって仕方がないけど、それでもやっぱり、そう考えると出会えたのがローレルでよかったって思うんだ。








 ローレルを起こさないようにゆっくりとベッドを下りて、顔を洗いに水場へと向かう。

 そういえば、もうすぐ塩が切れそうだったけど、どうするかな。ローレルのことだから、またあの海水から作るって言うだろうな。

 つらつらとそんな、いつもの日常のことを考えながら、冷たい水をパシャリと顔にかける。

 昇って間もない太陽は、昨夜と大分様変わりしてしまった空の様子を余すところなく照らしている。

 鮮やかな暁の色から、薄いベールのような澄んだ水色に変わる空の様子を、私はしばらく眺めていた。








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